庭の柿の木は強風で葉が落ちたが、代わりに実が顔を見せるようになった。実は少し赤みがかかってきたので、28日(月)に枝切ハサミで木の上部の11個を切り取り、家内の日陰に吊るした。この干し柿は固く干しあがる前に頂く予定。これまでの経験から、その頃が一番美味しいことに気付いた。柿の木は一番古い樹木だが、屋敷が造られたのが文禄・慶長の役の前年の1591年で、7年間は朝鮮半島に出兵する大名の宿舎となった。その後のことは不明だが、壱岐の島が平戸藩政になり勝本浦に朝鮮通信使が寄港することになったことから、藩主は勝本浦に神職(壱岐島惣大宮司兼頭領)を置くことを決めた。そして、神職の居は先の大名の屋敷とされ、寛文5(1665)年に居を移すことになった。柿の木はその後に植えたと思うが、実をつけない年もあるが、その実は干し柿として美味しくいただくようになった。果実を自分で加工し食する、手間取るが現代では贅沢の一つのような気がする。
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408号:勝本浦敬老グランドゴルフ大会
10月20日(日)は、勝本浦まちづくり協議会の敬老事業の一環として、天ヶ原の運動公園でグランドゴルフが行われた。前日から暴風の予報が出ていたが雨はなく、強い風のなか8時半から開会式を済ませプレーがスタートした。開会式で注意したのは、長話をしないこと会長挨拶は「皆さんお元気ですか、この会は勝本浦敬老事業の一つで、安心・安全部会が行っています。部会長は〇〇さんです。今日は楽しく遊びましょう」。閉会式も表彰状は順位、チーム名、メンバーを読み上げて、途中省略・・表彰いたします」。ブービー賞では、一番をとるよりも難しいブービー賞など、表彰状にはない文言を織り込んだ。老人大会に参加して思うのは、開会・閉会式の長い話。ここは形にはまった式でなく、参加者に配慮した運営が求められること。大会はあいにくの暴風下だったが、昔は風本と呼ばれた地で育った老人は、打ったボールが止まった思うと風で動き出したり、帽子が吹き飛んだりもしたが、風に負けることなく無事に大会を終えることができた。長続きしそうな大会です。
407号:人口減少時代の行事について
先週の10月10日から14日、聖母宮の例大祭。聖母宮は、勝本浦と在部の可須地区の氏神で、10日に神輿の御遷幸(聖母宮から御仮堂)、14日まで数多くの神事の他、狂言(芝居等)、フナゴロ(船競争、一の船が勝つと豊作、二の船が勝つと豊漁)、お囃子(山車が引かれ三味線・太鼓・笛に合わせて歌い町中を練り歩く)が行われ、14日に御還幸(神輿・お囃子・各町内から仮装した人々の行列が続く)があった。浦の人々は家の前に紋付羽織の正装で立ち、神輿が来ると米や金を奉納し、神輿に手を触れその手で自分の額や子供の額に付けて無病息災を祈った。が、狂言や各町内の行列が無くなるとともに、家の前で待ち受ける人が少なくなった。そして、15日は港祭り(1958・9年浦の護岸工事をした際、その落成式を兼ねて海上パレードを行ったことに始まる)が行われた。午前11時半から大漁旗を船一杯に飾った船が行列を作り、湾内を3回「日まわり」の方向に回る。このような行事で感じるのは、参加する人、見物する人が極端に少なくなったこと。そして、行事の意義や歴史が忘れ去られようとしていることがある。今後の更なる人口減少社会を見つめ、行事の在り方についても、どうあるべきか考えていくことが大切。写真は、海上パレード。
406号:勝本浦まち協の敬老事業
敬老の日は、国民の祝日の一つで、2002年までは毎年9月15日とされていたが、2003年から9月の第3月曜日とされた。同様の趣旨の記念日として、老人福祉法によって定められた老人週間(9月15日より1週間)がある。老人としての自覚に欠ける者として、改めて確認した次第です。勝本浦まち協では、①記念品(小中生徒からのメッセージ付きタオルハンカチ)②写真展(地区公民館)③グランドゴルフ大会(10月20日) ④敬老会バスツアー(9月29日と10月6日)が安全・安心部会により企画され実行中。私も10月6日のバスツアーに相方と参加しましたが、その日は大谷選手がいる試合があり、昼食中も散策時もスマホ片手に大谷選手の活躍に喝采する爺さん・婆さんに驚きました。その他にも前日の5日は壱岐商高第5回生喜寿の会(51名)で司会役。10月は、この後も同窓生の飲食会が2回、グランドゴルフ大会が2回と大変ですが、参加するたびに高齢者が交流する場づくりの大切さを感じています。写真は、バスツアーの「バナナファーム壱岐」見学です。
406号:水仙の花
昨夜は久しぶりの雨。庭で育て中の挿し木や、畑に移植したミカンやブルーベリーへの水やりも休むことができた。今年馬場崎公園には、アジサイの挿し木を植え順調に育っていたが、水やりを怠ったせいか梅雨後の日照りのなか全滅し水やりの重要性を感じた。そこには、今育てているアジサイを再移植する予定。そのような中に、裏の畑回りに水仙の花が咲いた。畑回りは草の生えるのを防ぐ目的で3㎝角の小石を敷き詰めたが、その合間を縫って芽を出す草の強さに負けた。そして、雑草の除去後に姿を現したのが水仙の花だった。敷き詰めた石の間から出た白い花は、さわやかでとても美しいことから周りの石を取り除き、土を入れてあげた。水仙は調べると、ヒガンバナ科の属の一つ。名は中国での呼び名「水仙」を音読みしたもので、仙人のように寿命が長く、清らかなという意味から名付けられたとあった。不思議に赤いヒガンバナも、桜の木の裏にいつの間にか花咲かせた。
405号:国スポグラウンド・ゴルフ競技会
人生初の国民スポーツ大会に高齢者として出場し、様々な体験をして帰島した。大会前は練習を重ね自信を持って臨んだが、未体験の競技場の芝生(5㎝程)に手を焼きいつものプレーができないままに終えた。1ラウンド(15m・25m・30m、50mの各2ホール)を、3ラウンド行ったが、打ったボールは芝に阻まれホールをオーバーすることがなかった。いつもは50mのホールも力を加減して打つが、今回は力いっぱいスイングし、順調に転がっているように見えたボールが途中で芝に沈むように止まった。このことを最後までクリアできなかった。グランドゴルフは同窓生チームの欠員から始めることになり、競技のルール等については知識不足で、よく調べるとこの競技は「いつでも」「どこでも」「だれでも」できる生涯スポーツとして始まったことを知った。私のこれまでの知識では、グラウンドは土が主で、参加者は高齢者。壱岐では生涯スポーツでなく高齢者スポーツと思っていたので、考えを改める必要を感じた。今は高齢者がいなくなったら、あとは誰が継ぐのだろうという心配がある。しかし、これからは年齢、性別、体力、運動能力などに関係なく、誰でも気軽に関わることができるスポーツとして広めていくことが必要と思う。国スポ選手の年齢基準は、2009年4月1日までに生まれた者で協会員とするとある。
404号:SAGA2024国スポ
2024年9月18日、404号:SAGA2024国スポ
本年から「国民体育大会・国体」の名称が「国民スポーツ大会・国スポ」へと変更された。その新しい名称の大会は、9月5日から9月17日まで、9月21日から10月1日までの24日間で、実施競技は正式競技(37)、特別競技(1)、公開競技(7)、デモンストレーションスポーツ(28)の計73競技が実施される。長崎県代表壱岐市勝本町長寿会のグランド・ゴルフは公開競技で、21日の交換大会の3ラウンド(6ゲーム)・22日の交流大会1ラウンド(2ゲーム)が行われる。大会へ向けた練習は毎日行われているが、馬場崎公園広場を練習場としている私は、今朝は長寿会の練習に参加し大会への準備を終えた。壱岐出発は20日、長崎大会は雨風の3ラウンド目にホールインワン2個が出て大逆転したが、今回も一人にホールインワン1個が出れば優勝の声が聞こえる。競技はチーム対決でなく、出場者一覧から作成された混成チームでプレーし、終了後に各チーム・個人の順位が決定される。写真は、壱岐テレビ放送番組です。
403号:アメリカの出来事
今日は午前10時から、ハリス副大統領とトランプ前大統領による米大統領選挙に向けたテレビ討論会。11時から日本人選手(大谷・山本、鈴木・今永)が出場するMLB(メジャーリーグベースボール)ドジャース対カブスの試合があった。討論会は、同時通訳が行われたがその場の雰囲気を感じるには今一つ。将来音声は英語にして、AIによる翻訳を字幕に流してはとか色々思った。次のMLBは、4人の日本人大リーガーが主役となり活躍する姿があった。日本選手には高根の花と思えた大リーグも、この頃は随分身近になった。この後13時30分からは遊び時間で、馬場崎公園広場でグランドゴルフ3ラウンドを行った。老後には適切な運動が必要と言うが、広場は格好の場所。多くの人に利用していただければと思います。写真は、9月7日(土)に勝本漁業協同組合の荷捌き所で行われた、「壱岐エテマルシェ」の様子。マルシェとは、フランス語で「市場」を意味します。主催は壱岐商業高校、福岡大学商学部、壱岐みらい創りサイト。複数の店舗や楽しいイベントが行われました。
402号:夏から秋へ
今朝のテレビによると、全国の天気は「広く晴れて厳しい暑さ」だった。が、勝本浦は暑さに涼しい風が入り、季節の変化を感じるようになった。そのような折に、31日から3泊4日で大学生になった孫が訪れた。孫は親の仕事の関係で、小学校3年から6年まで勝本小学校に通ったことから友も多いが、今年はほとんどが島外へ出て共に遊ぶことがなかった。そこで、グランドゴルフの練習等でおろそかになっていた裏の畑とグランドゴルフ場の草刈り等を共にすることになった。畑は家のコンセントにコードをつないだ電気耕運機で耕し草を除去するが、二人であっという間に済ますことができた(写真)。ここには、野菜だけでなく種から芽が出た夏ミカンと、花壇に植えたブルーベリーの木を移植予定。グランドゴルフコース上の草刈りと除去は、翌日の午後に実施。その後のプレー体験で、孫は3回目に8ホールを25で回るなど、3日間でよき体験をしたように思う。大学生になった孫の来島で、これはやりたいと思っていたことが叶いました。
401号:台風10号日本列島縦断?
非常に強い台風10号は、日本の南を発達しながら西寄りに進み、その後針路を北寄りに変えて日本列島を縦断する可能性があるとされている。勝本浦の漁船は台風に向けて係船を終え、観光客相手の辰の島遊覧船も欠航が決定された。このように外での活動ができないときは、「勝本浦と可須村の神々」の学習がある。神々はA4のページに52社(写真大1,小2枚、文章が400字)でほとんど出来上がっているが、見直すと写真も文章も改善点が見つかる。特に町内で祀る神々の写真には工夫がいる。昨日は塩屋町の稲荷神社に出かけたが、傍にカワと呼ばれた井戸があった。飲料水用のカワは、陸町にのみ限られ崖下にある。そしてカワのほとりには、石畳の上に壇が設けられ神様が祀られている。水に苦労した浦人の生活様式など、忘れ去られようとしている歴史を記憶に遺すことの大切さを感じた一瞬でした。勝本浦には「壱岐の風土と歴史」を刊行された中上史行先生・「島の科学」に勝本浦の史跡について投稿された漁協組合の石井敏夫参事という大先輩がいる。地域を持続可能な町にするには、地域の持つ歴史・文化を新たな視点でとらえ発信していくことが大切。写真は、塩谷のカワです。
400号:お盆明けの様子
小さい頃は、お盆が明けると海に盆ブカが現れるので、海遊びはしないよう躾けられてきた。天気もお盆が過ぎると、秋の訪れを感じたように思う。が、全国の天気は高温に天候異変が続き、熱中症対策が求められている。壱岐の島は、昔と変わらず季節が動いている気がするが、GG仲間はまだグランドに姿を見せない。家の中で大変な熱さを感じ、外に出ないのかもしれない。私は夕刻に練習を続けてきたが、盆明けで練習仲間が来てはと思い、昨日は13時30分にグランドへ出かけた。が、仲間は現れず一人練習に励んだ。ボール4個を持ち、1ホールごとに4打を打って8ホールを回ると約30分かかるが、テント下で休みを取り2度目の8ホールを回り練習を終えた。そして帰りに公園を一周すると、勝本浦で唯一泳ぐことのできる海に中学生の男子二人がいた。真っ黒に日焼けした裸に、小さい頃港の外海岸(本HPトップにある210m×70mのGG広場)で朝・昼と一日中遊んだ様を思った。近くの海岸は夏の最高の遊び場だったが、今はその海岸がなくなった。写真は、外海にある唯一の海水浴場。
399号:朝鮮通信使復元船の来港
通信使の船は、先週8日(木)に入港、来港に伴う接待・送迎は、江戸時代は平戸藩がすべてを行ったが今回は国や県の関与がなく、市の観光課が中心で勝本浦まちづくり協議会と共催となった。9日に入港セレモニー(入港パレード、記念品贈呈、荒海太鼓演奏、晩餐会等)、10日と11日に、午前・午後の2回市民向け船内見学・韓国舞踊や音楽演奏、12時に地区公民館前で再現料理が提供された。私の役は市民代表歓迎挨拶で「朝鮮国王の外交使節である通信使は、第1回が今から417年前の1607年、第12回が1811年で、およそ200年に及ぶ往路・復路19回の入港時の接待と送迎を勝本港で行ってきたこと。感慨深いのは、朝鮮通信使の来日など、勝本の地が対馬・朝鮮及び九州・中国地方との交通の重要な港であることから、1627年に私の祖先である壱岐神職棟梁が国主の命により勝本に住居を置いたこと。それからおよそ400年にわたり聖母宮宮司として勝本の発展を見守ってきたことを述べて、今回の復元船による交流が未来へとつなぐ日韓友好の懸け橋となることを祈念した。写真は、入港時の朝鮮通信使復元船。
398号:未知の神社探し
夏の暑い盛りですが、暇の時は勝本浦・可須村(西戸・東・中・大久保・坂本の5触)の神々の写真撮りと文章作成など最終段階に入った。が、まだ訪れたことのない神社が二つある。唐津の波多氏が陣所を置いた唐津城址(烏山頂上)にある御崎神社と、神の通り道と呼ばれている神通の辻にある神通神社。この写真撮影ができれば完成が見える。その中、福岡に住む友から「9月5日、最後の壱岐商高同窓、喜寿の会」案内はがきが届いたという電話があった。ついでに神通神社について聞くと昔お参りしたとのことだが、頂上に向かう道は途中までしかなく、辿り着くには草木を分けてひたすら頂上めがけて歩くしかないという。話の続きで結局喜寿の会前後に、二人で神通神社参拝に挑戦することになった。写真撮りで気づいたのは、本来の神社の姿は在部(農業)にあること。木の鳥居と石垣に包まれた石祠は神秘な思いを抱かせてくれる。人々が忘れ去らないように努めることの大切さを感じます。写真は、仲触の稲荷神社。
397号:スイカとイモのお談義
早いもので7月も終わり、明日から夏の盛りを迎える。馬場崎公園広場のグランドゴルフは、ほとんどがお休み中。だが、92歳と79歳の婆さんと私の3人が、午後1時半からのプレーを継続中。その中に隣の物言いグループの爺さんたちが、小屋の中が熱いと我々のテントに寄るようになった。テント前は、5月5日に植えたスイカとイモが順調に生育中。その様子を見た爺さんは、スイカはカラスが来るのでキラキラテープを付けた方が良い、網をかけたが良い。芋はツルを畝に上げた方が良い等々の意見をいただく。さて誰がやるのだろうと楽しみにしているが・・・物言いグループ(命名者は私)は、物は言うが行動無しという見えない決まりがあるため聞くだけにしている。漁業用にと開発された広場の畑は、漁業関係者の農業体験場と定義。皆が大きくなったスイカをみて喜び、お談義が進むのは嬉しいことです。スイカとイモは、植えた数日後の強い潮風で枯れたと思われたのが、長い梅雨を経て復活したのです。写真は、スイカ。
396号:夏の外港子供プール
学校は1学期を終えて夏休みに入った20日(土)から、馬場崎公園にある子供プールは町内外からの家族連れで賑わった。大きな浮袋を持ち込み、はしゃぐ子供の姿を見ると明るい気持ちになる。公園のプールと東屋(休息所)は古くなり、市役所では廃止の方向とも聞いたが、壱岐市で唯一の屋外子供プールは維持すべきとの声を受けて、昨年「勝本浦まち協」が率先してプールのペイント塗り替えに取り組み、その後に市による東屋の建て替えが行われた。廃止から維持へと政策転換を感じた瞬間だった。今年は公園の草刈りも事前に終了。今はプールの清掃と水の入れ替えを行う爺さんが、子供たちが楽しく遊ぶようにと色々な気遣いが見える。プール横の旧ゲートボール場は緑の部分を広くしてほしい。西風によって砂がプールに入り込むのを防ぐため等々。短い夏だが、島を離れ帰郷する家族にとっても格好の遊び場。我が家の孫も、広い馬場崎公園でいろいろと遊ぶよう計画中。爺・婆も気を引き締める良い機会です。
395号:老後の準備
昭和時代の職業定年は60歳。平成、昭和を経て少子高齢化による人口減少が進む中、定年延長が課題となり65歳、70歳へと働く期間の延長が図られている。人生は幼少期・学校教育期、職業期、老後というように分けられる。私は幸い60歳定年後、新しい仕事につき69歳で壱岐に帰ることになった。が、60歳中頃から老後を安心して過ごすため、家のリフォーム、バリアフリー、マッサージチェア、地上派+BS・WOWWOW等に取り組んだ。その成果というか、WOWWOWで放送された女子ゴルフのメジャー第4戦エビアン(フランス)選手権は、古江選手が第3ラウンドを2位で終えたということから、月曜日の夜は後半戦を視聴した。そこでは2打差の2位だったが、16番ホールからバーディ、バーディと続き、18番ホールはイーグルでメジャー初優勝。その瞬間思わずワーッと声が出て、拍手を送っていた。写真は、新しくなった芦辺港ジェットフォイル乗り場から博多へ向かう高速艇「ビーナス」。昨日は訪問客を見送った。
394号:イキテレ「ごごマル」
壱岐市には、光インターネットや光IP電話サービスを行う、「光ネットワーク株式会社壱岐支店」があり、壱岐の市議会や体育大会など壱岐情報を伝えるイキテレチャンネル「壱岐市ケーブルテレビ」がある。3か月に一回チャンネルガイドが届くが利用は時々。だが、先週の木・金曜日の午前中、「国民スポーツ大会」のGG競技出場を決めたということでチーム「勝本浦長寿会」が取材を受けることになった。そして、昨日から17時50分と18時50分開始で10分間、一週間のイベントや出来事を届ける「ごごマル」で放送された。選手は個々のコメントが求められ、私は大会出場のきっかけについて話した。昨年10月、隣に住む「勝本浦長寿会」の代表夫妻がお見えになり、体調が思わしくないということから11月の佐世保県大会へ代理出場したこと。そして、今年1月に国体予選の壱岐市大会、3月長崎県大会に出場し優勝を決めたこと。人生76年初の国民スポーツ大会は、今は空の上からチームを見守る元代表の分も合わせて、思いっきりプレーを楽しむつもりと話した。写真は、イキテレの番組「ごごマル」。
393号:甘夏ミカンの種
今年は、馬場崎公園広場の暴風除けの挿し木に再挑戦。我が家の庭木(マキ、月桂樹)や公園広場の貝塚イブキの新芽の枝を切って地植えの準備をしています。場所は日陰と湿りのあるところを選び、苗ポットに挿し木用の土を入れ、水に浸した枝を挿す。そして、朝夕に水をやり根付きを待つのです。その最中、今年は大好きな甘夏ミカンが豊作なのかお店に並んだ。そのミカンを食べながら、裏の畑に植えてはと思いネット検索。そこには、食べたミカンの種を3日ほど水に浸して、紙ペーパーでぬめりを除いた後に苗ポットに埋めて待つとあった。日記を振り返ると、ミカンの種を水に浸したのが5月26日、小さな葉が出たのが1週間ほど前で、これは本当にミカンなのかと思ったが大きくなってきた。写真は今朝の様子ですが、見るのが楽しくなってきました。次は地植えの時期と場所を選び、苗ポットからいつ移すか思考中。一日ヒマなしですが、後期高齢者には余裕をもって対応する時間がある。要は体力とやる気、挿し木に挑戦中です。
392号:台湾長期滞在ツアー
台湾新北市新店区長春里から昨年に続き30名が来島された。6月20日台湾桃園国際空港6時50分発・福岡空港9時55分着、博多港15時45分発・壱岐郷ノ浦港着17時05分着、郷ノ浦港で壱岐市長が歓迎挨拶で迎えた。台湾を朝に出発し夕方に壱岐着、約10時間の旅は驚きだが、自然に恵まれた壱岐は、観光の島として発展する可能性大と思う。24日は曇りだったが、グランドゴルフ交流は前日の雨で中止、代わりに「聖母宮参拝・勝本浦案内」を入れた。参拝は、祭祀の次第(神前一杯、太鼓、お祓い、玉串奉奠、太鼓、神前一杯)を、私と通訳が司会、その後に宮司が斎行というように工夫した。その後の勝本浦案内は、私がパソコン、プロジェクター、スクリーン、アンプを持ち込み行ったが、史跡等案内後に、画像に歌と歌詞付きの映像を紹介した。♫ハー博多ちょいと出りゃ 波間で招く 夢の浮島 壱岐の島、港勝本大漁にあけて・・・♫と唄う勝本小唄は盆踊りの歌だった。もう一つの舟グロは、聖母宮大祭の船競争の歌、終了時は大拍手をいただいた。帰国は7月3日、観光リピーターを増やすには魅力あるコースの開発が求められる。写真は、聖母宮参拝記念。
391号:マグロと台湾観光客
今朝の天気予報は、晴れ時々曇りで最高気温25度湿度は高くなるとのこと。外に出ると蒸し暑く、活動は大変だと感じる日が多くなってきました。そのなか勝本浦は、対馬との間にある七里が曽根という漁場でマグロが釣れだし、多い日は70本等と昨日まで漁が続きましたが、漁獲枠の関係でマグロ釣りも終わりました。不思議なのは、勝本浦に住んでいてマグロを口にできなかったことです。そして一昨日は、昨年に続き台湾からの長期滞在ツアーが来るということで、観光連盟から6月24日にグランドゴルフ交流を計画しているという連絡が「まち協」を通じて届きました。おやと思ったのは、打ち合わせをしないで計画されていることです。これでは対応が難しいと昨日連絡、今日の午後一時に打ち合わせに来るとのことです。台湾から2年続けての長期滞在ツアー客には、壱岐の歴史文化を十分に体感してもらうよき機会。2週間の滞在の中に、壱岐市が誇る古代遺産「前方後円墳、円墳、家形石棺、小規模古墳の集合」巡りはなぜ入っていないのだろう。これも気づきでした。写真は、県内最大の前方後円墳。
390号:アジサイの挿し木
旧の節句(6月10日)前は、浦部の玄関先に「萱と蓬」が飾られていた。1年の節目において穢・不幸・不善を去って、清浄・幸福・正善に還ることを願う行いが忘れることなく続いている。これは「勝本町の口頭伝承」という書に、昔話(祭礼行事)として取り上げられていた。要約すると、「見知らぬ女を嫁ごにした男が、帰宅すると嫁は頭が蛇になり酒を飲んでいた。男が怒ると女は元の姿に戻り、甕(かめ)の中に入るように言い山中に引いていった。男は山中で上に木の枝を見つけ、飛び出し下の萱草に隠れた。女は萱を分けて入ろうとすると指を切ったが、傍にあった蓬で血を止めた。その間に男は逃げることができた。だから今の5月の節句には軒に萱と蓬を挿す」のだという。へーッ、ハハッハと思う昔話でした。今朝は、馬場崎公園周辺の花壇に水かけをしました。先週3年前に植えた13本のアジサイから挿し木を作り地植をしたからです。昨年は6本植えて2本が生育。今年はより手をかけて12本を植えしました。誰からも指図されないことを、まちづくり協議会のボランティアグループ登録制度を利用して行っています。へーッと思われるかもしれません。
389号:壱岐の観光について
一昨日(3日)は、8時半に同級生のGGクラブ(二二三ふじさん会)代表から電話がかかった。今朝は天下原グラウンドで練習中、久しぶりに出てこないかとのことで出かけることにした。練習は他に、正村聖母会、西戸触GG会が参加していたが、途中にグランド管理の教育委員会社会教育課の職員が来ているので、北側のトイレに集まってほしいとの連絡が入った。トイレは今年度に入り一度も清掃したあとがなく、内にはゴミが溜まり便器も汚れて使用が難しくなっていることから、市に連絡してきたが「契約変更で調整中」の返事が続き今日に至ったのこと。担当者からは「今週中に一度清掃に入り、その後は定期的に清掃作業を行う」との回答を得てグランドに戻った。そして今朝社会教育課に電話を入れ、グランド管理計画の確認をした、トイレ清掃は「平常は週一回、多忙期間は週3回」実施。グランド整備は「トラクターなどを使い年2回」実施とのこと。利用団体に、このような管理計画についてきちんと知らされておけば、合間に自主的作業を進めるきっかけになるのではないかと話した。国・県・市と民との様々な関係について、転換が求められている。公共トイレの充実は、「観光の島壱岐」に欠かせない第一の課題なのです。
小学校運動会
26日の日曜日は、勝本小学校・幼稚園の運動会があった。戦後生まれの者からすると小学校運動会は地域総出の一大行事だったが、半世紀を過ぎた今は様変わりした。一番は生徒数の減少(全校生徒59人)、次に運動場回りを埋め尽くした支部(16町)テントの減少、そして支部(部落)対抗リレーの廃止がある。そこからは、現在の小学校が学ぶ場としての機能を失いつつあるようにも感じる。壱岐市は18の小学校があり、16の小学校は全校生徒数が100人以下。小学生が次に進む4つの中学校を、小・中一貫義務教育学校にできないかと思う。またグランド奥の山(城山)は、文禄・慶長の役の時に勝本城があったところ。城番と家臣500人が7年間にわたり駐屯し、食料・軍馬・武器などの海上輸送をとりしきった基地だった。近年は城山公園として親しまれてきたが、今は登り口や山上の見晴らし台は、木々に覆われ見えない状態。市町村の合併前まで勝本町が管理していたが、市になり管理が行き届かなくなっているのかも知れない。子供達の元気な姿の裏に、現在かかえる様々な課題が思い浮かぶ運動会でした。
387号:挿し木に再挑戦
島国日本には、大小さまざまな浦部(地域共同体)がある。共通するのは広場が少ないことと思うが、勝本浦は経済成長期を経て大きく変わった。最初に行われたのが海岸道路の設置。そして、漁船の係船と防波の突堤設置。それでも物足りないと外港が設置され、埋立地には公園や広場が造られた。しかし、その管理は市という思いが強く、利用者が少なくなる中で荒れ果てた。帰島した私が感じたのは、広場等の管理は利用者が主体的に取り組まないといけないということで、25m四方の旧ゲートボール場、50m四方の広場をきれいにした後、旧ゲートボールにアジサイを植え、昨年は広場に36本の月桂樹を挿し木した。が、つがったのは2本。挿し木は初めてのことで、庭の月桂樹の枝を切り一晩水に浸して植えたが失敗。今年は枝を1時間ほど水に浸し、土を入れた鉢に枝を挿して発根を待って広場に植えようと準備中。新しいことには、学びがついてきます。
緑の島「壱岐」
全国各地で新緑のニュースが取り上げられている。壱岐の島も緑の豊かさから「緑の島」と呼ぶこともある。が、濃い緑には勇気・挑戦などと心を奮い立たせるものがある。その壱岐の島では、4月14日に壱岐市長選挙があり16年ぶりに新市長誕生。勝本浦まちづくり協議会では挨拶に出かけることにした。さて、何を話そうかと考えているが日ごろ、思っていることを上げると、①生徒減少の小学校は中学校に統合し、小中一貫の義務教育学校とする。②総合的な学習の時間は、ゴルフに興味ある生徒は午後の2時間と放課後の時間を使い、壱岐カントリークラブでゴルフを学ばせる。③生徒に与えているパソコン活用のため市が学習塾と契約を結び、全体の契約金は市が負担し生徒は月1000円で興味・関心や学習進度に応じた学習ができるようにする。④勝本浦には、朝市広場新設、歴史資料館と観光案内所新設等々がある。写真は、元気で勇気ある日々を送ることの大切さを思わせる庭の柿の木。去年は実が一つだったが、今年は実り多い年になりそう。
アマリリスの花
関東は30度の夏日というニュースが流れたが、北部九州は曇・雨の日が多く服装も冬のまま。晴れの日が続くときっと暑い暑いと言い出すに違いないと思う日が続いている。そのなか、庭には凛としたカラーに続き赤い花が咲いた。相方に尋ねるとユリのようといってくれたが、スマホをかざし検索すると「アマリリス」と教えてくれた。何か昔聞いた歌謡曲の中にあったような気がしたので、また尋ねると「♬ラリラリラリラ しらべはアマリリス♬と歌い、その曲は小学校の音楽の教科書に掲載されている楽曲で歌謡曲ではないとのこと」。だから、アマリリスという言葉が頭の中に残っていたに違いないが、外遊びに明け暮れていた私にはその場面が思い浮かばないのです。また辞書で調べると、「彼岸花科の多年草で南アメリカ原産。夏に太い花茎の上にユリに似た六弁の大きい花を二から四個つける。」とあった。突然に咲き目を引き付ける花が、昔を思い出させまた学ばせたりしてくれます。
384号:大型客船の入港
先週25(木)日、フランスの大型客船「ル・ジャックカルティエ」が7時30分に勝本港沖(辰の島防波堤の内側)に錨泊し、客(約120名)は搭載されているゾディアック(10名乗り)にて上陸し観光を行う旨の放送があった。そして、「来島される皆様へのおもてなしにご協力をお願いします」とあったので、7時半に相方(iPad)と私(カメラ、望遠レンズ、三脚)は、自転車で馬場崎外港埋立地の先端(HPトップの勝本浦航空写真、港の入口手前防波堤の赤灯台)に出かけ上陸船「ゾディアック」をお迎えした。客船から港までは5分ほどと思うが、初めての人はドキドキのようにも見えた。次は、朝鮮通信使船の復元船の入港(8月6日)、出港(10日)がある。勝本浦は昔、壱岐・対馬・博多航路の客船が入出港したが、今年は漁業の港となって久しい港に客船等が入港。江戸時代に鯨組関係の運搬船や通信使船で賑わった浦の歴史・文化遺産を見つめ直す機会になるかもしれない。一昨夜は4時頃に目が覚め、パリオリンピック出場権をかけた日本対イラクのサッカー(後半戦)を楽しみました。野球・バレー・やり投げ等世界を舞台に活躍する若者の姿に力を頂いています。
383号:庭にキジバト現る
雨の多い4月だが朝に裏の畑を覗くと、鳩と思うつがいの鳥がえさを食べていた。よく見ると体色が茶褐色で、普段見かける鳩と違ったので調べるとキジバト(別名山鳩)と分かった。小さい頃に在部(農業)のおじさんから、馬場先の奥の海岸(オンタナ)の上山に珍しい色の鳩がいるという話を聞いたことがある。この鳩は向かいの若宮島に住み、そこと行き来をしているという。壱岐で教員をした30代の正月は、高齢になった父の手伝いで在部と浦部の宅神祭に出かけ、そこではお爺さんお婆さんがお相伴をしてくれた。その時に聞いた諸々の昔話が、今の私の行動(歴史や文化調べ)の基になっているように思う。昭和時代の懇談の中身は、海や山などを介した体験からくるものが多かった。が、情報通信社会といわれる平成・令和の子供たちの今は少し違う。幸い孫たちは、相方の親が山持ちでもあるため海と山の体験を積んで育っている。誰かの言葉に「昔は変わらないが未来は変わる。大切なのは今を一生懸命生きること」とあるが、情報通信社会の子供には、プラス体験(自然と人)が大切になっている。
382号:身体を護る
75歳を超え身体の不憫を感じることがある。グランドゴルフ大会開会式後のラジオ体操で、屈伸や反りができず笑ってしまうほど。朝の着替えで、靴下とズボンはきに手間取ること。それらの解決にと再開したことがある。真向法(腰痛体操)と下半身をストレッチする木製ストレッチボード。真向法は①座って両足裏を合わせ前屈 ②両足を前に出して前屈 ③両足を開き前屈の体操を3回繰り返す。下半身ストレッチは、柱の横に置いたボード(写真)に立ちアキレス腱やふくらはぎを伸ばす。その際に、両手を上げて柱をつかみ腕を伸ばす。それプラス、老後にと買っていたマッサージチェアで体をほぐす。お陰で、身体が気持ちよく動くようになった。若い時は何も考えることなくいろんなことに挑戦したが、老後はその前に身体が思うように動かなくなる。改善策を考え行ってみるは誰にも易いのですが、難しいのは続けることです。
381号:壱岐市長、市議会議員補欠選挙
壱岐市は4期16年続いた市長の退職と、議員の退職に伴う選挙が4日後に迫った。今回は立候補者が市長4人、議員5人で、土・日は選挙カーが走り回り選挙公約のチラシも一杯になった。が、公約はこれまでどおり各産業や世代を意識した補助金が目立つ。ということは、未来に向けて大きな課題が待ち構えている証左ともいえる。一番は少子・高齢化に伴う人口減少で、このことが多くの課題を生み出している。私たちが育つ頃の高齢者は、55歳から老人クラブに入りゲートボール、旅行、カラオケ、お講等で元気だったが、それを上回る元気な子供たちがいた。その子供たちが、今は60歳から老人クラブに入り活動しているが、大きな違いは次を担う子供の不足。この課題解決が求められてきたが、解決できずに現在に及んでいるように思う。候補者の公約をそのような観点からよく読み、一票を投じたいと思う。写真は、凛とした美しさを誇る庭のカラーです。
380号:芦辺港高速艇発着場の移転
3月末は、大学入学、中学3年進級を控えた孫(男)が来家した。二人とも勝本小学校で3年を送ったことで、中3は友達宅で宿泊込みのコミュニケーションを楽しんでいた。勝本浦の様々な体験が、二人の成長の糧になっている。4月に入り所用で博多へ出かけることになった。が、芦辺港は高速艇の発着場がフェリー発着場に合体(写真)され、最初の利用者となった。壱岐は九州本土と結ぶ港湾が3つ(芦辺、郷ノ浦、石田)ある。芦辺と郷ノ浦は福岡県博多と対馬を、石田は佐賀県唐津を結んでいる。芦辺港は元の芦辺浦と瀬戸浦の間にある広大な干潟を埋めて造られた新港。広々とした後背地に官民の施設等があり、壱岐の政治・経済の中心になっていくのではと思わせる。今は郷ノ浦港が主の玄関口であるが、狭小のため何回かに渡り外海へと移転した。その影響で元の商店街の人通りが減少し、空き店舗等が目立つようになった。壱岐の港湾にも、未来に向けた転換点(シンギュラリティ)が生じている。博多往復の高速艇ビーナスから、美しい壱岐の景色を眺めながら感じたことです。
379号:海の異変
毎日午後は、馬場崎公園にてグランドゴルフが日課になった。そこではウォーキングする人が寄って立ち話をすることもある。昨年まで励んだ波止釣り仲間の爺さん(元漁師)もその一人だが、釣について大変化が起きているという。波止からイカが釣れない、波止にアジがいない等々で、釣の時間がウォーキングに変わってしまった。確かに他所から来た人が釣りする姿を見かけるが、何かが釣れている気配なくそのうちに姿が消えてしまう。その上に、今年は雨風など嵐の日が多く出漁が少なく、4か月も沖に出ていないという声も聴く。勝本浦は江戸時代の鯨組、その後はイワシ漁、ブリ・タイ漁、イカ漁と魚種の変化が見られたが、この先どうなるのだろうと考えることが多い。戦後の経済成長期を生きた高齢者からすると、今は様々な分野で大きな転換点(シンギュラリティ)にあると実感することが多い。写真は、庭に顔を出したヒヤシンスの花。花に疎いので、スマホかざして名前調べしています。
378号:東京訪問
今朝の壱岐は、暴風警報発出中で大風。福岡と結ぶ定期航路は全便欠航だが、昨夜は20時35分発のフェリーに乗り久しぶりの東京(3月16日)から帰島した。東京訪問の理由は、孫(小学校入学前の女子)の音楽発表会(3月17日)への出席。前に相方が約束していたことだが、16日に宿泊したのが東急歌舞伎町タワー(写真中央)の隣に立つアパホテル新宿歌舞伎町タワー。夜の散策はなしだったが、夜中はサイレン音が幾度も届いた。そして、翌日は壱岐とは様違いの人やお店の新宿で買い物をし、中野の生涯学習複合施設ZERO西館で音楽発表会を楽しんだ。孫が喜んだのは、相方が用意した大きな花束。へーッというほどだが、孫娘には一番心に届く贈り物になった。小さい頃を壱岐で暮らした私が思ったのは、自分がこのような多様な習い事をして育っていたらどうなったのだろう、いや自然体験の大さが今を作ったのではなどでした。自然豊かな島人にとって、22年間住んだ東京は気分一新のよき場です。
377号:GG県予選優勝
先週7日(木)は、第78回国民スポーツ大会のグランド・ゴルフ公開競技長崎県予選会出場のために、朝一番の飛行機で長崎空港(大村市)へ向かった。壱岐市予選会で男女ともに、正村町の長寿会がメインのチームが出場権を得た。到着後に会場を訪ね会場の下見をして、夜は焼酎付きの前夜祭となった。が、8日の本戦は2ランドを終えて6位の情報、3ラウンドで2つのホールインワンが出て、もしかしたらと思いながら閉会式前に会場を後にして長崎空港から帰島した。そして、壱岐空港で大会事務局に電話し優勝の知らせを聞いた。へーッという感じだったが、その夜に代表から電話がかかり11日(月)市長報告の知らせにへーッとが続いた。順位表を見ると、壱岐市のスコアは6人の実計で、124、124、116、計364。2位松浦市367、3位大村市が372だった。個人記録で、私は19、16、20の55で3位。1ラウンド8ホールなので、オール3で回ると24。当日は風が強く、風本(勝本町)チームに有利だったのかもしれません。76歳にして国体(佐賀県)初出場、大いに楽しむつもりです。写真は、市長報告会。
376号:若宮島に初上陸
今週の4日(月)午前8時に、このホームページのトップ写真の左奥の波止から漁船に乗り湾の外にある若宮島へ向かった。目的は若宮神社と蛭子神社の写真撮影。これまでは辰の島遊覧船から撮影してきたが、実際に見たいと思っていた。先月末に裏の高台にある物見台から海を眺めると、若宮島の波止に漁船が着いているのを見つけた。そこで漁協組合に電話して尋ねると、建設会社の仕事関係と分かった。早速会社に電話し、次に出ることがあれば同乗させてほしいと依頼し4日に出かけることになった。若宮神社は海の神様として信仰を集め、昔帆船のころは前を通るときは、どの船も帆を下ろして漁師たちは手を合わせて拝んだという社で、隣に海を漂流する水死体を祀るエビス神社もある。島に上陸すると、作業員に電話がかかり8時半から鹿の鉄砲打ちが始まるので作業中止の連絡がきた。が、10分ほど時間があったので、神社まで走り目的の写真撮影を終えた。短時間だったが、思っていたことがまた一つ叶った。写真は、エビス神社です。
375号:自動車事故
今朝は幸いにも5時に目が覚めたので、ドジャースのオープン戦大谷選手を見ました。ベンチには山本選手と二人いてすごい雰囲気です。話は変わり、ニュースの中で気になっていることに、高齢運転者の交通事故があります。70歳代でアクセルとブレーキの踏み間違い。その原因は、足首の可動がうまくいかないこと。また膝の劣化等があるのではと思うのです。年を取ると膝の劣化が進むとともに、足首の動きが鈍る。その足に、昔の革靴や新品でも硬い靴などを履くと、足首を自由に動かすことができなくなる。運転中ハッとした時に、とっさに足を動かすことができずそのまま踏み込んでしまうのではと。また、外に出る用が少なくなり家でゴロゴロしていると、足が太ったり運動神経も鈍ってしまう。これらを避ける必要があるが、なかなかそうはいかないのが老後。私も76歳、老化を押し止めるには体に負荷をかける作業等が必要と考え実行中。言うは易しですが、行いに結び付けることが試されるのが老後なのです。今夜は、サッカー女子の日本対北朝鮮楽しみです。
374号:今日もまた雨
今朝起きて窓から外を眺めると曇り空と雨だった。外でのグランドゴルフは出来そうもないが、心配することはない。昔の可須村(西戸触、東触、中触、大久保触、坂本触)と勝本浦の神々についての学習がある。昨日は学習の中で、在部の大神宮と浦部の神明社について新たな発見をした。この二神社の祭神が、天照座皇大御神(あまてらしますすめおほみかみ)であること。伊勢の神宮は、平安時代から皇室だけでなく、庶民からも広くみたまのふゆが拝まれるようになったこと。各地に見る大神宮、神明社の類がこれであること。今まで気になっていた事柄だが、江戸時代初期に壱岐は農村の在方と漁村の浦方に大きく分けられ、在には庄屋、浦には浜使役所(浦庄屋)が置かれた。その庄屋の住む地(西戸と黒瀬)に二社が祀られている。つまり二社は庄屋が勧請し村人、浦人と一緒に建立された宮であること。祀られたのは寛文3(1663)年、神明社は明治45(1912)年聖母宮に合祀となった。写真は、雨の中の木の花。
373号:馬場先公園(広場)の整地完成
外港埋立地の広場整備は、私たち利用者による主体的な取り組みが評価され所有者の県振興局と管理者の市水産課の支援を受けて事業が進むことになった。業者は広場半分の掘起こしと地固めを請負、利用者がその間の草の除去と地ならしを担うことになったが、雨風の影響もあり日数がかかった。そして工期が2月末に迫る中、晴れの12日(日)に真砂土4㎥を広場に撒き終え、業者に地固めの依頼をした。天気予報は今日(14日)午後から曇・雨。その後も長い晴日がないことから、今日地固め(写真)を行い広場整地が完了した。約50㎡の広場の整地は無理と思っていたが、GG仲間の男子二名と一緒になって夢が叶った。女子(ばあさん)達も草拾いなどできる範囲の協力があった。明日は、新たな8ホールを設定し目印を置く予定。草ぼうぼうでぬかるみの広場は、皆の楽しみの場所に変わったが、外港埋立地はまだまだ遊休の草地が遊んでいる。勝本浦まち協のボランティアスタッフを使い、年中歩行可能な場所になれと夢見ています。
372号:雨風の日の過ごし方
2月に入り大雪のニュースがあるなか、壱岐は雨風の日が続いたが今朝は久しぶりの青空。馬場崎公園のグランドゴルフは中止が多かったが、物言いグループの高齢者仲間は小屋に残されていたストーブを修理し火を入れて雑談。家でゴロゴロするばかりでは身体がおかしくなるということで、少々の雨風に負けることがない。椅子が足りなくなるほどに。GGグループは、昨日は雨のため広場が使えなかったが、元のゲートボール場に4人が揃い練習をした。歩いて行けるところに遊び場所があることは何より。そのなか高齢者にとって長い一日となる雨の日は、何かやることを持てばと考えて今は勝本浦と在部(旧可須村)の「神々」について、写真と説明付きの原稿作りに取組み中。いつになるか分からないが、出来上がれば一冊の本にまとめたいと思っている。先に表紙(写真)ありきで、中身は雨風の日の仕事。嵐が増えれば原稿づくりが進む。流行りの二刀流かも知れません。
371号:朝鮮通信使船入港の下見
新年早々市から相談を受けたのが、本年8月に「朝鮮通信使船」平和の航海時の勝本浦寄港の件だった。そこでは、江戸時代通信使船が寄港した時を想定できるような準備の話をした。そして昨日(30日)は、明日(2月1日)の韓国関係者来島の打ち合わせを市の担当者と行った。通信使の日記の中から、迎接所・聖母宮・鹿神の社・押役所・鯨組の豪邸と納屋場の図や写真などを準備し、明日は①聖母宮名誉宮司の屋敷に迎えて、ゆかりの史跡の説明。②裏の「上の山」に上り、通信使船が入港した正村湾と北西海上の対馬を眺望。③「上の山」を下り、押役所、迎接所跡を見学。④聖母宮、志賀神社参拝。⑤鯨組の御茶屋屋敷、納屋場跡の見学。⑥防人が住んだ見る目にも美しい「見目湾」見学の予定。案内役として同行することになったが、昨日までに「上の山」に上る草木でふさがれた道の清掃を済ませた。8月の通信使船来航が、ニュースになり広く発信されればと願っている。写真は、上の山から眺めた風本浦。通信使船入港時は、壱岐の多くの人々が湾の岸から眺めたという。
370号:多言語音声翻訳
勝本浦には、本年4月25日(木)に初めての国際クルーズ船「LE JACQUES CARTIER」が入港。8月6日(火)から11日(日)に新朝鮮通信使事業として朝鮮通信使船が入港する予定。ということからか、壱岐振興局地域づくり推進課から、観光関連事業者向けに「外国人観光客おもてなし研修会」の案内が出された。その中に、外国語(31言語)に翻訳してくれる無料音声翻訳アプリ<VoiceTra(ボイストラ)>が紹介されていた。数日前に韓国サムスン電子、翻訳AI搭載新型スマホ「ギャラクシー」発表のニュースを聞いたばかり。早速相方とスマホを開き、ボイストラを検索しアプリのダウンロードを済ませた。試しに、翻訳言語を韓国語にして「何かお困りごとがありますか」とスマホに話しかけると、韓国語の声が発信されて画面に内容が表示された。後でいろいろと試しに挑戦。なれれば使えそうです。が、勝本弁は×。なんしょいんとでー(何しているんですか)は、「何回の使用頻度で」と訳された。方言はダメで、標準語がお薦めです。
369号:竹にまつわる不思議な話
外港埋立地の馬場崎公園のヒマヒッカグ会(暇つぶし)のたまり場に行くと、ウォーキングや犬の散歩など色々な人と出会う。先輩になる漁師の爺さんの話だが、「竹の花」が咲いているのを知っているかと聞いてきた。おじいさんはウォーキングが趣味で、浦部と在部を歩き回るという。が、その時に去年は竹の花が咲いているのを見たという。自分が若い時に爺さんから聞いた話だが、竹の花は60年に一度しか咲かないこと。その後竹林ごとに消滅して新たな種として生まれ変わるが、花が咲くのと合わせて世の中では不吉なことが起こるという。今の世界情勢を見ると、確かに大変なことが起きている。地球温暖化による災害や地域戦争等々で、それは不思議に竹の花の咲くのと合わせて起こっているようにも思えると。竹は島のいたるところで見るが、花びらのつかない花(写真)は注意して見ないと分からない。昔の人は、竹の花を不吉な出来事が起こるなどと戒めにしたのかも知れない。
368号:レベルアップする馬場崎公園
今朝は雨模様の曇り空。裏の物見台に上がり馬場崎公園を見渡すと、子供公園プール横の東屋の取り壊し作業が行われていた。コンクリート屋根の崩壊が進む中で、昨年市への要望書に上げた事だが建て替えられることになった。隣のプールは、勝本浦まち協でペンキの塗り替えを行ったが、東屋と共に継続が約束されたことになる。ここに加えて進行中が、約50m四方の広場。ここはグランドゴルフ仲間で改修に取り組み、半分を使用できるようにしたところで県振興局と市に残り半分の改修を依頼し着工することになった。主体的に改修に取り組む市民の活動について、県と市が支援するという自治の基本モデルとなる事業と言える。そのような中、馬場崎公園は利用者の増加が見られるようになった。ウォーキング、ジョギングの人々、犬の散歩、子供連れの家族、ボール遊びする正月里帰りの若者グループ、それにグランドゴルフの人々。勝本港は4月にフランスの大型観光船入港、8月は朝鮮通信使船入港。歴史と文化豊かな勝本浦は、壱岐の観光スポット化が自然と進む。
367号:2024年元旦のニュース
2024年元旦の新聞トップに、「昭和99年、ニッポン反転」とあり、「日本は停滞から抜け出す好機にある。物価と賃金が上がれば、凝り固まった社会は動き出す。日本を世界第2位の経済大国に成長させた昭和の社会システムは、99年目となると時代に合わなくなった。日本を「古き良き」から解き放ち、作り変える。経済の若返りに向けて反転する。」とあった。戦後生まれの私にはよく理解できる内容で、孫にはそれぞれに頑張ってほしいと願った。が、夕刻の「石川県能登、震度7」のニュースと、被害の状況を見て驚いた。昭和の成長期は人口増加に伴い列島改造が進んだが、その外港も津波に飲まれていた。そして、正月2日目の夕刻には、「羽田空港で、日本航空機が着陸直後に海上保安庁の航空機(被災地に物資搬送中)と衝突」のニュースが走った。恐ろしい事故だが、どうして衝突が起こったのだろう?などなど忘れられない2024年のスタートになった。
366号:入院生活の変化
「自ら考え行動する」という人間の力を「生きる力」と言う。今年は3月に1か月入院、身体の中にあった腫瘍を除去。今回は他に転移したものが一つあり、服薬し4分の一になったが、その区域を切除した方がよいとの判断を頂き、22日入院、25日手術、29日に退院した。その間に変化したことは、ベッドに横になったのは、就寝以外は術後の午前のみだったこと。院内コンビニ開店の午前7時に日経新聞を購入。朝食を済ませベッド横の椅子に座り読み終え、iPADでニュース検索すると10時半過ぎになる。その後は、ウォーキングを兼ねて患者専用ルームに出かけ、相方勧めの「上級ナンプレ」を1~2問解いて部屋に戻る。昼食後も数回繰り返す。そして、夕刻にシャワーに入り、夜はテレビ視聴を楽しむ。28日は「オールスター合唱バトル2023冬」があった。歌唱力に定評のある芸能人140人が、20人一組のチームとなり各2曲を熱唱した。参加者が涙を流したのが、レスリングの吉田沙保里がリーダーを務めた「歌ウマアスリート合唱団」の「Hero」。私も自然に涙が流れた。リオオリンピック放送テーマソングで、歌詞の体現者が奏でる合唱に皆が感動を受けた。入院を通して感じたのは、人は「生きる力」を失わないようにしなければいけないこと。
365号:冬の寒さ対策
日本中がそうですが、先週末から突然に冬を感じる寒さが訪れた気がする。庭にはサザンカの蕾が開きもうすぐ満開と思っていたが、強い風雨で飛ばされてしまった。逆に、相方が年末用にと買った鉢植えのチューリップは、部屋のエアコンで早速に開花しエアコン無しの部屋に移ることになった。若い時には、寒さもなんとなく受け入れたが、今はそうはいかなくなった。寝るときに気になる足元の冷えは、相方の勧めでレッグウォーマーと靴下を付けるようになった。以前は女子用と思い気にも留めなかったが、高齢の今は必要を十分に感じるようになった。これからは寒さ対策というか、高齢対策の物事が多くなるように思われるが、くい止める活動が大切。そのよき活動場所の馬場崎公園(外港埋立地)は、強い「波風」の吹くところ。素人の初植えキュウリ、白菜、キャベツは全滅で、大根のみが収穫できた。世界的な気候変動の影響を、離島壱岐でも身近に感じながら過ごしています。
364号:船の事故
昨日12日は、久しぶりに一日中強い風雨が続いた。テレビには、対馬への暴風警報発出のテロップが流れた。そのような中、朝方に壱岐・対馬と博多をつなぐ高速艇「ヴィーナス2」のエンジンがかからなくなり、南に流されている」というニュースが入った。ビックリしたが、しばらくしてエンジンがかかり芦辺港に入港、乗客乗員にけがなしとのこと。船のエンジン停止による漂流は、高校2年生のとき県高体連に出場する壱岐と呼子を結ぶフェリーで経験した。バレー部の私はボール一個を持ちデッキにいた。が、エンジンが止まり見る見るうちに島影が遠くなった。その時思ったのは、船がひっくり返っても自分はボールがあるので助かると思っていたこと。海の中で誰か助けを求めてきたらどうしようかとも考えた。幸いエンジンがかかり港に上陸したが、仲間は船室で救命道具を着用し待機していたとのこと。今の高速艇はよく利用する。が、一階に海水が入り2階に移り救命道具を付けたと聞くと大変な状況だったことがよくわかる。ウキ代わりになるボールを持ち悠々と過ごすデッキなどはないのです。
市民の主体的活動
壱岐市自治基本条例の基本原則に、「まちづくりの主体は市民であり、市議会及び市長等は、市民の自主性を尊重するとともに、その取り組みを支援すること」とある。今年は、外港埋立地の荒れた「馬場崎公園広場」を使えるよう取組を始めたが、11月末に「壱岐振興局建設課」と「壱岐市水産課」の支援を受けて広場全体の改修へと進んだ。作業は、手付かずの広場半分の掘り返し、草の除去、地固めとなるが、今はグランドゴルフ仲間が草の除去(写真)に取り組んでいるところ。これが終了すると地固めがあり、その後には念願のグランドゴルフ8ホールが完成する。数人で始めた広場改修が、まさか全体にまで及ぶとは考えられなかった。公共財の管理に、主体的に取り組む市民の姿勢が評価され支援につながったよき事例と言える。少子高齢化の中、地域に多くの課題があるが、解決に向けて市民の主体的な活動が欠かせない。勝本まち協には、このような取り組みを支える登録ボランティアグループの制度がある。
博多ベイサイドシティ
昨日28日は、県民体育祭グランドゴルフ競技出場の打ち上げ、市の自治条例審議会と予定詰まりだったが、CT検査の博多通いで両者ともに欠席となった。島外に出ることは少ないが、高齢者は病院通いが多い。待合室で出会わす知人も、多くが病院通い。港に着くと病院名を書いた患者送迎の人も立っている。昨日は、行きは9時35分郷ノ浦発ビーナス、帰りは20時35分博多発フェリーで22時55分に壱岐着。検査が午前の場合は帰りも高速艇ビーナス利用と、壱岐・博多間の往来は便利になった。が、フェリーの場合は、時間過ごしが大変になる。夕食は大丸(福岡天神)6Fの「高玉」でお寿司、その後のフェリー待合室と船内の時間は、主に相方の薦めで取組中の数字合わせ「ナンプレ上級」で過ごした。これには初段、師範代、師範、仙人、神と段階がある。今は初段だが、お陰でサクサクと解けるようになった。写真は、ナイトアップされた博多タワー。
361号:久しぶりの東京
先週17日、壱岐発9時35分の高速艇ビーナス、福岡空港から飛行機へと乗り継ぎ午後2時過ぎに羽田空港に到着した。18日開催の関東島原商業高校同窓会への出席が目的だったが、宿を会場の東京ガーデンパレスホテルに取り4泊5日の旅とした。会は私が25歳から33歳まで8年間勤めた時の生徒が主で、会長は2年目に担任をした1年3組の生徒(小嶺監督率いるサッカー部長)だった。挨拶等は他にはない型破りが多く、締めは三さん七拍子、二次会も担任生徒の「鍋ヒデ」と楽しい会だった。後の日は、孔子を祀るお茶の水の「湯島聖堂」で大学受験を控えた孫の合格祈願、東京住まいの娘家族との昼食会、8年間勤めた杉並学院高等学校と東横沿線の相方の実家訪問。そして、懐かしの伊勢丹デパートで買い物と予定をこなして、21日は首都から壱岐へという風景等の変化を十分に体感し、自然の景色豊かな島へ戻った。今日は午後からグランドゴルフ、土産に買った東京アメを手にしての参加です。
360号:車座の飲み会
数日の寒気も去り今朝は気持ちよい朝で、庭の木々や草花への水撒きを終えたところです。水撒きは新たに植えた木や花へと偏りがちでしたが、この頃は全体へと広がりました。水を得た若葉は、朝日を受けてとてもきれいです。ところで、先週の11日は長崎県民大会グランドゴルフ競技に出かけてきました。昨年は3ゲームで5つのホールインワンが出て優勝でしたが、今回は対戦チームの大村市に6つのホールインワンが出て敗戦。順位は16チームの11位、女子は16チームの5位でした。初出場の私は、8ホール3ゲーム(8ホールをパー3打で回ると24打)を、21・20・18の合計59打でまずまずの成績でした。が、大会より盛り上がったのが、壱岐・唐津航路のフェリー船内での「車座の酒飲み会」です。近年は自重を迫られ見かけることが少なくなりましたが、高齢者にとっては何よりの楽しみで自然に行われるのです。漁師の仲間がこの会の為にと前日に釣り上げてきた生きのよい刺身と、水入れのペットボトルに入れた焼酎が出されて、船が走り出すと会が盛り上がるのです。県大会出場は、島から出て何事かを体験することの大切さを感じさせてくれました。写真は、東京昭和公園の冬の花です。
359号:庭の手入れ
我が家の庭(花壇)には、大昔からある柿の木が2本、それに母が植えたキンカンと桃が各1本あった。が、帰郷後にミカンとキンカンを各1本、ブルーベリー2本を植え、先週3本のブルーベリーを追加した。朝花壇を見ると、キンカンの葉がおかしいことから、近づいて見ると緑色の幼虫2匹を見つけた。ついでにミカンの木を見ると、そこにも丸々と太ったのが一匹いた。気付かなかったら若葉が無くなるところで、幼虫は適切に処置した。そして、手付かずだった畑は電動耕運機で耕して終了。その後は、裏の石垣から顔を出している草取りと、石垣強化のセメント入れと続く予定。また、週末の11日は、長崎県民体育大会のグランド・ゴルフ競技出場で佐世保市へ出かけることになった。壱岐の代表となった正村チームで、選手1名の補充が必要になり代理の依頼を受けた。今朝は8時半から大会に向けた練習。昔の老人とは違う高齢者達です。写真は、各木に一つと貴重な渋柿。
358号:久しぶりの魚釣り
相方にならい3年間の日記帳2冊目が、残すところ2ヵ月になった。昨年の10・11月の記録を見ると、体調不良からこのままでは75歳以降を生き抜くのは大変と酒を断ち、病院通いをしていたことが分かる。その状態も今年の2月末に症状として現れ、1か月の入院・手術を経て4月に退院、その後半年間の化学療法を受けて快復。今は投薬等もなく身体が元に戻りつつあるのを感じるようになった。そのせいか、手薄になっていた庭や畑の手入れにも自然と身体が向かい、グランドゴルフ遊び後の夕刻に波止場に出かけて釣りもするようになった。釣りは小アジ釣り2回、10月29日はクロ釣りに出かけ30分ほどでアラカブ1匹、クロ2匹(写真)が釣れた。漁師のおじさんに倣った漁法(エサで小魚を寄せて釣糸を入れる)だが上手くいった。今は勝本浦まちづくり、高齢者の遊び場所(GGグランド)の拡張、自治条例検証審議委員等で、家でゴロゴロする暇なしです。
357号:GG広場の改修
今週は、22日の勝本浦敬老GG大会、24日の勝本町GG大会と二つの大会が続いた。22日はまちづくり協議会による敬老事業の一環、24日は壱岐市大会に向けた予選会だった。GG遊びは、荒れた旧ゲートボール場を改修したのがスタートだったが、今は色々な大会に参加するようになった。昨年の勝本町GG大会は団体優勝、今年は準優勝、個人戦で3位の賞をいただいたが、練習場の馬場崎公園(広場)に50mのコースを作ったことから腕前が上った。広場はGG仲間の自発的な取り組みで改修してきたが、残り半分の荒地の改修を市役所と振興局に依頼することにした。15m・25m・30mの3コースから、15 m・50m(2コース)を追加し6コースにしたところだが、コース拡張工事が終われば8コースになり広場活用の範囲が広くなる。工事はグランドの掘起こし、草の除去と土慣らし、整地と3過程となるが、草の除去と土慣らし作業はGG仲間が行うことにした。荒地の広場が、まさか8コースのGG広場になるとは最初は思いもよらなかったが、市民(利用者)の主体的な取り組みと役所の連携で可能となった。地域活性化のよき事例となるような出来事です。写真の右側が、改修予定地。
356号:勝本浦の秋祭り
勝本浦は、10月10日から14日が聖母宮の祭、15日に港祭りと秋の祭りが続いた。聖母宮は、勝本浦と在部の可須地区の氏神で、その規模は最大で祭典も盛大かつ華やかと言われてきた。私が小さい頃は、10日は聖母宮からお仮堂までの神輿のお船旅(御遷幸)、12日はお仮堂の前で芝居、14日を特に大祭といい、2隻の船による船競漕(フナゴロ)があり、終わるとお仮堂から陸路を通り聖母宮へ御還幸、暗くなってから馬石前で芝居があった。そして、15日は港祭りと言って午前は漁船による海上パレード(写真)、午後は小学生による鼓笛隊や仮装行列と賑わった。しかし、人口減少及び少子高齢化等の中で、芝居が無くなるなど祭り行事は縮小傾向にある。江戸時代の話ですが、聖母宮の祭神は神功皇后、対岸の元浦の印鑰神社の祭神は神功皇后の相方の仲哀天皇ということから、御遷幸の神輿は印鑰神社の下の浜の小屋に御泊めした。聖母宮の祭りは、年に一回妻が夫の所へ通うという素敵な物語も秘めているのです。
355号:島商同窓会
10月8日(日)は島原市へ出かけ、25歳から33歳まで8年間勤めた島原商業高校で、クラス担任を務めた生徒の同窓会に出席した。前回は自家用車で出かけたが、今回は博多駅から諫早駅まで新幹線、島原までは電車に乗った。この電車は50年前になるが、上対馬から島原への異動が決まった春に、結婚式を挙げて諫早から島原まで外の景色を眺めながら思いをめぐらした思い出の電車。島原商業高校では3年目と8年目に3年生の担任となり卒業生を送り出したが、今回は61歳を迎えた8年目の生徒の同窓会。顔を見ても誰かとすぐには分からないため、卒業アルバムを持ち込んだが、高齢になると年の差が縮まりますねとの声があった。次は、22年間の東京在職中によく交流した3年目の卒業生が中心の関東島商同窓会(11月)に出席する予定。生徒からの誘いは、教師としてはとても嬉しいこと。だが、出席可能な気力と体力の維持が大切になる。写真は、懐かしの島鉄電車。
354号:勝本浦まちづくり協議会の敬老事業
まちづくり協議会は、3年前の1月に開所した。小学校単位の地域が一体となり、地域の課題について住民が主体となって問題を解決しながら、地域を持続可能な町にしていくのが目的となっている。この目的に沿い色々な事業を行っているが、敬老事業は多くの参加者を得て活動がなされている。その一つに「壱岐めぐりバスツアー(10月1日と8日」があり、私たち夫婦は1日のツアー(38名)に参加した。その中で一番盛り上がったのは、湯ノ本浦にある温泉での昼食時(ビールと焼酎は有志が自主的に持参)のこと。2階に場所を取ったグループは、店の主人を呼んでカラオケの使用ができるよう依頼。顔見知りの主人はすぐに準備を終え、カラオケ大会が始まった。1時間半ほどの昼食時間もあっという間にすぎたが、数人から次の猿岩見学はいかずに、ここでカラオケをしているので、バスの帰りに迎えに来てほしいという声が飛んだ。しかし、このことはかなわず記念写真撮影場所の猿岩に向かった。宴会はカラオケが付きものだった高齢者にとって、今も余興にはカラオケは欠かせない。場のムードがさっと変わる、歌声などすごい馬力です。
353号:庭の月桂樹
家の庭には、経済成長期の花いっぱい運動の影響と思うが、母が植えた花木が沢山あった。問題は管理で、母は年に2回ほど園芸屋に枝木の剪定を頼んでいた。今は自分で行っているが外の活動で少しおろそかになり、3本の月桂樹は周りに新たな枝が生え剪定が必要になった。そこで枝を切り払ったが、これを挿し木にして馬場崎公園広場に植えたらと思った。まずは16日に広っぱ農園の西側に8本を植え、18日に30本を広場の北側に植えその間に庭で集めた椿の種をまいた。そして今朝(27日)は、旧ゲートボール場に出かけ、去年植えたアジサイ(13本)の中で枯れた1本の跡と、新しく3本の挿し木をした。来年は16本のアジサイの花や広場の月桂樹や椿の育ちを楽しむことができれば思う。馬場崎公園では、いろいろな取り組みを行っているが、協力してくれるGG仲間がいるからこそ。お陰で暇なしの毎日が送れています
352号:テントの設置
馬場崎公園のテントは、ヒマヒッカグ会男子高齢者「物言いグループ」のために昨年は設置した。今年も同じようになると思い、小屋に保管していた骨組みを外に置いたがそのままだった。そこで、公園広場でグランドゴルフをするグループの休み場所に活用したらと思い、骨組みを広場の畑の北側に移した。そしたら、9月11日の練習終了後に仲間から今日は男が4人いるのでテント立てをしようという声があり組み立てを終えた。13日の練習時には、屋根張りを終えたテント(写真)が仲間の集まり場、休み場となった。こうしたらよいと思うことが実現するのは、仲間漁師の技術(部品の組立てや紐の結び方等)があるからこそ。馬場先公園はいつの間にか、市民主体で変化(進化)していくような気がします。グランドゴルフコース整備・畑づくり・テント立て、さて次は何でしょうか。
351号:初の作物植え
馬場崎公園の広場に作った畑(広っぱ農園)に、初めてとなる作物を植えるために畝を作り、10日(日曜日)に園芸店に出かけた。店先にいくつもの苗が並べてあったが、店主の勧めでキュウリ5個、キャベツ8個、白菜8個を購入することにした。そして、まち協のボランティアグループ(広っぱ馬場崎)の代表と共に植え付けを行い、水かけを済ませた。これからが大変だが、11日の朝に出かけると水かけが終わっていた。公園内には、旧ゲートボール場の花壇、新たに作った広場の畑と日々の管理が必要な場所だが、協働心の強い爺さん・婆さんのお陰で進められている。畑(写真)には、まだ作物を植える余裕がある。GG仲間からは、そこにも何か植えたらという声が届く。が、これからの管理(草刈り等)に、皆さんの協力があればそれも可能ですと答えている。みんなの力で、広っぱ農園が憩いの場となることを願っている。
広っぱ農園
馬場崎公園は、馬場崎町から仲折町にまたがる海岸埋立地である。馬場崎町の崎の字は、私の記憶では先だったが、いつの間にか崎になっていた。馬場先の町名の由来は、町の先に馬を休ませる馬場があったからで、海に突き出た崎ではない。そして、人口増加の折に次男・三男対策として、馬場は住宅地となり今がある。多くの人は知らないと思うが、平城京の時代に置かれた駅家(うまや)や、豊臣秀吉による朝鮮派兵の際に馬場となった所である。その海岸埋立地の広場について、有志が集まりグランドゴルフが出来るように整地をし、15m(2ホール)、25m、30m、50m(2ホール)でプレーを楽しむことができるようになったが、次に畑(写真の手前の部分)を作ることにした。畑の名は「広っぱ農園」、今は何を植えようか等々、皆で思案中です。
9月の始まり
ここ数日、朝の港を眺めると勝本浦が水の上に浮かんだように見える。今は大潮(満月の前後数日間で、潮の満ち引きによる水位の差が最も大きくなる)の状態という。中央公民館前などの低地は、道路に海水があふれた跡が見える。この大潮と台風が重なれば、大きな災害につながりかねない状況にあることは、皆で理解しておく必要がある。そのような中、8月末には家族にとっての大事があったが、子供達が帰省し家族内で無事に諸事を済ますことができた。そして9月に入り、外気からも秋の涼しさを感じるようになった。昨日は夕方に釣りに出かけアオハタとクロを釣りあげ、今朝は馬場崎広場でのGG(グランドゴルフ)と草刈りに参加した。老後は何かやるべきことを持つことが大切。馬場崎外港の埋立地の公園や広場について、皆が楽しむことのできる場となるようにしていきたい。協力者が増えつつあることは、嬉しいことです。写真は、鹿ノ下東町。山上の赤屋根は琴平町の金刀比羅神社。
348号:第105回全国高校野球選手権大会
昨日の午後は、夏の甲子園球場で開催された決勝戦、仙台育英(宮城)と慶応(神奈川)の対戦を楽しんだ。試合は夏連覇を目指した仙台育英を、慶應が8対2で下し1916(大正6)年以来107年ぶりの優勝を飾った。閉会式の校歌斉唱は、相方がテレビの前で起立し共に歌っていた。慶応との付き合いが始まったきっかけは、長崎県教育庁から当時の文部省への移動だった。その移動により4女と長男は東京都の中学、小学校へ転向。そして、4女は東京都の三田にある慶応女子高等学校、長男は神奈川県の日吉にある慶應義塾普通部で学ぶことになった。お陰で入学・卒業式、文化祭、体育祭などを通じて「自ら学び、自ら考え日々こつこつと学びを続ける」という、建学の精神を体感する機会が持てた。昨日の決勝戦も、選手の自主性を重視し、選手自身が考える「エンジョイ・ベースボール」を垣間見たような気がする。思い出に残る一日でした。
347号:夏の終わり
お盆が過ぎると夏の終わりを感じるほどに、空の様子が変わり暑さも和らぐ、小さい頃から感じていたこと。勝本浦では盆が終わると、海には「盆フカ」が来ると言って、子供たちが海遊びをすることを諫めてきた。その盆の間に、我が家は子供三人の家族が帰宅し、多い時で11人が一緒に過ごした。爺・婆を入れると13人で、事前の買い物など十分な準備をして賄いができた。次は孫6人の遊び対応。昔は辰の島・串山海水浴場に出かけたが、小さい孫には歩いて行ける馬場崎公園プール遊びがお気に入り。それに魚釣り、事前に波止場に出てエサを撒いて魚がいるかどうか確かめたが、思うように集まらなかった。が、当日はクロ、ハマチ、石鯛、アジ、ボタッチョなどが釣れた。そして、13日は勝本浦ならではの近距離打上げ花火を、頭上に見て楽しむことができた。
346号:台風6号
夏休みに入り、先週まで熱中症を心配するほどに熱い日が続いた。そこに九州南方に台風6号が発生、進路予報からすると日本には近づかないと思っていた。が、ノロノロと迷走の6号は、方向転換のすえ針路を北に向けた。そして今日(9日)の夜は壱岐の島に最接近という。漁業の町(勝本浦)は台風には敏感で、一昨日に港内の安全な場所へと漁船が泊められた。備え十分というところだが、問題は帰郷予定の家族が変更を余儀なくされていること。長男の私は、盆と正月は子供連れで必ず帰省したものだが、港で幾度も足止めになったことがある。そのせいか相方は、船の予約は欠航を予測して翌日分も取るようになった。明日(9日)帰省予定だった子供家族は、ネット予約の変更に大変の様子。ノロノロの6号台風が、早く通り抜けてくれるようにと祈っている。写真は、台風に備えて係船された漁船。江戸時代の朝鮮通信使の日記にも、この港で台風にあったという記述がある。
345号:賑わい始めた子供プール
343号で「子供プールの改修」を取り上げたが、夏休みに入り利用者の姿が目立つようになってきた。今日は昼からプールを見に行くと、2家族の子供の姿があった。汚れたままのプールと東屋の改修要望が市民から上がり、市と振興局に届けられていたが、夏を前に「勝本浦まちづくり協議会」でプールのペンキ塗りを済ませた。そして今日は、郷ノ浦から車で3人の子供を連れた母さんと婆さんから感謝の声が届き、改修して本当によかったと感じた。しかし東屋(休み場)の柱には、県振興局建設課の名が入った立ち入り禁止のロープが張られたまま。見かねた勝本まち協の「地域づくり部会長」の、心のこもる手作り椅子2組が置かれている。私は7月20日付で、壱岐市自治基本条例審議会委員の委嘱を受けて、2018年作成の条例の見直し検証を行うことになった。基本原則には、「まちづくりの主体は市民であり市議会及び市長等は、①情報提供に努めること、③市民の自主性を尊重するとともに、その取り組みを支援すること」とある。その原則に基づいた行政が、行われているかどうかの検証と見直しを行う。が、設置5年後の姿が今である。市民条例勉強会等を開けば・・きっと楽しいに違いない。
344号:夏の始まり
火曜日(25日)、気象庁から九州北部の梅雨明けが発表された。平年より6日遅く、昨年より3日遅い梅雨明けという。壱岐も晴れの続きで、外に出ると日照りが強くいよいよ夏かと思う。夏といえば様々な行事がある。代表的なのはお盆だが、家族にとって墓掃除が一番の仕事になる。湾岸に沿った浦の墓は、背後の丘陵地に持つ家が多く大変な作業になる。我が家は、月曜日の夕方にお墓の草取りと周りの木々の剪定を済ませ、火曜日に掃き掃除を行った。用具は、草刈り機、剪定ハサミ、枝切りハサミ、ノコギリ、ほうき等で、日中の重労働はこの先どうなるのやらと思う。そして、隣の中折町は23日に弁天様の祭り、正村町は8月1日に祇園様の祭りと続く。奉納神楽に浦中から人々が集まったが、近年は少子高齢化の影響か、担当役員の姿が目立ち大変化した感がする。写真は、弁財天を合祀する中折の厳島神社(祭神は市杵島姫命)。大和政権が朝鮮との通交の島々に祀った海の神の社で、ここは海の瀬だった。
343号:子供プールの改修
馬場崎公園には、壱岐市唯一の室外子供プールがある。このプールと傍にある鉄筋コンクリートの東屋(休憩用の建物)は、劣化が進み改修要望が続けられてきた。が、今年度は話し合いを経てまちづくり協議会でプールの改修、県振興局建設課で東屋の改修を行うようになった。お陰で夏休みを前にしてプールのペイント塗りは完成間近だが、東屋は立ち入り禁止の張り紙があり改修は11月頃という。その光景を眺める人からは、プール遊びの子供、付き添いの親や爺・婆の健康管理(熱中症等)は大丈夫かという声が届いた。そこで担当課に状況を聞くと、東屋は早期着工が難しいことから仮設テントの設置について検討中という回答を得た。平成の市町村合併で4町が壱岐市に一本化され、行政が遠くなった気がするが、課題はきちんとした手続きを経て解決していくことが大切と思う。昔は担当課を通さず、行政トップや議員への依頼が多かったように思うが、正当な手順を理解し意見や要望を届けることが重要になっている。
342号:大相撲夏(名古屋)場所
今週は全国的な大雨が続き、壱岐も同じように雨続きだったが大きな被害が及ぶことはなかった。雨で困ることと言えば、外での遊びや活動ができないこと。さらに困ることは家での楽しみとするスポーツ番組も昼間は少ないこと。だが、9日に始まった大相撲は昼間の退屈をしのいでくれる。それに今場所は話題が多い。大関を目指す豊昇龍、大栄翔、若元春の3関脇と新入幕の豪の山、湘南の海、伯桜鵬。この6関取は2日目まで2連勝だったが、3日目は4関取に黒星がついた。おまけに横綱照ノ富士も。長い時間がかかるチームプレーと比べ相撲は、取組ごとに力士が変わるので、関心の相撲以外は自由時間として動きやすい。この大相撲も一人横綱と一大関で仕切ってきたが、今は転換点にあるように思う。次の座を目指して、個性十分な多くの力士が懸命の相撲を取ることで、土俵に面白みが増している。
341号:朝鮮通信使
先週水曜日は、大阪から3人のお客さんがあった。その2週間ほど前に一人から電話が届いた。岸和田市に住んでいる女性で、第10回朝鮮通信使の日記を読むなか勝本浦があり、調べ中にホームページ見つけ壱岐市、勝本まち協と電話し私に辿りついたとのこと。6月28日に来島ということで対応を約束した。目的は通信使の日記の記述の確認で ①入港した港 ②館舎 ③聖母宮と海の神(志賀神社) ④対馬を眺めた高台 ⑤見物した鯨組の館。当日の午後は自宅に迎えて、勝本浦案内パンフレットを用いて説明した後、車で確認の場所を案内し宿まで送った。宿は奈良時代に全国に16㎞おきに置かれた駅家(うまや)のあった馬場崎の福屋荘。3人は翌早朝に77段の石階段を上って海の神(志賀神社)にお参りするとともに、山の高台に出かけ対馬を望んだりしたという。4月には、通信使の足跡をたどる日韓の友情ウオークの団が訪れた。江戸時代の200年ほどの間に朝鮮通信使が19回寄港した勝本浦が、日韓友好が進むなか関心を集めています。
340号:個性の伸長
戦後生まれの世代は、「画一平等で、知識を一方的に教え込む教育」が問題となった農業社会で学び、工業社会を経て、サービス業従事者トップのサービス社会で定年を迎えた。その中、教育は「全体のレベルアップ」から「個性を生かす教育」へ進んだ。この頃スポーツ番組をよく見るが、野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、サッカー男子日本代表のキリンチャレンジカップ、バレーボール男子日本代表のネーションズリーグでは、世界の強豪と戦う代表選手の姿に感動した。特に感じたのは、外国選手を翻弄する姿だが、外国チームに籍をおき活動する選手が多いこと。また、どうしてこのような人材が育ったのか考えると、自ら学び考え行動する個性伸長の教育とも思う。選手の態度や言葉も様変わりした。特に大谷選手の決勝戦を前にした声出しで、大リーグの選手に「憧れるのをやめましょう。憧れてしまったら、超えられない。憧れを捨てて、勝つことだけ考えましょう」がある。写真は、壱岐の島で「自ら考え行動する力」を身に付けた戦後世代の高校生。
339号:不易と流行
この言葉は、俳人松尾芭蕉が説いた俳諧の理念と言われている。時代をこえて変わらないものと、時代とともに変化していくもの、この両面をしっかり認識することが大切とする説。今はこの大切さを感じる。流行は、国民に配布されたマイナンバーカード。情報通信はアナログ携帯電話(1G)から、今は第4世代(4G)のスマートフォンへと発展した。国はマイナンバーカードの普及を図るため、スマホからサービスを受けられるようにしたが登録ミス等が相次いでいる。地方も同じで、時代と共に変化していくものへの対応は外部任せが問題になっている。東京オリンピックや地方の補助金による新規事業等だが、事業成否について聞かれたある役所は、補助金なので心配はないと謎めいた発言もあったという。不易は、地方に根付いた自然や行事等が新たな観光魅力となっていると聞く。明日(22日)は旧の節句、町内の家門にはカヤとヨモギが飾られているが、年々減少しているように感じる。不易と流行の認識が、改めて大切になっている。
338号:ナスとスイカ
裏の畑は、不作の影響もありしばらく放置状態だった。そのせいか畑には草が生い茂った。いつかは除草を行い耕すことが必要と思っていたが、鍬とスコップを使った作業は大変になったことから、今後を考え電気耕運機を購入した。家中の電源コンセントに延長コード(20m)の電源プラグを差し込み動かす。何とも言えない光景だが、石垣に囲まれた屋敷内の畑は人目を気にする必要がないことが何より。お陰でナス4苗とスイカ4苗を植えることができた。スイカは毎年植えたがナスは初めて、花が咲き今は実が大きくなりつつある。添え木が要らないかと「ナスの育て方」をネット検索すると、植え付け、支柱立て、土寄せ、わき芽摘みとあった。また、ナスの一番花が咲くと、その下に「わき芽」が生えるので、主枝とわき芽を2本だけ残し「3本仕立て」で育てるようにすることがポイントとある。植えるだけでは育たない。農業とは大変手のかかる仕事です。
337号:壱岐・対馬交流グランドゴルフ大会
5日(月)は、芦辺港ターミナルビルのすぐ傍にあるイオン店横芝生広場で、壱岐(約140名)と対馬(約120名)のグランドゴルフ交流大会(個人戦)が開催された。参加料700円。対馬からの選手は厳原・美津島、比田勝のGGグループが、厳原発6時45分、芦辺着7時50分着のビーナス(写真)で来島。港から数分の会場まで徒歩でお見えになった。住む場所を離れて羽を伸ばすのは楽しいこと、到着の姿からそう感じた。試合中は今朝2時に起きたという声があった。対馬は南北に長い地形で、北部の比田勝から南部の厳原までタクシーで約2時間、なるほどと思った。また試合後の楽しみは、一泊の温泉宿ということ。人口減少下の高齢者は、家でゴロゴロさせるより外に担ぎ出す方が経済的効果大。が、後期高齢者は相当な意義を感じないとそうはいかない。開会式の長話や来賓祝辞(代読)も省略する必要がある。
336号:よみがえる公園広場
勝本浦の外港埋立地に造られた馬場崎公園には、子供公園、プール、ゲートボール場、運動広場がある。子供公園とプールは継続利用中、ゲートボール場はGG場に改修したが、草ぼうぼうの50m四方の運動広場は放置された状態だった。そこで考えたのは、利用できるように整地できないかということ。昨年、市へ整地の要望書を提出したが前に進む気配がなく、有志で改修に取り組むことにした。改修を可能にしたのは、まちづくり協議会で購入した耕運機、草刈り機、芝刈り機だった。①耕運機に草刈り用の刃をつけ地面を掘り起こす。②草を除き平らにならす。③真砂土を入れてローラーをかける。写真は作業半ばの広場。管理する市は、除草を外部委託し責任を果たしていると思っているかもしれないが、今は利用ができない状態にある。広場に恵まれない浦部の埋立地をきれいにしてよき広場とするには、利用者自らが整備に関わる意識を育てることが大切。市は公有地管理の在り方について一考する必要がある。
335号:朝市であさごはん
「朝市であさごはん」は、勝本浦まちづくり協議会の事業で今回2回目となる。浦部の中心街に位置する黒瀬商店街駐車場で8時から開催。去年と違うのは高校生ボランティアの参加と副食にアジの干物の他にヨコスジフエダイの干物、イサキやアジのフライ、みそ汁に鯛とイッサキのすり身が加わったことがある。私はアジのフライを選び、地元産魚の美味しさを味わった。副食の追加は、勝本浦の魚を多くの人に届けようと起業した壮年期の男子によるもので、勝本産魚の加工販売など新たな道を開いてくれそうな気がする。漁業の町勝本浦は、就職といえば団塊世代の頃は地元志向が強く漁業以外では漁協、農協、町役場が主だった。が、子供たち世代の40歳前後は島外に仕事を求め、後に帰島し起業を志す者が見られるようになった。勝本浦の活性化には、観光に対応した産業の創出や未来に挑戦する起業家の出現が重要になる。今月は「酒造喫茶との」、「焼鳥かわかみ」が新たにスタートした。
334号:整地用ローラー
高齢者には、若い頃に培った確かな知識や技能を持つ者がいる。それは公園のグランドゴルフ場でよく見たり聞いたりする。草ぼうぼうのコートや花壇、土が詰まった溝、古くなった小屋の美化に努める中で分かったが、特に今回の整地用ローラー(写真)は見事だった。業者に調達を依頼しても回答無し。そのような中、ヒマヒッカグ会の仲間から製作の話があった。①コンクリートの回転体を造るための型枠製作。②回転体を引く取っ手製作。③溶接仕上げ。という手順になるが、仲間は型枠(FRPを円形にし回転体を固定する枠)を製作し、セメントと砂を流し入れ回転体を製作。取っ手(ステンパイプ)は外注し、早々に整地用ローラーが出来上がった。他にも周りの遊休地は、市の依頼を受けた業者による除草が続いてきたが、我がコートはこれを中止。会員が植えた花や自然の花で賑わうようになり、6月には去年植えたアジサイの花が咲く。地方は色んな課題があるが、人口数トップの高齢者の対応によって見違えるようになる。
333号:こどもの日に想う
近年の少子化、人口減少で子供の生活や学習環境について議論が多くなった。戦後生まれの私達は、海と山を遊び場として無我夢中に過ごした思い出があるが今は違う。山が切り開かれ海は埋め立てられ、子供用の公園も造られた。が、気になることが多い。老人が遊ぶグランドゴルフ場の横にある子供プール(写真)。ここは市による廃止の声、市民による継続の要望を経て今に至っていると聞く。壱岐市唯一の子供プールで、帰省中の孫を連れた爺婆の姿もある。しかし、滑りそうになった、海水着に泥がついたなどの声が多い。「まちづくり協議会」では、市へ公園改修要望書を提出したところだが、夏を前にヒマヒッカグ(暇つぶし)会員から自分たちで改修しようという声が上がった。自分達の遊び場はきれいにしたが、隣の子供プールもきれいにしてやろうと。ヒマヒッカグ会は造船業、建設業・土木業で仕事をした者がいる。高い技術や知識を持つ高齢者を地域の活性化として活用できればと思う。8(月)日には、会員の手でグランドゴルフココート整地用の新しいローラーが完成した。
332号:健康維持について
75歳(後期高齢者)以上の課題は、健康維持と言える。その中で大切なのが適切な運動。都市はスポーツジムやフィットネスクラブ等があるが、地方はそうはいかない。自分たちで考え実行する力が求められる。文部科学省が子供に身に付けさせる資質としている「生きる力」である。幸い勝本浦には、老人の為に設置されたゲートボール場があった。そこをグランドゴルフ場に改修し、雨風の時以外は午後の2時間プレーを楽しむようになった。家の中でごろごろして過ごすことなく、お天道さまの下で動き回り、語り、笑いながらのひとときと言える。プレーはワンラウンド8ホールで行うが、すべて3打で回ると合計24打。ホールインワンは1打だがマイナス3打の褒美がつく。昨年の新記録は8打で、今年は6打が出た。そして先月、私が5打(ホールインワン3、バーディ4、パー1で14打、マイナス褒美9)で回った。この遊び場は、会員の手で花壇(写真)が造られたり、ホールインワンの際に鳴らす鐘が付けられたり改善が進んでいます。
331号:正村町の老人会
久しぶりの老人会は、半数の20名ほどの会となった。入会は61歳からで、当日誕生日を迎えた市議会議員も初参加、最高齢は90歳だった。私の出番は、開始前と懇親会で、皆が集まる頃に舞台のスクリーンに映像と歌詞付きの勝本小唄(ハアー博多ちょいと出りゃ 波間で招く ・・ソレ サッテモ勝本 勝本よいとこ・・)、舟グロ(赤い褌キリリとしめて 白いサラシを腹に巻く・・ヨイセ ヨイヤ ドッコイセ 港は祭りだ 舟グロだ)等を流した。そして、懇親会ではNHK放送のビデオ(舟グロを中心にした聖母宮大祭)を紹介。スクリーンに懐かしい顔が出ると、ヤアー○〇さんだとか、私の父が出ると、ヨー似ちょらっしゃるとの声が上がった。その後のカラオケは機器の故障のため、かけ放題スマホ持参者が歌を検索し、スマホ画面を見ながらの演奏となった。歌い手は椅子座り、回りの者は歌に耳を傾けながらの懇談で楽しいひとときを過ごした。
330号:心地よい朝のひととき
朝の食事を済ますと庭を歩く。春は緑がきれいで前日の雨の恵みを受けた草木(写真)はより活き活きした様子。そして、町内の人はどうしているかと通りに出るが、残念ながら人影がない。若者は仕事、子供たちは学校に出かけた後なので、残るは高齢者だがどうしているのだろうかと気をもむ。23(日)日は、我が町内は老人会「正村聖母会初会」の案内があった。午前11時から年度の予算・決算承認を経て、昼食と懇親会がある。そこで懇親会は皆が楽しむことができればと、40年前放送のNHK(明るい漁村 生きている年輪)と27年前編集の壱岐の唄(勝本音頭、舟グロ、壱州おけさ)をパソコン・プロジェクター・スピーカー・スクリーン)を用いて見ることができるように準備した。東京住まいの頃に同窓生の集まりで行っていたもので、壱岐の史跡当てや合併前の中学校の校歌などを入れた「壱岐の島検定」もある。機会があればいろんな集いで紹介できればと思っている。
329号:個性の伸長
9日の日経新聞文化欄に「聡太と翔平」というタイトルの記事が載せられていた。さて聞いたことがある名だが何だろうと目を通した。将棋界と米国野球界で名を馳せている藤井六冠と世界の二刀流大谷選手に関する内容だった。今は日本中が関心を持つ若者で、人の生き方・在り方に大きな影響というより、人々に夢を与え続けている。記事は、二人が野球や将棋に一筋であること。浮いた話がなく、暇があれば練習、高額所得者なのに派手にお金を使う話がなく、ひたすらAI勉強や科学的トレーニングに取り組む点を挙げて、遊びを共にした昔の勝負師との違いを述べていた。スポーツ好きの私が、もう一人関心を寄せているのが「哲也」。大相撲の宮城野部屋(元横綱大鵬)で令和の怪物と呼ばれている「落合」で、親方は相撲バカと言われるほどに頑張るよう指導しているという。難しいことだが、道を極める人は全身全霊を捧げる資質や能力にたけているのは間違いない。今はいろんな分野で、私たちに夢を与えてくれる日本人の活躍が目立つようになった。
328号:新埋立地
勝本港の埋立は2022年(令和4)年度完成予定だったので、本来なら今年の3月31日に完成していたことになる。が、途中で護岸一部に崩壊等がみられたことから設計変更が行われ遅れることになった。現在の状況は写真のとおりで、埋立後の姿をイメージできるほどになった。いろんな人に埋立てについて質問すると、もっと広く埋め立てるべき、そこに「道の駅」等の声が多い。が、①辰の島遊覧船の乗り場を移動し商店街と一体化させる。②観光バスの駐車場を設け壱岐北部の観光拠点にという目的は果たせる。壱岐の観光地に欠けることは、広場(休息場)が少ないこと。歩いて回るのみでなく、疲れたときに休む場所が必要になる。漁業+(プラス)観光の街を目指す勝本浦にとって大切なのは、美しい海の景観や史跡等を楽しく巡る環境を整えること。そのような観点で、まちの活性化を考えていくことができればと思う。
327号:動物との共生
コロナに関する世界的な規制緩和の動きと相まり、日本では海外の観光客が増え、花見のルールを伝えるニュースも賑やか。我が家の庭も、花いっぱい運動の名残を残す春の花が咲き始めた。その中に冬の間姿を見せなかった猫、飼い猫か野良猫か分からないが姿を見せ始めた。庭には餌となるものはひとつも置いてないが、日当たりが良いせいか気持ちよさそうに寝ている。不思議に思うのは排泄物がひとつもないこと。そしてたまに歩く町中では放し飼いの犬猫を滅多に見ることがなくなり生き物を飼う意識の変化が出てきていると思った。しかし来月から施行される長崎県動物愛護条例制定の記事に触れ壱岐市の現状を知るにつれよりいっそうの意識改革の必要性を感じた。年間殺処分される200頭以上の数字は長崎県内で群を抜く一位であること。餌となるものが豊富で、空き家が多い等々犬猫が生き延びる環境があることも事実。安易な飼育、飼育放棄も。元々は人が動物に持つ愛情がスタートだと思うが、無責任な飼育がもたらす結果が病気や野犬による人への危険へと巡ってくる。動物との共生は人としての意識の向上をより高く求められていると思う。
326号:空き家について
2023年3月15日、326号:空き家
空き家が全国的な話題となっている。地域ごとに実情は異なるが勝本浦でもカラーコーンが置いてあったり、更地にしたり、島外に住む後継者は活用を模索するようになった。戦後の団塊世代では、漁家の長男は中学を出ると跡継ぎ、次男、三男も多くが漁師として独立し、造成された宅地や町営アパートなどに住み漁師となった。しかし漁業主体の町も様々な社会変化の波を受け、島外に職を求めたり、島内でも女性の職が増え、また介護制度の充実で大きく生活が変化し、今まで当たり前だった多世代同居のスタイルを変えることになった。
敷地いっぱいに壁が隣家と接しているような大きな家屋は必要が無く、通勤用の車の駐車スペースが必要となり、次世代では親と別居の形も増えてきている。住まなくなった家は都会のように資産価値が高ければ売却等の選択肢もあるかもしれないがこの地では望めそうもない。管理する費用を捻出するのも大変な状況である。同世代で島外に出た仲間も留守宅を整備する為に帰島する頻度も年齢と共に少なくなっている。風光明媚に憧れ訪れる人々を朽ちた廃屋の町並みで迎えるのも悲しい。何か良い方法はないか、模索続きです。
325号:文章力について
受験シーズンも一段落。それぞれの春を迎える季節です。様々な試験の場で文章力を問われる記述式が増えていると思います。文章を読み解く力や相手に伝える能力が問われます。ここまでは今までの常識、解釈。今は私たち世代には無かった新しい世界が。ネットにはChatGPTの文字が。人工知能によって学習した大規模な言語モデル、文章が自動作成できる等々、しっかりと勉強しなければ理解できない新しい分野がでてきています。便利さに飛びつきたいのは山々、それでも原点をしっかりと踏まえねばと思います。私たち「ヒト」独自の誕生後の成長にはたくさんの学習と助力が必要という事実。生まれてすぐ立つことが「ヒト」はできないのです。必要なのはたくさんのコミュニケーション、伝達能力。子育て時代先輩に教えていただいた「はい」、「ありがとう」の二言は我が家の子育ての原点。人とのコミュニケーションと自分の気持ちを伝える第一歩の言葉です。そこからたくさんの言葉と文章へと繋がります。今は孫とのビデオチャットで一生懸命に手を振り笑顔を送る私達ジジババがいます。
324号:花への思い
今日から3月。年度末の忙しさ、次年度準備の多忙を極める日々で勤務時代は仕事以外に目を向ける余裕のない月でした。また子育ても同様、次のステップに上がる準備に追われこの季節に咲き誇る花を愛でる余裕もなく、卒業式、入学式の桜を気にしたくらいと思い起こしています。高齢者となり十分な時間を得た今、花を見る自分の心の変化に驚かされています。先月の異常寒波の影響で地に咲く可憐な花々の葉が黄色く萎れているのを見ると心の中で頑張れと言っている自分がいる。また硬い椿の蕾にもう膨らんでと問いかけている自分が。先週、蕾が一斉に膨らみ見事な花に。今朝、寝室のカーテンを開けると黄色い水仙が一輪、リビングの窓からは植えっぱなしの白いヒヤシンスが。それぞれの緑の葉の色はまだ生気なく、それをまた愛おしく思う自分が。余裕の時間は心に今までにない感情を呼び覚ましているようです。年を取るのも良いのかもしれません。
323号:正村遺跡について
2月19日(日)は、壱岐国博物館の市民向け講演会「黒曜石の産地指定から分かること」を聞きに出かけた。色々な講演会や講座が開かれているが、私は「肥前名護屋城と壱岐勝本城」、「朝鮮通信使の海―壱岐を訪れた使節団」に続き3回目の受講だった。今回は、私が中学生頃の家の改築時に、祖母らから聞いた神棚の下に宝物という話を思い出し、弟と始めた宝探し中に石棺の中から見つけた黒曜石、摺り石、土器片、貝殻片があったこと。そして黒曜石は、狩猟用の槍や包丁のような調理器具や工具として使用されるなど、縄文時代を表す重要な品目だったから。壱岐では印通寺中尾遺跡など3地区で調査が行われ、その他として勝本町の正村遺跡、若宮島石棺群、天下原石棺群A・Bが県の遺跡地図に登録されている。会の終了後、講師に正村地区から見つけた遺跡があるので関心あれば来てくださいと話して帰った。未調査の正村遺跡から発掘した黒曜石等が、縄文遺跡として日の目を見るかもしれない。
322号:ヒマヒッカグ会の近況
春になり、暖かさを感じる日が多くなった。それに合わせて、馬場崎公園に集う老人グループのヒマヒッカグ(暇つぶし)会の活動も目立つようになってきた。1月中頃からぽつりぽつりと姿が見えたが、春になりその数が増えてきた。それぞれがその日の天気等を判断し集まるのだが、野山の小鳥と同じように春の暖かさを感じ動き出した。会は高齢男子の物言いグループと高齢男女のグランドゴルフ(GG)グループがある。最初は物言いグループのみだったが、たまり場(旧ゲートボール場の小屋)の回りの草取りとコートの整地に取り組んだ後にGGグループができた。そして、まちづくり協議会のボランティアグループとして登録し、自分たちが遊ぶ場所は自分たちで管理するようになった。GGグループは88歳から70歳まで10人ほどの集まりだが、ここのおかげで笑い、身体を動かしよく眠れるという声がある。プレー中は「どうない、どうしよいとない、いやーばい」など勝本弁が飛び交う。写真は、庭の梅の木。この横に去年一本植えたので実がつくかもしれない。
321号:春の始まり
2023年2月は、いよいよ後期高齢者入り。体調も快復し順調な滑り出しです。立春(2月4日)には、同窓生が来て5月13日開催の第20回長崎県ねんりんピック(大村総合運動公園広場)への出場依頼を受けた。昨年9月、同窓生のクラブで体調不良者が出て、代役を引き受けることになった。出場した壱岐GG大会で3位、勝本町GG大会(ねんりんピック予選)で優勝と思わぬ結果。GGは今、馬場崎公園で15mと25mのコースを楽しんでいるが、大会では30mと50mのコースが入る。そこで、昨年末に始めた馬場崎公園広場(約60㎡)の50mコース(写真)の完成に向け取り組むことにした。ブラシとローラーかけが主で、週末から練習を始める予定。コースが利用可能になると、GG老人会及び小・中・高校生の活動へ広がるなど、遊休地となっている広場の活用につながる夢のある話です。しばらく何もする気が湧かなかったが、春の始まりと同時に自然に身体が動き出しました。
320号:洋上風力発電意見交換会
先週の土曜日、在部にある「ふれ合いセンターかざはや」で19時から20時30分の予定で市民向け洋上風力に関する意見交換会が開催された。案内は公民館の回覧板や放送であったが、何人が来るのだろうと思った。おまけに土曜日は寒さが強く開始は夜の7時、会場は浦部でなく在部。出かけには車が必要だが、漁師は船の免許は持つが車の免許はほとんどが持ってない。予想は当たり参加者は20数人で、定員80名を大きく下回った。洋上風力発電は、県における適地エリアの決定、市における候補エリアの決定を経て、今は導入可能性エリア決定の段階にある。そこでは景観の現地視察会や地域住民との意見交換会が求められる。会は大学教授と市職員による講演、意見交換があった。が、壱岐の大転換ともなりうる大事業について、市民参加がこれではと一抹の不安を感じる。大切なのは、市が広報手段を通じて市民の理解を広げていくこと。写真は、昨日午後一斉に沖に出る漁船。何事かと思ったらイルカ追い行事だった。
319号:勝本港湾の埋立て
日本全国に寒波到来。昨夜は今冬一番の冷え込みだった。外港埋立地の馬場崎公園は、風をもろに受け、ウォーキング等は難しくなる。先週はコースを変更し、海岸と丘の家並みの間道を歩いた。正村→川尻→田間→志賀山の「乗越し」を越え、琴平→黒瀬西と進み、地ビール醸造所を左に折れると勝本港湾の埋立現場(写真)が見える。埋立ては、2019(令和元)年工事着手、2022年(令和4)年度完成予定だったが、途中護岸崩壊が見られ設計変更の上に、昨年作業船が入り先端部にコンクリートが置かれた。埋立て目的は「辰の島遊覧船発着所設置と壱岐市北部の観光拠点化」にあった。その動きに合わせて勝本浦は、「食事処海神」と「地ビール醸造」など起業があった。が、コロナで全面営業でない状態にある。埋立ては、後3年ほどかかるに違いない。それまで我慢し、新たなスタートができればと願っている。歩きの帰路は、琴平→鹿の下東・仲・西→田間→川尻→正村の途中から渡頭(朝鮮通信使上陸の浜)へ出て海岸を歩き、中折の間道を通り自宅に戻った。町歩きは、町中の色々な変化を窺うことができる。
318号:正月行事を終えて
勝本浦は正月の5日をゴカンニチといい、正月の行事を終えて漁船がこの日から出漁する。今年は7日(土)から9日(成人式)まで連休となり、一般人の正月気分が抜けたのはその後だったように思う。そのころ天候も回復し、ヒマヒッカグ会のGG(グランドゴルフ)は11日にスタートした。が、13日から雨が続き、冷たさが戻ったことから自然中止となった。私はウォーキングを続けているが、町中に人の姿はなく、さて皆は何をしているのだろうと思う。私ごとをいうと、13日:まちづくり協議会の安全安心部会、18日:漁業商業部会、20日:地域づくり部会と年度末の会議がある。その他に、家では庭のキンカンの摘み取り(写真)を、小鳥に負けないように行った。また、めだかの学校(火鉢)の底に、丸い土の球を入れるとよいという話を聞き園芸店で購入。大変だが、丸玉に着いた粉の洗い流し作業で奮闘。そして夕刻は、昔より真剣さが増した感がする大相撲をストレッチしながら楽しんでいる。何事かを見つけて日々をどう過ごすか、年寄りの課題のよう。
317号:正村聖母会(湯の本研修会)
正村聖母会とは、私が住む正村町の60歳以上の老人会の名称。新年6日に、湯の本の壱岐島荘(国民宿舎)で恒例の研修会(昼食・湯入り・カラオケ)があった。カラオケはコロナで中止だったが、温泉は腰の体操もしながら1時間楽しんだ。住宅が海岸沿いに軒を接して隣り合う勝本浦は、22の公民館区がある。昔はそれぞれに老人会があったが、今は3町のみ。理由は、会長を継ぐ人がいないこと。漁師は漁が天候に左右され会議等の出席が難しいこと。また、会長は町・市労連など出ごとが多いことがあるらしい。が、老人会がない町内は老人の交流機会が薄れ、一人ぼっちの老人が多くなりかねない。やる気のある人が現れて復活することを願っている。老人会とは別のヒマヒッカグ会は、GG(グランドゴルフ)は年末に練習中止。新年は姿が見えないので、10日にコートにブラシをかけローラーで固め初打ちを終えた。そろそろ皆が現れだすと思う。写真は、庭のキンカンの木。熟すのは2月頃。
316号:新年を迎えて
今日は、2023(令和5)年1月4日。新年といえば、私には昔から続いている宅神祭(神職を家庭に招き行う新年の祭り)の務めが数件ある。父が高年になり、帰郷の際に手伝ってきた祭祀だが昨日までに終えた。そのような中で見た勝本浦の正月の光景だが、社会の変化やコロナ禍の影響のもとで大きく変わりつつあることを感じる。新年の宮参りなど人出の減少や正月行事の縮小だが、考えると毎年変化し続けて今があるように思う。漁業の町勝本浦は、二日は「船祝い」あるいは「乗始め」といい神官による船霊さまのお祓いがあり、お祓いがすむと船主の家でワッカシ(船に乗り込む若者)共々宴会が催された。小さい頃は外を歩くと三味線の音や元気な歌声を聞いた。今はその光景はないが、「乗始め」をして旗を立てた船(写真)を見ることができる。変化の原因といえば、人口減少(少子高齢化)ではないかと思う。社会変化が、決まりや習わしを変えているのではないかと。不思議な感じを思わせる正月の光景です。
315号:お正月を前にして
♬もういくつ寝るとお正月♬ 今週は土曜が大晦日、日曜に元旦を迎える。お正月を前にして行ったのが、家の窓や壁への水かけと車の洗浄。残すは神棚の清掃、しめ縄と御幣の付け替え、玄関両サイドの竹筒に松・竹・梅を飾ることとなる。これらはいつもと変わらぬことだが、小さい頃から半世紀以上過ぎて思うことが多い。お正月といえば親戚回りといい、生家である本家参りがあった。我が家は長男の家で正月は大賑わい。そして母の生家へのお参りと続いた。だが、近年は島に住む親戚が少なくなり、高齢の夫婦と帰郷する子供のみとなった。また、♬お正月には凧上げてコマを回して遊びましょう♬これも少子化の影響か子供の遊ぶ姿が無くなった。小さい頃(第二次世界大戦後)からすると、社会は変化し続け大きく変わったという思いがある。今の子供・大人たちも、その時々を当たり前にして生き、老後に振り返ることになるのだろう。写真は、庭に遊ぶ小鳥、他にメジロ、スズメ、ヒヨ、モズ等がいる。
314号:75歳の壁
2022年も残すところ11日となった。来年は75歳、その前年にあたる今年は心身ともに大変な年だった。帰郷し5年目となるが、4年間は生活環境整備など一生懸命に取り組んできた。が、今年はそうはいかなかった。ヒマヒッカグ会では、人生の壁(60歳、70歳等)論議をよく耳にした。私の場合は、60・70歳の壁は感じなかったが、75歳を前にして壁を思うことが多かった。そして、これからのためにと取り組んだことが、●10月:夕食時の飲酒ストップ●12月:午後の体操(真向法、腹筋・腕立て伏せ、スクワット、ふくらはぎ・足首・アキレス腱を伸ばすストレッチボード)だった。どちらも自分の身体からの求めだった。飲酒は暴食・暴飲と繋がり胃腸の不調を生み、運動不足は筋力の衰えに繋がり動きの鈍さを感じた。年末を迎え胃腸は改善、午後の体操は継続が何よりで75歳の壁もクリアできそう。写真は、庭の木に咲く冬の花です。
313号:海の話
漁業の町「勝本浦」の漁師の話。先月は、一度もオモテ綱(舳先にある係留の綱)を取ったことがないという。漁業で生計を立てる漁師が、先月は一度も漁に出なかったということ。理由は風雨、月夜、沖止め等があるが、これまでに獲った魚が少なくなったこともあるらしい。全国的なことだが、漁業は大変な状況にある。漁獲量の減少、高齢化と後継者不足等、厳しい現実が忍び寄っているが、新たな対応策は聞こえてこないことも不安。そういう中に、テレビで長崎の漁業組合長が、海に藻が無くなった。色々と工夫しているが、良策がないので教えてほしいと言っていた。これも全国的な問題と思うが、勝本浦を見ると小さいころ遊んだ藻場は海岸の埋め立てで消滅。藻が育つ海の環境悪化が原因でなく、藻が育つ所がなくなったと言える。地球温暖化が主原因ともいうが、いずれも人間が作りだした産物。生活の利便性との引き換えが元の原因かも。この先この町はどうなるのだろう。考えると何とも言えない気分です。
312号:テレビ視聴
もてあますほどの時間がある老後に、テレビ視聴(地デジ、BS等)は何よりの時間つぶし。だが、多くなった娯楽番組には興味・関心が向かず、この種のテレビを見ることが少なくなった。そのような中スポーツ好きの私は、日曜日(4日)はテレビを楽しんだ。午前中の防府読売マラソン大会、午後は福岡国際マラソン・ゴルフの日本シリーズJT杯・全日本相撲選手権大会、夜は柔道のグランドスラム東京大会と続いた。そして昨日(6日)は、夜中の午前0時から3時までサッカーW杯決勝トーナメント1回戦(日本対ウクライナ)を楽しんだ。予選の二試合は前半戦を見た段階で、勝ち目がないと床に就いたが逆転勝利。しかし、最後まで見た昨日の試合は、延長戦を経てPK戦の末に敗れた。大会で感じたのは進むグローバル化。ウクライナ侵攻などバカなことも多いが、世界で活躍する個性豊かな日本人は確かに増加している。写真は、メキシコのテオティワカン遺跡(太陽のピラミッド)、頂上のパワースポットで右手にパワーを頂いてきました。
311号:朝の景色
11月も今日で終わり、2022(令和4)年も残すところひと月となった。昨日(29日)は久しぶりの雨で、朝起きると外の景色を楽しんだ。今住む勝本浦は、文禄・慶長の役の兵站基地とされた港で、前年(1591年)に豊臣秀吉の命を受けて、勝本城と大名宿舎等が造られた。私が住む屋敷は往時の大名宿舎跡で、前に聖母宮が鎮座し、滞在した加藤清正等が眺めた光景(写真)がある。赤い社は屋敷護りの稲荷大明神でその右側に柿の木。左奥は聖母宮回りの石垣を造った加藤清正の家紋(蛇の目)が刻された西門。そして拝殿・御殿が鎮座する。雨の中ひときわ美しいのが、屋敷石垣の白い苔(こけら)。430年の時を経て作られたと思うとしみじみと思うものがある。高齢(75歳)を前にし、この頃は朝起きてもしばらくの時を経て立つことが多くなった。その間を持ってくれるのがこの美しい景色。これまではさっと起きて、外など眺めることは少なかった。が、これも初体験ずくめの高齢の一体験。
310号:畑や庭の様子
今日は勤労感謝の日。だが、毎日が休日の者にとっては実感が湧かない。馬場崎公園のヒマヒッカグ会のグランドゴルフ(GG)は、練習日が月・水・金の3日だが、メンバーが毎日集まり楽しんでいる。家でごろごろ過ごすよりよいこと、お陰でよく眠れるとの声もある。今年はこのGGのために変化したことがある。家の庭や畑の整備にかける時間が減ったこと。そのせいか今年は畑の作物が不作。夏のスイカは去年まで獲れすぎるほどだったが全くダメだった。その後しばらく放置していると畑に草がぼうぼう。昨日ようやく草取りを終えたが、畑に堆肥や石灰を入れ一休みさせようと思っている。その他の変化は、庭のキンカンの実が大きくなったこと。前に一枝に一果実となるよう剪定したのがよかったのかもしれない。これまでよりも大きく育った。注意しなければいけないのは、美味しくなった頃に小鳥がやってきて突っつくこと。散歩中に熟し具合を確認し、小鳥より先に味わう。小鳥との鬩(せめ)ぎあいです。
309号:高齢を生きる
壱岐に帰省し5年目。その間、よき生活を過ごすために屋敷内外の整備、外では旧ゲートボール場の復旧など休みなく過ごしてきた。が、来年2月の75歳を前に生き方や在り方などについて考えることが多くなった。飲食を含む今までの生活は、高齢の身体に無理に感じることが多くなった。先月は重労働のためか下肢への痛みが入り、久しぶりに処方されていた薬を飲んだが副作用で胃腸の不調が続いた。そのような変化を踏まえ、自分で考え実行したのが55年続けてきた夕食時の飲酒ストップ。今は薬の副作用も消え、夕食時間も大幅に短縮、つまみなど余計な食もなくなった。その結果といえるか分からないが、毎年の特定健診で指摘されてきた体重減、高脂質、それに伴う生活習慣改善にもつながった。帰省時の体重は78㎏、今は63㎏で高校時代の体重に戻った。人生を振り返ると20歳まで禁酒、その後55年間飲酒、75歳を前にお付き合いなど必要以外の飲酒はストップし、十代の気分で老後を送るつもり。写真は、11月8日の皆既月食。
308号:壱岐めぐりバスツアー
先週5日は相方とバスツアーに参加した。勝本浦まちづくり協議会の敬老事業「勝本浦シルバーウィーク in2022」の一つ、9月の予定だったが台風で延期になった。男子の目玉は、焼酎醸造所「壱岐の蔵酒造」見学。試飲コーナーで普段飲むことない焼酎を度数の低い順に楽しんだ。昨年から市の敬老事業が、小学校単位のまち協に委託された。お陰で多様な敬老事業へと変わった。勝本浦は他に、①老人全員への記念品進呈、②勝本浦の昭和を語ろう会、③グランドゴルフ大会があった。まち協の活動は2年目で手探り状況だが、浦人に随分浸透してきた感じがする。私が顔出しする「ヒマヒッカグ会」の仲間は、バスツアーに顔はなかったが、来年もあるのかという声が届いた。行こうか行くまいか、誰が参加するのかと考えているうちに申込期限切れ。後で参加者の話を聞き、行けばよかったと思う。まずは、公民館の回覧をよく読むこと。そして、いろんな取組について自分で判断し行動する老人が多くなってほしいと思う。写真は、芦辺町の左京鼻。
307号:干し柿づくり
我が家の庭に、2本の柿の木がある。私が小さい頃からある木だが、実を食した思い出はない。思い出は、長男が生まれたときにお祝いとして杉の木をいただき、その木を柿の木に括り付けのぼり旗を揚げてお祝いしたことがある。その頃は壱岐の高校に勤めていたので、旗上げに若い先生が集まり宴席も大賑わいだった。そして5年前に帰郷し、柿の木についた実(渋柿)を見つけた。その実は何度か台風にあい落とされたが、幾度かは干し柿にした。今年は2年ぶりの実で楽しみにしたが、9月中旬に大型台風が来襲。暴風は2日に渡り吹き荒れ、ほとんどの柿の実が落ちた。落ちた実は60個を超えたが、幸い下部についた実は持ちこたえた。先週はその実を2度に分けて獲り、皮をむき廊下に吊るし、ときどきに揉んでいる。干し柿といえば固い食べ物と思ってきたが、固くなる前に食べると美味しいことを知った。吊るした30個は食べごろを見極め甘さを味わい、数個は正月の神前お供えの飾りです。
306号:グランドゴルフ大会
10月末の23日は、まちづくり協議会の「第2回勝本浦敬老GG大会」。昨日は第39回勝本町GG 大会(兼JA大会予選、ねんりんピック予選)とグランドゴルフ大会が続いた。まちづくり協議会の大会は、市から委託を受けた敬老事業の一つとして実施。チーム編成は「安全・安心部会」が担当、私は「オコゼチーム」の一員として楽しんだ。しかし、25日は上部大会の予選を兼ねた大会で、私は同級生メンバー(二二三会)の一員として参加。風の強い中だったが優勝してしまった。上位5人の打数は191(一人平均38打+1)で2位に10打差をつけて圧勝。大会は16ホールで競うのでパー3で回ると48打。この日は女子2人が、それぞれホールインワン2回で35打。男子は38、41、42、43打でホールインワンは計2回の成績だった。のどかな島の生活だが、中国では共産党周近平総書記が最高指導部を立ち上げ始動。ロシアのプーチン大統領や北朝鮮のキムジョンウン総書記から祝電を受けたという。有事となれば無関係でいられない三国の動向が気になる。
305号:祭りの季節
10月は祭りの季節。始まりは10日から14日までの聖母宮の祭り、10日の午前に宮司、宮総代、宮世話人、船競漕(フナゴロ)の漕ぎ手などがお宮に集まり、神事の後に御神体を神輿に移し、弁天崎から船に乗り勝本湾内を三回回り、御仮堂のある築出町まで旅される。小さい頃、沿道は人が一杯だったが人口減少等の影響から大きく変化。今年は御神輿を乗せる二艘の御幸船が、漁協所属の大型船一艘へと変わった。神輿は、14日にフナゴロを経て本殿へお戻りになった。そして、お宮の祭りと関係ないが15日には、浦中の船が大漁旗を立てて湾内を回る港祭りがあった。護岸行事をした際、落成式を兼ねて海上パレードを行ったことが始まり。漁船が大漁旗を立て猛スピードで走る様は壮観で、私は写真撮影に出かけた。が、残念なのは見物人が少ないこと。各種行事で感じるのは、意義や趣旨について皆がよく理解していないのではと思うこと。広報の充実など、一般の参加者を増やす工夫が求められている。写真は、海上パレードのひとこま。
304号:現代よもやま話
昔(先週)朝早く玄関からの呼び出し音が鳴った。出ると元漁師のじいさんが、草花の苗の入ったポリ袋を提げて立っていた。ばあさん(相方)からの頼まれで、馬場崎公園に植えてほしいとのことだった。そこで二人で公園に向かうと、GG仲間のじいさんがいた。話をすると、小屋からカマカギを持ち出し草に覆いつくされた花壇に向かった。これは大変、まず私が耕運機(まちづくり協購入)で耕やすことを話して午前中に終了。そして午後、公園に行くと先ほどのじいさんが苗を分けて25mほどの花壇に植えつけを終えていた。翌日、花植えを頼んだばあさん(GG仲間)は花壇を見て、苗は一本ずつ短く切って植えたがよいといった。植えたじいさんは、それなら植え直そうと作業に取り掛かろうとしたがそのままでよいと治めた。思いついたこと、言われたことをすぐに実行する現代高齢者ばなしです。お陰で旧ゲートボール場は、見違えるようにきれいになっています。花の名は日照草、聞いたじいさんには「すべりそう、ひべりそう」と聞こえた。
303号:壱岐GG大会
先週30日(金)、第20回壱岐GG(グランドゴルフ)大会が、島の南東端に位置する「石田町筒城ふれあい広場」の芝特設コースで開催された。砂浜の広々とした丘陵地が、周回のランニングコースや体育館を含む広場となっている。大会は32チーム(1チーム6人)が集まり、8時から13時まで3ラウンドを競った。私は大会に参加したことがないが、同級生チームの選手が体調不良で欠けたということで、代役を引き受け参加した。高齢者の大会は顔見知りも多く、久しぶりに旧知と会う機会も得た。芝コースは初体験で大変だったが、二二三会(昭和22・23年生)は第3位に入賞するとともに、7個のホールインワン賞(私も一つ)を得た。友人が元気になるまで、大会前の練習と大会当日の参加という形で、補欠役を続けるつもり。私の遊び場の馬場崎公園は、15mと25mのコース、大会には30mと50mが加わるので、対応できるよう練習に励む予定です。
302号:壱岐市洋上風力発電
洋上風力発電所は現在、国において5つの促進地域(長崎県五島市沖等)、7つの有望区域(長崎県西海市沖等)、10の一定の準備段階に進んでいる区域(佐賀県唐津市沖等)が選定されている。壱岐市はこの前の段階で、県による3つの候補エリアの抽出を経て、現在は導入可能性エリア(導入に関する条件や具体的な範囲を取りまとめた壱岐市の総意となる区域)の設定に向けた検討が進んでいる。予定通りだと、令和4年度中に導入可能性エリアが設定。促進地域になるまでに3~5年、風力発電施設の設置まで6~8年とされている。高齢の漁業者は目にすることができないかもしれない。が、これは壱岐の産業経済に革命的な変化を及ぼす事業になる。従って、今の段階から市民に向けた適切な情報提供を行ってほしいと意見を述べた。先日の新聞に「北海道で2023年から国内最大級の陸上風力発電設備(原子力発電所半基分が稼働)との記事があった。原子力一基分となると、壱岐一番の岳の辻(212m)より高い3枚羽の発電機が70基ほどと言われている。写真は2年前に撮った北九州市沖の実証機。
301号:台風の被害
台風14号が長崎県にも接近。壱岐市は18日の未明から19日にかけて暴風圏ということから、外の物の片づけや雨戸を閉めるなどして備えた。18日・19日は、まちづくり協議会の敬老事業であるバスツアーが延期。また、本土と結ぶ航路等が欠航となったため、観光客のキャンセルも相次いだ。台風は18日の夜からゴウーゴウーとすごい音を轟かせ、19日の午後まで続いた。心配は庭の柿の木、台風で柿の実すべて失ったことが何度かある。先の11号は難を逃れたが、14号は進路が違い勝本浦に強い北風が入り込むためだ。夜中は暴風に目を覚ますほどだったが、朝に沢山の柿の実が落ちていた。それにケーブルテレビのアンテナと中継機をつなぐ線の断線。2階北側の雨どいの3分のⅠが落下。今もテレビや防災放送が通じない。相方が修理いつになるかと連絡しているが、回答は今日か明日ということ。ところでよく知る人から、裏の石垣(私が1年かけ造った傑作?)は大丈夫かという声が届く。石垣は強く、台風の様を見届けているようです。
300号:朝市であさごはん
勝本浦は背後が急な傾斜を持った丘陵地で、家々は海岸線に沿って細長くのびる形態となっている。そのため半農半漁が許されず漁業が専業となっている。浦部(マチ)は漁業、在部(イナカ)は農業という異質の生活様式のなか生まれたのが「朝市」。在の農家の主婦たちが野菜、果物、花柴、木の実などを天秤棒で担いで浦へ運び、商店街の路傍に店を開き商いが行われた。客は漁家や商家の主婦たちで、私たちが中学・高校に通う頃は歩くのが大変なほど賑わった。が、今は数少なくなっている。「朝市であさごはん」は、まちづくり協議会の事業で、11日(日)の午前8時から開催された。朝市の時間帯に合わせて朝ごはんを提供するもので、朝食は魚の干物をメインとし一食500円、50食限定で提供。おまけに500円クーポンが付与された。お客が集まるか心配したが10時ごろに終えることができた。高齢化が進む中、人々が外に出る機会を作り交流増加を図るのが目標。
299号:台風11号について
台風11号は8月末に発生し、9月に入ると天気予報で予想進路が示されるようになった。その進路を見ながら気になったのが、馬場崎公園に建てたテント小屋。屋根に張り付けた布をいつ外そうかと。しかし、その心配は1日(木)の朝に吹き飛んだ。裏山の物見台からのぞくと、テントの骨組(写真)のみで、布は竹に撒かれ小屋にしまわれていた。漁師(ヒマヒッカグ会員)の為せる業です。そして、2・3日(金・土)は台風の前触れと思われる雨風で静かに過ごしたが、4日(日)は夕方に魚釣り。5日はウォーキングに出かけると、漁師のおじさんが波止に留めた船から釣り中。台風は?と聞くと、大丈夫とのこと。その後、避難勧告の放送があったが静かに床についた。が、明け方(6日)の3時ごろ風の音に起こされ暴風は6時過ぎまで続いた。台風には庭の柿の木の葉と実が落とされてきたので、朝見ると落ちていなかった。幸いしたのは台風の進路。左回りの台風が島の左を通過すると南風が入り込むため、北部の勝本浦は被害が少ない。テレビのテロップ「壱岐市 避難勧告」は、皆さんにご心配をおかけしています。
298号:夏の宿題
八月(葉月)も今日で終わり。暑さ対策に設置したテント小屋は高齢者の休み場所として機能したが、月末はコロナ感染者数増加もあり空の日が多くなった。そのすきを狙い増えたのが雑草で、降雨も手伝いあっという間に足元を覆いつくすようになった(写真)。これまでは、鎌と鍬などを使いサッと刈り取ってきたが、身体がだんだんと追い付かないようになった。そこで、勝本浦まちづくり協議会が進めている公園や遊休地の整備活用を進めるための、刈払い機、芝刈り機、管理機など備品の準備を待つことにした。人力から機械の活用への転換。数か月もかけてきれいにしていた作業が、短期間で終えることが出来るようになると思う。よく考えると、人間生活は自然との共生・闘いの中で営まれているように思う。が、油断すると自然に打ち負かされてしまいかねない。適切な管理が大切で、公的な対応に任せたままでは追い付かない状況が沢山ある。夏の宿題(草取り)を終えるため、機械の到着を待つヒマヒッカグ(暇つぶし)の会です。
297号;夏の魚釣り
昨年末からゲートボール場の整備に関わり、魚釣りから遠ざかっていた。が、孫の帰省に合わせて釣りの準備に取り組んだ。以前は小学低学年のため、竹竿にサビキセットを付けてアジ釣りを楽しんだ。今年はその仕掛けにアジが集まることなく、下にグレ(クロ)が群がっているのが見えた。そこで次はクロ釣りをと、漁師のおじさんに釣り方を尋ねると、①エサを撒き小魚を寄せる。②オキアミを掛けたハリを投げて待つ。と教えてくれた。また、ネットでグレ釣りを検索すると「グレのフカセ釣り」があり、仕掛けや釣り方は同じだったので準備をして波止に出かけた。竿はリール付きで孫も初体験。撒きエサを投げると小魚が寄り、孫は周辺にオキアミを付けたハリを投げ、1時間ほどの間に30㎝(1匹)、25㎝(2匹)と他4匹のクロ7匹を釣り上げた。クロは引きが強く釣り上げるのが大変。最初は手伝ったが、自分で釣りあげると言いクロとの格闘を楽しんだ。良い釣り体験だったと思う夏の魚釣りでした。
295号:お盆行事
お盆が近づくと、どの家も仏壇やご霊前・お墓を掃除して備える。そして、13日に迎え火を焚き、16日に御仏及び御霊をお送りし早朝に墓参りをする。昔は期間中に、親戚が集まり大賑わいをしたが、今は様変わりした感がする。また、恒例の行事としてペーロン大会と花火大会があったが、コロナの影響で2年間中止が続いていた。今年も中止と思えたが、花火大会(13日20時から22時)が3年ぶりに開催された。勝本港の中心部の東側にある漁業協同組合から打ち上げられる花火は、迫力満点でぜいたくを言わなければどの家からも高く上がった花火を夜空に見て、ドーンという音を聞くことができる。しかし、花火を久しぶりに味わおうと外に出た。海岸通りは顔見知りの人も多く、また机・椅子を持ち出し家族で楽しむ様など、納涼花火大会が地元に根付いていることを感じた。人口減少や少子高齢化で、行事をどのようにしていくか課題となっているが、持続可能な形で続いていくことを願っている。
294号:辰の島海水浴
勝本港の北西約2㎞にある辰の島は、弓状の浜辺に遠浅の砂浜を持ち昔から海水浴場として愛されてきた。また、山地や砂地にはヤブツバキやハイビャクシンなど海浜植物の群落が発生していることから1966(昭和41)年、国の天然記念物に指定。1968(昭和43)年に、自然美とともに史跡に富む島として壱岐・対馬国定公園に指定された。今はコロナで人流を心配する声も多いが、今夏に帰省する家族(孫)をどう遊ばせるかを考えた。第一は辰の島海水浴。孫が年少のためビーチパラソルを購入。時間帯は、朝の9時半の渡海船で出発し11時40分の船で帰る。第二は馬場崎公園での凧揚げ。日中を避け夕方に実施し、100mほど先の空に上がる凧と糸を通じたやり取りを体験させる。後は釣りと、馬場崎公園プールの水遊び。孫によき時を過ごしてもらうには、大変だが事前の準備が大切。自然豊かな壱岐の島は、よき避暑地であり疎開地にもなりうるのです。辰の島遊覧と、辰の島探索はこのホームページで見ることができます。
293号:コロナ騒ぎ
7月中旬から、全国同様に壱岐もコロナ感染者数が増加。それまで十人前後だったが、昨日18時05分の放送は、次の文が読まれた。「市民皆様にお知らせします。本日午後5時までに壱岐市において、新たに42名の新型コロナウイルス感染者が確認されました。市民皆様におかれましては、引き続き会話時のマスク着用や三密の回避、こまめな換気など基本的な感染防止対策の徹底をお願いします。また、夏休みを利用して帰省されるご家族ご親戚の方に対し、検査を行ってから帰省するよう呼びかけて下さい。感染しない、させない為には、皆様お一人お一人の行動が大切となります。市民皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします」。これは感染症危機管理対策本部長(市長)文書。市民は適切な行動をするため「どこでどのように感染したのか等」感染情報が欲しいのだが、放送は感染対策が主で修正は数字のみ。折角の全島放送、一人ひとりがよき行動をするために一工夫がほしい。ヒマヒッカグ会も、そのような声が多い。
292号:新たまり場の設置
夏休みが始まり、ゲートボール場横の子供プールが賑やかになった。プール傍の建物は利用する者の休み場だが、熱くなりヒマヒッカグ会のたまり場になっていた。しかし、夏休みに入り子供家族と高齢者が同居。とても似合わないと感じた。そこで色々考えたが、夢の中でゲートボール場にテント設置が浮かび実行することにした。①まずはテントの骨組みを運び込む。皆がそれを見て動き出すに違いないと思った。21日の朝に運ぶと夕方に組立が完了、屋根に何を張るか課題となった。②小屋に漁船の日除けに使ったテント布があった。22日の朝それを洗い干して、午後に行くと骨組みの上に掛けられていた。もう一枚必要となったがすぐに揃った。その後、テント張りの竹を切りに山へ出かけた。③23日、作業開始は昼からと思っていたが朝海岸を眺めると、出来上がったテント小屋に3人が座っていた。新たまり場をと始めたが、3日間で出来上がった。用具はそれぞれが持ち出し、費用は0円。高度経済成長期を生き、多様な技能を身に付けた高齢者の力です。
291号:もどり梅雨
18日、19日に、九州北部と九州南部に局地的な豪雨をもたらす「線状降水帯」が発生すると気象庁から発表があった。数日前も大雨の予報はあったが、壱岐ははずれて雨待ちの市民(夕方に届くダム水位低下のため節水依頼放送)は残念がった。が、18日は夕方から雨が降り出し、まとまった雨が降った。テレビには「長崎県壱岐・対馬に線状降水帯発生」のテロップが流れ、情報を見た知人から相方に心配の電話やメールが届いた。また、壱岐市は「土砂災害警戒情報と避難指示」が出された。しかし、この程度の雨は恵みの雨になると思い、一昨夜は雨音を聴きながら12時過ぎまで陸上の世界選手権(女子マラソン)を見た。そして、朝に裏の畑の水がめをのぞくと溢れんばかりに溜まっていた。テレビのテロップに「もどり梅雨」の文字があったが、壱岐はその状況に近かった。雨ごい中の大雨、一安心です。写真は、昔の台所に置かれていた大・小の水がめ。
290号:島外旅行
先週の7日(木)午前9時25分発の高速艇で壱岐を発ち、今日13日(水)博多発午前8時の高速艇で壱岐に帰った。東京、静岡、福岡にそれぞれ2泊の旅だったが、主な目的は8番目の孫の初宮参り。孫はネットで近接の写真を見ていたが、写真よりスマートで安心。神様には健やかな成長を祈願した。ところで最初の東京は、22年過ごし子供が住んでいるが、家に入るとちょっと外に出てみようという気にならない。働く人が多い都市は、高齢者の遊ぶ場が少ないからかもしれない。お陰で家の中でのゴロゴロ生活を味わった。次の静岡は三嶋大社に初宮参り。そして、福岡は所用を済ませ12日(火)夜はペイペイドームにて、ソフトバンクとオリックスの試合を楽しんだ。ビックリは、隣に座ったおじさんがビールを4回注文したこと。昔は、私も野球観戦にビールは付き物だったが今回はなし。久しぶりの旅は、よき気分転換になった。
289号:ボランティアグループ登録
まちづくり協議会では、まちの活性化を促すためボランティア(個人及び団体)登録申請が進められている。団体登録には、地域の環境整備や環境美化を目的とする活動がある。そこで、ゲートボール場を主として交流する高齢グループは、皆の賛成を得て登録申請を決定した。団体名は、「ヒマヒッカグ(ヒマつぶし)の会」。ゲートボール場は10数年ほど前に利用者がいなくなり、草が伸び荒れ放題の状況だった。が、これから高齢男女の集まるよき場となるように、①小屋の清掃、コートはグランドゴルフ場として管理、周辺緑地の木々の剪定、植栽等を行うこと。②凧を作成し興味・関心ある子供達に凧上げ体験を支援することにした。また、会のメンバーは、87歳から62歳までの男女30名(平均年齢77.2歳)で、皆が同じように活動を行うには無理がある。会員には活動内容について理解し、それぞれが出来る範囲で協力し全体として目的を達成するようにした。小屋の清掃、コート整備、草取り、花の水やりなど取組む仲間を見かけることが多くなりました。
289号:勝小運動会
26(日)日は、勝本小学校運総会が開催された。先月に予定されていたが、コロナで延期になった。私は学校運営協議会の委員になったことから、学校行事に出席するようになった。私が学んだ小学校でもあり、行くたびに考えることが多い。一番感じるのは、生徒数減。全学年が85名、1学年10名以下の学年もある。が、私(昭和22・23年生)の学級は41名、3学級だったのでおよそ120名。今の全学年を上回る。今回の運動会(午前で終了)のプログラム(19競技)を見て思ったのが、少人数の今が生徒の負荷が大きいということ。競技数は今も昔もほぼ変わらないが、生徒数が少ないため競技時間は短くなり休む間もなく次の競技がやってくる。また、競技運営役員についても6年生17名はほとんどが役についていると思われるし、補助の先生方も大忙しの状況。少子・高齢化時代の小学校運動会。今は行われていない敬老会運動会や浦民運動会と同時開催など、一工夫が必要になっているのかもしれない。
288号:波止場釣り体験
昨日(21日)は、久しぶりに島外からお客様をお迎えした。勝本浦で釣りがしたいという希望があったので、あちこちの波止場を巡りどのようにしたら魚が釣れるのか、道具を工夫しながら釣り場探しをした。波止場釣りで人気の高い、疑似餌を使うアジング、擬餌針と疑似餌を使うサビキ釣りを試したが、思うような釣果を得ることはなかった。これではダメだと考えていると、漁師のおじさんがアジは朝夕のまずめ(薄明るい状態)の状態の時に釣れているという話をしてくれた。朝は5時から6時、夕は7時半から8時半頃とのこと。さてどうしようかと思考中だが、私が釣りを始めたときの漁法を使ってみようと思う。単純な漁法で、竿に糸を付けその先に重りと餌(イカ)を付けた針を海底近くに落としてあたりを待つ。ベラやアラカブが主となるが、その先にときを見計らってアジングができればと思う。今朝起きると雨の予定が曇り、まずは辰の島遊覧だ。写真は遊覧船。
287号:自分で考え行動する
先週末(10日)は、草取りとグランドをならす真砂土入れなど、グランドゴルフ場の整備を終えた。その後はグランドゴルフを楽しんでいたが、変化が見られたのがよもやま話を楽しんでいた小屋のお爺さん達が外に出てきたこと。小屋の中より涼しい外の日陰にたまるようになった。そこはグランドゴルフの4番ホールで、プレーする男と女に声がかかるようになった(写真)。女子のボールがホール近くを抜けると「オーッ惜しい、パターが決まると上手い!と拍手」。だが、男子がホールを外すと「オーイ、コラ、どうしよいとない、などなど」。またよいと思うことに、自分達が楽しむ場所をよりきれいにしようとする行いが見られるようになったことがある。小屋の入り口に溜まった草や土の撤去、グランド周りの木の剪定、雨の日に屋根の雨水を流す樋のつまり発見など。ここに集う一人一人に、自分が楽しむ場所をより良くしようとする意識が生まれ、実行されることは何よりのできごとです。
286号:魚釣りの変化
公園の旧ゲートボール場(グランドゴルフ場)で、93歳のおじいさんと話すことがある。長男で漁師になった時にエンジン付きの船をと親に求めたが、勝本浦は海岸でアワビ等の貝や海藻の採取で生活ができると言われたという。その後、漁船が増えブリやイカなど大漁で賑わってきたが、まさか今のような不漁を迎えるとは思いもよらなかったという。勝本浦に戻り5年目となるが、取り組んだことに魚釣りがある。小さい頃(昭和30年代)は、竿は自分で竹を切って作り、餌は海岸でゴカイを掘って、引き潮に合わせて遠くの瀬に渡るなどして釣りを楽しんだ。しかし、海岸は大きく変わり釣り場は波止になった。アジは相方に怒られるほど沢山釣ったり、釣ったアジを針にかけ泳がせてクエやヒラマサ等の大物もときにかかった。だが、去年あたりから海に変化が起きた気がする。暇つぶしの会では、沖の漁場に魚がいないという話を耳にする。漁場に魚が戻り、波止にも釣り人が集うことを願っている。
285号:松竹梅から萱(かや)と蓬(よもぎ)へ
3年間記帳できる日記帳(2021年~2023年)を見ると、今年は6月1日から3日の所に旧五月の節句と記されているのを見つけた。昨年は6月12日から14日だが、玄関先に「萱と蓬」をさす風習があることを知り、探し回り玄関先にかざした。勝本浦で続く行事で、1年の節目において穢・不幸・不善を去って、清浄・幸福・正善に還ることを願う。今年は日記帳のお陰で早く知ることができ正月の松竹梅をとりはずし、蓬は家の庭から萱は道路沿いの畑から授かりかざした。相方の進めで日記帳を付けることになったが、老後を送る中で大変役に立っている。昨年、一昨年の同じ日に何をしていたのか振り返ることができるのが何より。昨年の今日は「波止場にアラカブ釣りに出かけたが×、以前に釣りすぎ? 夕方は表の花壇の草取り」とある。今年は「午前・午後と馬場崎公園の草取りとコート整備」。昨年とは様変わりの毎日です。
284号:公園の美化(Ⅲ)
公園のガザニア、アジサイへの水やりが日課となった。そして、午後はグランドゴルフを楽しむ元気な高齢者の姿がある。そのような中に、先週は近所のおばあさんがきてアジサイの花の横に穴掘りを始められた。尋ねると自宅の鉢に植えたサザンカが大きくなったので、きれいになった公園に移したいとのことだった。公園の花壇の土は固く、掘るのは大変なので、後で適切な場所に植えてあげることにした。それから数日もたたないうちにおじいさんが来て、自宅の鉢植えツバキを公園に植えていただけないかと相談があった。そして、24(火)日の夕方に、仲間が大きな鉢に育ったツバキ二つを軽トラックに載せ運んできた。それから苗木がゆっくり入るほどの穴を掘り、皆の応援で先に植えたサザンカの両横に移植を終えた。「公園に花があったらよい」という何気ない一言から始まった公園の美化だが、皆さんの協力で進化中。楽しい出来事です。写真の手前3本が新しく植えた木。
283号:公園の美化(Ⅱ)
先週植えた公園の花は、ガザニアという花だった。勲章のように鮮やかな花を春から秋まで咲かせるそう。公園の椅子に座り周囲を眺めていると防風用の木々が目につく。が、花は片隅にアジサイが一つ。アジサイの花を増やして美しい公園にできないかと思い、その横に1.5mの間隔に13の穴を掘った。そして、天気予報で雨の降る日を見つけ、前日にアジサイの苗木を購入して植えた。今はきれいな花を見せ、おじいさん・おばあさんからありがとうの声をいただいている。大切なのはこれからで、水やり、剪定、挿し木など育て方の勉強をしなければいけないこと。初めての取り組みには、新しい学習が必要になる。(写真)コンクリートの塀は、海岸埋立第一期の防波堤。後の石垣は、左奥が加藤清正等が築いた聖母宮のもの、右半分は大正時代に作られた聖母宮社務所の石垣。埋立のお陰で、昔の海上からの景色が撮影できます。
282号:公園の美化
馬場崎公園の旧ゲートボール場の整備に関わり、半年ほど過ぎようとしている。そのせいか、魚釣りに出かけることが少なくなった。ゲートボール場は15mと25mのホールが四つあり、2度周り8ホールの打数を競うよき遊び場となった。そして、小屋の中の高齢男子の話のなかに、周囲に花を植えてはどうかという意見がでた。そこで、勝本浦まちづくり協議会の事業計画にある「イロドリプロジェクト」が思い浮かんだ。荒地となりつつある公園や遊休地を整備し、植栽を実施したり老朽化した設備を改修することがねらい。我が高齢グループ「ヒマヒッカグ会」の活動は、このモデルになりうると思い、早速、先週の4・5日に植える場所を耕し、7日に園芸店で8本の苗を購入し植えた。その後は朝夕の水やりを続け、今は根付き元気な姿を見せている。ところが仲間に花の名を聞かれたが、公園碑の周りに咲く花を求め、名を聞くのは忘れていた。為すべきことが次々に出てくる暇なし老後です。
281号:みどりの日に想う
5月のゴールデンウイーク。今年はどうなるかと思ったが、コロナの声よりニュースでは観光客が戻った各地の様子が届く。今後はコロナとの共生で、経済活動を活発にする。その方向がよいと思う。5月になり感じるのは、庭の木々のまばゆい若葉の色。特に落葉樹の柿、ウメ、サルスベリの勢いが目立つ。そして外では、馬場崎公園に休日を楽しむ若者と高齢者の姿がある。グランドゴルフに興じる老人の様子を、隣の遊園地で遊び日陰付きの腰かけで休息する中学生が眺め、ホールに近づくボールにワーッ!と歓声があがる。心躍り風薫る5月に、老人と若者が思い切り手足を伸ばし過ごす姿はよい光景です。少子高齢化が襲う地方ですが、老若が寄り合う場所があることが大切。ひょっとしたことから旧ゲートボール場を、グランドゴルフ場に復活させた公園は、その隣に子供プールと遊園地、運動場があり、海側に県が所有する長さ210m、幅およそ50mほどの活用されていない広場がある。帰りに陸上競技部と背に付けたウエアをきた女子がいた。種目は?と聞いたら100mと返事があった。210mの広場は、若者の走路、高齢者のウォーキング、観光等の格好の場となる。どうにかならないか思考中です。
280号:肥前名護屋城と壱岐勝本城
近年は広報の重要性が増しているせいか、郵便ポストに様々なチラシが入る。その中に、一支国博物館が実施する「しまごと大学講座」の案内があり、24日の講座(文禄・慶長の役で豊臣秀吉の命を受けて造られた軍事拠点:名護屋城と兵站拠点:勝本城)に参加した。参考になったのは、勝本城は名護屋城と同じ造りがあること。①城道(本丸への通路が5つの角を持つ) ②蔵地(食料用の大貯蔵庫設置)。勝本城の大手筋入口には勝本小学校があるが、蔵地ではないかということ。勝本城は1592年から7年間にわたり、城番として秀長の家臣(本多因幡守)が500人の家来と共に駐屯した。その人達がどこに住み活動したかについて知りたかったが、資料がなく難しいのかもしれない。また、勝本浦には大名達が宿泊した屋敷があり、加藤清正達が滞在中に聖母宮の石垣、西門、南門を造営したことは知られている。が、宿泊した屋敷について知る人は少ない。二城は秀吉の死後に破却。今も昔も、軍事侵攻は評価が低く、関係事柄も扱いが難しくなる。写真は勝本城から写した勝本小学校、左奥に対馬の島影が見える。
279号:節句と磯の口開け
小さい頃は、旧暦の3月3日(4月3日)は節句と言い、3日前後に一家中そろって御馳走を重箱に詰めて海が見えるところに行き、一日中飲んで食べて楽しく過ごす「野遊び」の行事があった。その頃は「節句磯」と言ってウニやアワビが解禁になり重箱は磯の味がいっぱい詰まっていた。いつ頃から無くなったか分からないが、野遊びや凧揚げの思い出は確かに残っている。いま野遊びはないが、磯は資源を護るために口開けの期間と時間が決められている。今年は13日からと案内があったが、風雨が強く遅れて始まった。馬場崎公園に集まる高齢メンバーも磯かと思ったが、変わらず同じ顔が集った。その中、相方が朝市広場に出かけ買ってきたのがトコボシ(写真)。早速茹でて磯の香を楽しんだ。今私達が集っている公園は埋立地で、昔は格好の磯場として賑わった海だが、今は磯をする人を見ることがない。漁業発展に伴い海岸は波浪除けの突堤や船繋ぎ場となったが、磯焼けが大問題となっている。不思議な循環です。
278号:平和の凧上げ
馬場崎公園内にある老人交流場所(旧ゲートボール場)は、会名をヒマヒッカグ(暇つぶし)会として交流人口が増えている。主な活動は、情報交換・凧揚げ・グランドゴルフ、それに小屋の掃除とグランド整備が加わる。凧は「風本」、「大漁」、「虎」などの文字入りがあるが、無地のものもある。そこで、何か良い文字はないかと問いかけると「平和」という声が出た。誰か書いてと頼むが、OKの声はないので「墨汁と筆」の提供者である私が書き、その文字を青と黄(ウクライナ国旗の色)で塗ることにした。そして、9日に第一回の平和の凧上げ。11日に第2回目を行ったが、SNSを操る仲間がスマホで撮影し自身のフェイスブックにアップしてくれた。凧を持つサングラスの老人は私であったためか、旧友から電話が届いた。この後も風が吹く日には「平和の凧」を上げる予定。凧をつくる人は少ないが、上げることのできる人は多い。観光客が早く元に戻り、頭上に「平和の凧」が上がる勝本浦を訪ねてくれること。そして、ロシアによる軍事侵攻が停戦を迎える日を願っている。
正村聖母会(老人会)
4日(月)は、正村公民館にて老人会の初会(総会)が開かれた。勝本浦は22の町内があるが、老人会が維持されているのは3町(正村、黒瀬、新町)のみ。現在は老人が多く、グランドゴルフなど活動も盛んであるが老人会は少ない。理由は、会長希望者がいないこと。会長になると、いつか町老連及び市老連会長役が回り大変な負担になる。それで老人会が廃止され、残り3町となった主な理由という。正村聖母会では、会の存続が議題に上がったが会長が決まりことなきを得た。が、この先を考えると課題もある。入会年齢を60歳から65歳以上に引き上げること。会長・副会長・会計は男、女子は女性部長と集金担当班長という役割の見直し等がある。今の状況からすると、役職は女子、付属の仕事は男子が似合っているのかもしれない。元気な93歳の老人から、節句のこの時期に老人会、青年会、婦人会もないという嘆きの声も届いた。さまよう老人が、増えないようにしなければならない。写真は、庭に咲く春の花。
276号:小学6年全科の復習テスト
3月に小学校6年生を卒業した孫が、19日にやってきた。孫は幼稚園から小学2年生までを勝本小学校で過ごし、級友との再会希望で来島した。私が帰郷したときは2年生で、帰宅後の家庭学習(宿題と国語・算数)に付き添った孫。同行した娘は、21日に帰宅し孫は残ることになったが、午前中「小6全科の復習テスト」、午後は旧友との交流となった。学習付添いは爺となったが、その際に教科書が必要と考え国語、算数、理科、社会、英語の教科書を送ってもらった。教科書を見て感じたのは、この内容が十分理解できていれば、中学・高校と続く学習がスムーズに進むに違いないということ。理解できていなければ学び続けるのが難しくなってしまう。そのような中、25・26日は友人宅に宿泊、27日はクラス仲間が集まり花見だったとか。このような付き合いができるのは、10人一クラスの仲間達と3年間貴重な時を過ごしたからに違いない。明日帰宅、約2週間の滞在は孫にとって満足な毎日のようだった。
275号:運と縁(朝鮮通信使迎接所:案内板)
勝本浦まちづくり協議会は、「漁業+(プラス)観光の街へ」を目標にする。そこで、実現したかったことの第一は、勝本浦ご案内のパンフレットの作成。第二は、観光案内板の設置というように観光の基盤作りだった。パンフは昨年3月に作成。案内板は具体策が浮かばなかったが、不思議な運と縁:●昨夏に帰郷された元鯨組の家人に会い設置場所(正村)が決定。●島内にバスの車体に広告絵図を貼る業者(たからや)がいたこと。から話が進み3月21日に設置を終えた。QRコードを配した斬新な案内板で、次は後の者に鯨組や聖母宮大祭等を期待したい。朝鮮通信使は、1607年から1811年まで約200年にわたり12回来日。勝本浦は寄港地とされ、往路11回・復路8回の19回寄港、通信使は迎接所、案内役の対馬藩は対馬屋敷に宿泊。今回は、朝鮮通信使に同行した画員が描いた絵図を載せた案内板ができたのです。通信使一行は、朝鮮人が平均450人、案内の対馬藩が約800人で、道中の接待と送迎は沿道の諸大名(壱岐は平戸藩)に課された。勝本浦は古代から近世(江戸時代)まで、朝鮮半島との交流における重要港であり、その歴史や文化を知ることが観光の街としての発展を図るには欠かせない。写真:右上の図は、通信使の画員が描いたもの。下の写真は、現在の勝本浦の写真。
274号:スッキリしない毎日
3月13日(日)は、北京冬季パラリンピックの閉会式を見た。先の東京オリンピックが脳裏に浮かぶが、開・閉会式では開催地の人々の努力によって大会が運営されていることを感じた。今回もそうであるが、一つだけ心に重苦しいものが残る。大会中のロシアによるウクライナへの軍事侵攻であり、今も戦闘が続き多くの人が家を失い、国を追われているという現実である。世界の人々が同じ気持ちであると思う。そのような中ですが、私の身近では復旧した旧ゲートボール場にウォーキングに励んでいた高齢の男女が集まり、グランドゴルフを楽しむ姿が増えた。用具は、敬老の日にまちづくり協議会で買い求めたものがあるので、身一つで参加できる。それぞれに健康維持に努めるのでなく、スコアを競いながら会話を楽しんだり、ミスのプレーに喝采したりで、よく眠れるようになったとの声もある。グラウンド管理は私が主に行っているが、人が増えると新しい規則ができるかもしれない。昨日は、第3回目のワクチン接種を終えた。コロナ規制からの旅立ちは近いかもしれない。
273号:マンボウ(まん延防止等重点措置)
新型コロナウイルス対策が、6日に福岡など13県で摘要解除、18都道府県で21日までの延長が決定された。長崎県は解除で、島内には飲食店の「営業開始」の張り紙など変化が見られた。また解除によるかどうか定かでないが、出漁する漁船の増加が見られる。重点措置には、飲食店が営業時間短縮や酒類提供可否などの要請に応じたときの支援金や、農業や漁業への事業復活支援金がある。後者は、2021年11月から2022年3月のいずれかの月の売上高が50%以上または30%以上50%未満減少した事業者に対する支援金。今週は対象期間終了と重なるが、よい凪での出漁だった。重点措置に思うのは、国・県全体が同じ条件で行われること。お陰で市の行事も中止が続出。まちづくり協議会でも部会等の開催が思うままにならず活動が縮小した。問題対応は、全体で取組むのがよい場合もあるが、画一的な手法は弊害を生むことも多い。特にサービス事業者にとっては、悩ましいコロナ緊急事態宣言だったように思う。写真は、出漁するイカ釣り船。
272号:はえん風(南風)
先週、旧ゲートボール場(高齢者のたまり場)に行くと、高く上がった凧が海に落ちたと言う。凧が海の上、小屋の北側(写真)に上がるということは、風は南から吹いていることになる。私も小さいころ凧揚げをして、同じ海に落とした覚えがある。勝本浦では南風を「はえん風」といい、漁師たちはよく使っていた。春先に南方から来る風のことで、南風(はえ)が吹くと雨が降り、海が荒れるので警戒したという。凧は強い南風を受け勢いよく上昇したが、急に逆さまになり海に落下。小屋の壁に、紙をはがした凧が掛けてあった。身近に起きた「はえん風」による凧の落下にびっくりしたが、今はロシア軍によるウクライナ軍事侵攻という大きな心配ごとがある。ロシアの隣に位置し、縁が深い国に対する戦闘が今も続けられている。その状況が色々な角度から知らされてくるが、戦争終結は大変むつかしい状況にある。どこからか神様が現れ停戦を迎えることができないか、多くの地球市民にとってただ祈るのみの悲しくてつらい毎日です。
271号:北京冬季五輪
冬のオリンピックが、20日閉幕した。淋しいのは、テレビ番組の選択肢が狭まったこと。老後はゆとり時間が多く、いかに埋めるかは大きな課題。テレビはその時を埋める一つだが、バラエティ番組では物足りない。あっという間の17日間は、スポーツ好きの私には楽しい時となった。特に関心を持ったのは勝者の言葉。その一つは、夏・冬五輪の二刀流に挑んだスノーボード男子ハーフパイプの平野歩選手の「人はいろんな負荷がかかればかかるほど身軽になる」だった。負荷は人の心にも身にも重く感じるものだが、乗り越えると身軽に感じるというのは分かる気がする。この言葉は、今年小学校を卒業し中学に進む孫に届けることにした。自分の夢を達成するためには、いろんな負荷を乗り越えていくことが大切。平野選手は、あえて自分に負荷を課したのかもしれないと。そのようにいろんなことを考えさせた五輪後の昨日、ロシアがウクライナに派兵というニュースが届いた。グローバル化が進む21世に紀には、戦争という愚かな行いは似合わない。
270号:小学生の凧上げ
先週の9日(水)、復活したゲートボール場をよくするために注文した真砂土1.5㎥が午前中に到着した。9日夜(雨)の予報を見て、朝早く運んでくれた。ダンプカーでグランドの片隅に降ろしてもらい、一輪車に積んで約20㎡の広場に運んだ。途中からは仲間も加わり、運んだ土をならしてくれた。その後、グラウンドをコートブラシでならし、コンクリートのローラーで固めた。予報通り夜に雨が降り朝は晴れ。試しに仲間とグランドゴルフをしたが、足跡が残るなど土が固まっていないことに気付いた。そして、12日になり夜雨の予報が出たので、夕方にはコートブラシできれいにならした。翌朝は公園に出かけてグラウンドの状況を確認。昼過ぎにローラーで土固めをし、その後は使用禁止とした。3か月ほどかかったが、今はよきグラウンドになり老若男女が遊ぶ場所となった。写真は、小屋の中にかけた凧。勝小4年の文字が入った凧は、13日(日)に公園に遊びに来た勝本小学校4年生のグループが凧揚げを楽しみ、記念に文字を書き込んだ凧。
ライフジャケットについて
ヒマヒッカグ(暇つぶし)会に行くと、小屋のテーブルに「小型船舶に乗ったら必ずライフジャケットを着用しましょう!」というプリントが置いてあった。話を聞くと、随分前から義務化されていたと聞いた。私は時々漁船に同乗するが、ライフジャケットを付けたことはない。海は遊び場所という意識が強く、危険な場所という考えが薄いから。1月25日には、勝本浦全漁船によるイルカ追い払い行事があるということで、知り合いにお願いし参加した。が、その際もライフジャケットは付けなかった。先を読むと罰則が載っていた。乗船者にライフジャケットを付けさせなかった船長は違反点数2点が付され、再教育者講習を受けなければならない。また、違反点数が基準を超えると、最大で6か月の免許停止になる。私は波止場で釣りをするが、そこは落ちたらとても助からないと思うもののライフジャケットを付けたことはない。相方が腰に付ける救命胴着を買ってくれたが置いたまま。しかし、船長あての文書を読みながら気持ちが変わった。釣りのときは救命胴着を付けるようにする。暇つぶしの会は、生活に必要な知恵や技能を学ぶ場所にもなっています。写真は、イルカ追い払いに港を出る漁船。
268号:ワクチン接種証明書
先週は慣れ親しんだ携帯電話に別れを告げて、新しい5Gのスマートフォンを購入した。機能をすべて使いこなしているわけではないが、コロナウイルスの予防接種証明書は、どうなっているかと市のホームページを開くと、去年の12月20日(月)からマイナンバーカードとスマートフォンを使って取得できるとあった。そこで手順 ①スマートフォンを使い接種証明書アプリを二次元コードからダウンロード ②マイナンバーカードの暗証番号を入力 ③スマートフォンにマイナンバーカードを接着させて読み取らせる ④住民票のある市区町村を選択。を経て無事に証明書を取得した。スマホに切り替えて一週間ほどしかたたないが、まずは購入目的の一つを叶えることができた。後は、予定されている健康保険証、運転免許証、公金受取口座の登録等の利用が可能になったところで取得しようと思っている。アナログ時代を長く生きた者にとって老後のデジタル化対応は大変だが、よりよい生活を送るために必要なことと考え取り組んでいきたいと思う。
267号:ガラケーからスマホへ
戦後生まれが利用した通信手段は、長い間固定電話だった。そして、28歳の頃1976(昭和51)年に、持ち運びできる携帯電話が普及。42歳の頃1990(平成2)年に、高速インターネットが普及。51歳1999(平成11)年に、携帯電話でEメールの送受信、Webページの閲覧が可能になった。その後、60歳の頃2008(平成20)年に、iPhoneが発売。2011(平成23)年に、日本独自のスマートフォンが発売された。私は、Web閲覧はパソコン、写真撮影はカメラ、動画撮影はビデオカメラとすみ分けてきたので、スマホへの移行が遅れた。が、数年後にガラケーが使用できなくなること、また政府提供のコロナワクチン証明書などスマホへの登録が進んでいるため、23日に相方と共にスマホ(5G:初めの携帯から5世代目)への移行を済ませた。利用は電話とメールとして初期設定を済ませたが、いろいろと触ったせいか翌朝7時にアラームが鳴りびっくりした。「何も触っていないのになぜ?なぜ?」、しばらくこのようなことが続きそう。
266号:ヒマヒッカグの会
予定していた千葉県への出張は中止になった。現在の感染状況を見るとやむなしと思う。壱岐市も昨日までに14人の感染者が発生、新感染者が出た際の市役所放送は市長の声が流れる。が、いつも決まった内容で、変わるのは感染者数のみ。市中感染なのか島外往来者なのか、市民が注意すべきことが分かるように話してほしいという声が多い。ところで長い間取り組んだ旧ゲートボール場の整備も一段落を終えた。次は集まりのグループに名前を付けて、まちづくり協議会に登録という話がある。そこで会の名前を募ると「暇人会グループ」という案が出てきた。が、暇人ばかりでなく現役漁師、商売人もいる。何かいい名がないかと「壱岐の方言」を調べると「ヒマヒッカグ」という言葉を見つけた。ヒマヒッカグとは、暇をつぶすという意味。生活の中にできた暇をつぶすため、ゲートボール場にある小屋に集まる。そのグループがゲートボール場の管理を行うとともに、凧揚げなど昔遊びを子供たちに体験させることを目標にすればよいと考えた。同様のグループ「ヒマヒッカグ2号」が、立ち上がるのを期待したい。写真は、旧ゲートボール場。
265号:オミクロン型コロナ
昨年末はコロナ感染者数が激減し、コロナを抑え込んだのではと思えた。が、お正月の海外からの帰国者、国内の帰省等による交流人口の拡大により、感染力の強い変異型「オミクロン型」の感染が広がっている。壱岐市も2人の感染者が出たが、島外からの帰省者と家族との話がある。本年こそは平常に戻ると期待していたが、同窓生(団塊世代)による月例の懇親会も中止。そこまではまあまあだが、孫たちが通う学校の新学期、それに週末の大学入学共通テストはどうなるのだろうと気をもむ。私も来週は千葉県への出張(洋上風力発電先進地視察)が控えている。実施されたとしたら、帰島後は2週間の隔離生活?まさかとは思うが、全国の感染状況を見ると現実味を帯びる。夕方に集まる老人交流場所(ゲートボール場の小屋)には、新年もマスクをつけた者はいない。密閉、密集、密接の状況だが、ここでは三密などを気にすることもない。だけども島外への往来というと、大変なリスクを抱えることになると思案中。写真は、子供の頃に戻った爺たちの凧揚げ。
264号:新年の夢
夢は、「壱岐は日本最大の洋上風力発電(原子力発電一基相当)の島へ。日本及び世界中から注目を浴びる」。壱岐は現在、洋上風力発電に関する候補エリア設定から導入可能性エリア抽出への段階にあるが、市民は実感できない状況にある。そのなか1月3日の新聞に、政府が再生可能エネルギー普及のために次世代送電網(総額2兆円の投資)をつくる計画が発表された。国内の送配電網は九州・中国・関西など各地域で独占的な状況にあるが、再生エネの普及へ向けて地域間で融通する大容量の送電網が敷設されるという。壱岐とくに勝本町は、むかし風本と呼ばれたほど風が強いが、風は漁業の敵と見られてきた。だが、風が宝に変わる可能性が生まれてきた。脱炭素・クリーンエネルギーが地球的な課題になる中、漁業の敵とされた風が壱岐を洋上風力発電の島へと大変化させる可能性がある。一般市民の関心は低く夢のような話だが、実現可能性が高くなってきているように思う。いつの日か、新聞トップに「壱岐市・日本最大の洋上風力発電導入」の記事が出るかもしれない。写真は、北九州沖の浮体式洋上風力発電。
263号:年末に思ったこと
11月から12月にかけて、家から数分の所にある馬場崎公園内のゲートボール場の整備に取り組んだ。思わぬことから始めたが身体に変化を感じるようになった。一つは手で、指が少し太くなりこぶしの握りが強くなったこと。もう一つは持病ともいえる右膝で、階段の上り下りなどぎこちなかったが良くなった気がする。夕方2時間ほどの作業が身体に変化を生んでいるのだが、それは負荷をかけた作業から起きている。手は、草取りやグランド整地のときの鍬や鎌の使用。右膝は、地固めのときのローラー引き(前向きに押し、後ろ向きに引く)。健康維持の軽運動ではこのようなことは起きないと思うが、負荷をかけた活動は筋肉を強化する作用がある。グランド整備が終了したら色々な遊びに取り組み、終わりにグランドにモップをかけ、ローラーで地固めをして終了する予定。老後の健康(体力)を守るには、生活の中に体力強化の工夫を凝らすことの大切さをグランド整備が教えてくれた。写真はローラー。むかしイカの引き伸ばしに使用したもの。
262号:高齢者の力(凧上げ)
夕方は、高齢者の交流場所(ゲートボール場)に通うのが日課になった。グランドがきれいになるまでは続けようと思っている。が、何か他に楽しいことはないかと考え、ふと浮かんだのが凧上げ。18日だったと思うが、凧つくりをしないかと提案した。どうなるかなと思ったが、19日には凧作りに必要な竹が集められカンナやナイフを使い部材が作られ、骨組みが出来上がり、20日に紙張りが終了した。そして、21日の夕方に凧上げに挑戦。最初は上手く上がらず左右のバランスも欠いたが、微調整を重ねて飛び立った(写真)。その後、凧は紐が約100m、高さが50mほどの上空に制止。凧揚げしたのは何十年ぶりだろうという者もいたが、私の記憶では小学生の頃の遊びなので約60年ぶりとなる。このようなことが出来るのは、小さいころの体験があるからこそ。そして凧作りに長けた者、漁業で培った多様な技術を持つ者がいることがある。制作係の二人は、早速第2号の作成中。会話中心の寄り合いから、プラス体験型活動に移っています。
261号:公共施設の再利用
壱岐市勝本浦に生まれた私は、高校時代までを壱岐で過ごした後、大学に進み長崎県の高校教師(昭和45年4月)になった。そして、昭和56(1981)年4月から平成3(1991)年3月まで壱岐の高校教諭を務めた。高度経済成長期後のこの頃は、様々なインフラ整備が進んだ。その一つが、海岸埋立地に造られた高齢者向けスポーツのゲートボール場で、町会議員のリードのもとに大流行りした。その他にも総合グラウンド(野球場、ソフトボール場、テニス場、体育館)、天下原野球場など公共施設が作られた。だが、壱岐市に帰郷した平成29年4月には、施設の無管理状況の様を垣間見た。テニス場やソフトボール場等。ゲートボール場は小屋のみが高齢者の交流場所になっていた。この場所に顔を出すようになり、新たな老人憩いの場所にできないかと草取りとグランド整備に取り組んで一か月になる。作業は夕方の3時半から5時ごろまで、オヤッと思ったのは仲間が草焼きなど色々な作業に関わるようになったこと。日本全国に同じような公共の場(遺産)があると思うが、管理をどうするかが大きな課題になっていると思う。年末には小屋の中の清掃も済ませて、皆で新たな年を迎えようと思っている。写真は、半分ほどの草取りを終えたゲートボール場。
260号:昔遊び交流会
昨日は勝本小学校1年生(13名)・2年生(19名)との「昔遊び交流会」に出席した。目標は、地域のお年寄りに昔の遊びを教えてもらい楽しもうとある。遊びの内容は、中遊び:お手玉、あやとり、おはじき、けんだま。外遊び:竹馬、コマ、竹とんぼ、めんこ、ビー玉。事前の打ち合わせで担当が決まったが準備が大変。今はほとんど使われていないため、造ったり揃えたりする必要があった。私はコマの担当、現役のころ海外視察研修の交流会に準備したコマと、孫の遊びにと買い集めたコマが9個ほど家にあったため。上手く進むか心配だったが、遊び好きの子供たちは元気いっぱいに各種の遊びに挑戦してくれた。私たちの小さい頃は学校で行った記憶はないが、日常の中にお年寄りから若者までが交流する機会がたくさんあり、それが生きる力の源泉になった気がする。だが、今はこのような場を設けないといけない現実がある。終わり会では、子供達の顔を見ながらしっかりと勉強もして健やかに育ってほしいと思った。
259号:ゲートボール場の草取り
今朝の新聞に「一人暮らし世帯拡大」という記事があり、単身高齢者は5年前の前回調査に比べ13.5%増で、5人のうち一人が一人暮らしとあった。高齢化に合わせたまちづくりや社会の在り方が課題とされている。勝本浦西部を中心とした高齢者が集う馬場崎公園ゲートボール場の物置小屋(写真)、私はここに2週間ほど前から時々出かけているが、勢力を広げる草が気になり草取りを始めた。語らいが中心の仲間たちは、しばらくは無関心でいたが、少し変化が見られるようになった。①草払機を持ち込み上草刈り。②土をならす円筒の石(写真)にロープ付け。③刈った草焼き。④草取りの手伝いなど。ゲートボール場は昔大賑わいし、小屋の中にゲートボールのスティックやボール、及び草刈道具などが遺されている。草を刈ってしまえば、グランドゴルフ25m、15mほどの距離の練習には十分。そのうちに語らい中心の仲間達を外に引き出し、語らいと外遊びの両方にしようという大作戦。だが、余計なことには手を出さないというしぶとい者も多い、一体どうなるのやら楽しみです。
258号:敬老グランドゴルフ大会
壱岐市の敬老行事が今年から中止。代わりに小学校単位のまちづくり協議会が行うようになった。その敬老行事の一つ、グランドゴルフ大会(21日)にいつの間にか私の名前も入っていた。参加者は60人、65歳以上の高齢者(最高年齢は92歳)の約一割が集まり、懐かしい顔ばかりの楽しいひとときとなった。競技内容は50m、30m,25m、15mの距離に立てられたホールポストを二回りする。各ホールともパー3で、全てパーで回ると48打。初出場の私は、ノーボギーの39打で上々の出来。同窓の友にどこかで隠れて練習しているのかと聞かれた。大会経費は市役所の予算が割り振られ、予算内で表彰等に工夫を凝らしたため、賑やかな大会となった。少子高齢化のなか、勝本浦でも高齢者が多い。だが、高齢者が様々な分野で活動できるように仕組めば町は活性化すると敬老事業を通して感じた。次は、小学生の昔の遊び体験授業(コマ回しや竹馬乗り等)が待っている。写真は、我が家の庭のキンカンの実。
257号:高齢者のたまり場
一日の時々に裏の物見台から眼下を望む。すると外海を埋め立てできた船着き場と公園(写真)がある。その一角(左側のゲートボール場の物置小屋)に、高齢者が集い語らうのを見るようになった。夏は日陰のある場所(中央の子供プールと右奥の魚集荷場)、冬になると日当たりがよく風を遮る小屋へとたまり場が移動する。そこに同級生も見えたのでコマ(小学生の昔遊び用具)を持って訪ね、授業への参加を話しかけた。が、まずはコマの軸が上手に削られてないとの指摘。同窓の一人が持ち帰りきれいに削ってくれた。他の一人(魚加工業)は、研ぎあげた包丁を見せてくれた。ハサミや包丁の研ぎ方に話が移るなか、私の刺身包丁と出刃包丁も先の仲間が持ち帰り研いでくれた。片刃と諸刃では研ぎ方が違うとのこと。専門分野を極めた高齢者の集まりは、よき生活相談の場にもなっている。小さい頃には、漁師のワッカシ(若者)が宿泊を共にして活動する若衆宿があった。その頃を知る今の高齢者は、自らよき場所を見つけ仲間との情報共有や課題解決の場としている。勝本浦を歩くと、それらしい場をみかけることができる。
256号:秋のひととき
今年も残り2か月、11月に入り畑に植えていた芋(5月15日に24苗)と大根(9月19日一畝、10月14日に一畝)を食事に必要な量だけ掘り出すようにした。2人の食事に、沢山は無駄になり、同じことは釣りにも言える。沢山を避けるため釣りの回数が減り、出かけたときは釣りすぎないよう知恵を絞るようになった。また、今は人生の高齢時を初体験の日々で、どのように生活するかの試行中。そのなか今年は、市の重要行事として続いた敬老会が中止され、小学校単位に作られたまちづくり協議会が代わりに行うことになった。我が町は「勝本浦シルバーウイーク」として、11月20日に「勝本浦イキイキフェスタ(健康チェック、演奏会、粗品プレゼント等)」と21日に「敬老グランドゴルフ大会」を開催する。これまでの会は、市長や来賓挨拶があり記念品受取が何よりの楽しみとされてきたが、これからは老人が行き交う日にできればと思う。老人が家でごろごろ過ごすのでなく、外に出て元気に活動する姿が目立つようになればと願っている。写真は、畑の芋と大根。芋は不作のニュースがあるなか元気に育っています。
255号:衆議院選挙について
10月31日(日)は、衆議院選挙が行われた。長崎県は4選挙区(定員各1)が設けられ、壱岐市は第3区に入っている。が、縦に長い長崎県のどこが一緒になっているのかよく分からないままだった。調べると、佐世保市(早岐・三河内・宮支署管内)・大村市・対馬市・壱岐市・五島市・東彼杵町・川棚町・波佐見町・小値賀町・新上五島町。今回は4人の候補者が出て、現職(谷川弥一)が当選した。この人の実績として知られているのが、平成29年4月1日から引き下げとなった国境離島の航路・航空路運賃。帰郷するたびに高い運賃に悩まされてきたが、今はJR並の運賃で利用できる。当日は当選確定速報のテレビを見ていたが、3区確定前の夜中(高齢者は寝ているはず)に、壱岐市の結果について放送があった。谷川7389票、2位4452.647票、3位1666.352票、4位227票で1・2位の差が約3000票。3区全体の得票数は、谷川57223票、2位55189.42票で差は約2000票。ということは、壱岐市の投票が現職の再選を後押しした。老後のゆとりのお陰で、衆議院選挙の結果速報(自民党単独多数決定の知らせまで)に付き合うことになった。写真は、城山から見た沈む夕日。選挙では一部世代交代が求められた。
254号:コロナ感染者数の急減少
コロナ感染者数が減少し始めた頃と思うが、テレビ(東大の児玉名誉教授の話)に、ハッとしたことがある。「ウイルスは増殖する際にコピーミスが起きて変異株が出現する。その中に増殖の速いタイプが生まれ、急速に感染拡大していく。が、増殖が速ければコピーミスも増える。その結果、一定の区切りを超えるとウイルスの生存に必要な遺伝子まで壊してしまい、ウイルスが自壊する」という。現在の感染状況を見ると、その通りのように思うが、日本はプラス国民のまじめな対応にもある。先週博多へ出かけたが、道行く人はほとんどがマスク着用。ホテル等では無接触の温度計測。セルフサービスの朝食で好きなものを取る際にポリエチレン手袋の使用等々。皆がいやな顔することなく決められたとおりに行動する。外国では第六波による感染拡大で大変な所もある。が、日本との違いは人々の自主的な取組みにあるように思う。これから冬が訪れるが、第六波を迎えることなく過ぎればと願っている。写真は、海上パレードに参加した辰の島遊覧船。人気船長による特別サービスです。
253号:勝本浦「港祭り」
聖母宮のお祭り(10日~14日)が終わり、翌日の15日は続いて「港祭り」が開催された。催し物は、漁船の海上パレードと陸上パレード(海上自衛隊の龍踊り、小学生の鼓笛隊、公民館・商工会・漁協などの踊りが浦部をパレードする。今年はコロナ下で海上パレードのみだったが、その様に驚いた。以前は、各船が大漁旗を立て長い行列を作り港内を回るのだが、今回は港内 → 辰の島 → 若宮島 → 港内と回るパレードだった。圧巻は、各船が若宮島から港内に向けて全速力で走る水上モーターショー(写真)。この祭りは、昭和33年頃の護岸工事の落成式を兼ねて始まったというが、その頃は鯨伏の本宮八幡宮の祭り(10月15日)に勝本浦から神輿を乗せる船を出していたが中止になり、同じ日に勝本浦の港祭りとして行うようになったともいわれている。いずれにしても、船が船首を浮かべ走る様にはすごさを感じる。港祭りは形を変えながら今があるが、もっと多くの人が見ることができる日曜日に開催できないかと思った。
252号:祭りに思ったこと
壱岐市の北部に位置する勝本浦と在部の氏神である聖母宮の祭りが、10月10日から14日まで行われている。帰郷して祭りの模様を写真撮影しているが、今回は思わぬ発見をした。撮影場所を防波堤から、高所(お鹿山)の金比羅神社に移したからである。10日は、一の神輿「神功皇后」、二の神輿「仲哀天皇」が二隻の御幸船に乗り、鉾船(水先案内船)・漕ぎ船・御幸船・囃子船・お供船の順に、港内を三回「日まわり」の方向に回り御仮堂に渡られる。その中で感じたのは、神輿を載せたお船旅は海岸道路ができ波止が多く造られた港では、船団が円を描くようきれいに回ることが難しくなっていること。お供船も昔は数百隻が競うように出たが、今は数隻で一杯の状況になっている。昔は芝居も行われていた伝統行事が、港の埋め立て、少子高齢化、近年はコロナなど社会・環境変化により形を変えていることを改めて感じる日となった。写真は、イカ釣り船が停泊する波止場。
251号:市議会の視聴について
壱岐市には、全域をサービスエリアとする公設民営ケーブルテレビ局がある。放送内容は、「イキテレチャンネルガイド」で知らされるが見ることは少ない。が、今年に入り面白くなった番組がある。「市議会中継・再放送」で、今年の議員選挙で4人の新人が加入し、活発な質疑が見られるようになった。市議会は、市民代表の議員が要望や意見を市政に反映させ、市政の方向を決める重要な役割を担う。従って、議員と市当局が互いにけん制しながら均衡を保ちつつ、共に市政の発展のために活動していくことが求められている。現在は、令和2年度決算特別委員会の「壱岐イルカパーク&リゾートの決算書に関する内容」が集中審議されている。放送のよいところは、議員や市当局の質疑を直接見ることにより、市政に対する関心が高まること。そして、誰がどのような質疑に関わりどのような発言をしているか、意見や態度をよくみて一票を投ずるというように、市民の投票行動を大きく変えることになる。議員や市当局は、一層の緊張感をもって議会に臨んでほしい。写真は、定例会9月会議の模様。
250号:自分で考え行動する
19都道府県の緊急事態宣言と8県のまん延防止等重点措置は、9月30日をもって解除することが決定された。長い間、皆よく我慢したというのが感想。私は高校同窓生が集まる月一回のブッチャー会(飲酒懇親会)があるが、半年以上中止続き。先週幹事から電話があり10月も中止とのこと。グランドゴルフ仲間の間で、今はやるべきではないという意見が多かったとのこと。貴方たちのグランドゴルフも密なので中止すべきではと返すと、エヘヘと笑っていた。私が中・高校生の頃は、老人による老健ホーム行きやゲートボールが流行ったが、その姿を見て私はそうはならないと心に決めた。いま老後を過ごしているが、すごいのは自分ですべきことを見つければ何でもできるということ。先週は、スイカの後に大根植え、窓の破れた網戸の修理をした。「網戸の修理」とネット検索すれば、方法を動画で見ることができる。防虫セット、網押さえゴム、ローラーを購入し取り掛かったが、相方からプロよりうまいとか褒められた。子育て・仕事を終えた老後は、神様が与えてくれたよき時だが、楽しむには自助の精神がいる。写真手前が、昔のゲートボール場。
249号:物見台の訪問者
コロナ架で人の移動が制限されるなか、先週末からの三連休は違う動きが目についた。東京・埼玉からの観光客:午前にメダカの餌やりなどを終えた後に、裏の物見台(写真)に上り港の様子を楽しんでいるが、観光客と思われる男女4人が私を見つけて上ってきた。宿泊は郷ノ浦で今日は北の勝本浦を訪ねたということだった。それを見た相方が勝本浦観光案内パンフレットを持ってきたので、文禄・慶長の役、江戸時代の朝鮮通信使や鯨組などについて説明した。また、東京務めの思い出(ゴルフ部、石川遼)話にはびっくりした様子だった。その他に、いつもと違う光景が見られたのが、辰の島遊覧船と渡海船の利用者数増。そして、漁師が経営する遊漁船に釣り客が乗って港を出たり入ったりする様子は新鮮だった。水温上昇や魚価の低迷などで休漁が目立つが、遊漁船は勝本浦の新たな動きと思われる。あとは観光バスが島内を走るようになれば、もっと活気に満ちた港になる。遊漁船は現在5隻いるが、2隻の船長は同級生の子。頑張れという願いを込めて船を眺めている。
248号:新名所、井戸の神様
老後の生活改善として、庭に生える草取り軽減のためにセメント塗りに取りかかり、2か月かけてようやく終えることができた。セメントは、水を加えるだけでよいホームセメント。5㎏入りを6個単位で購入したが、花壇、軒下、駐車場、溝など修理箇所が増えるたびに注文回数が増えた。今は外に出ると、草が出ていないか、雨水はきちんと流れているかなどチェックが日課となった。が、庭を眺めていると、次々に改善点が見えてくる。裏山の崖に石垣を造るときに、井戸の神様(石祠)を花壇に移していたが、眺めているうちにこれは元に戻した方がよいと思い、早速作業に取り掛かった。屋敷が造られたのは1591年(文禄・慶長の前年)で、井戸はその時に掘られた。井戸の横には、小さい頃まで五右衛門風呂があったが。そこで加藤清正等が湯を浴びたのかと考えるとおもしろい。石祠と龍を思わせる木(写真)は、井戸神として昔からあったもの。右にある石臼(米や豆などをひいて粉にする道具)と様々な石は庭に残されていたもの。これで終わりかと思う間もなく、いろいろと遊び心を掻き立てることの多い庭です。
247号:変化への挑戦
9月5日、東京パラリンピックが13日間の日程を終え、閉会式が行われた。参加選手約4400人、参加国・地域162ヵ国、競技数22競技539種目で史上最多となった。競技の様子はテレビや新聞で見たが、閉会式では大会に関わった多くの人たちの活動の尊さを知ることになった。感じたのは、世界的なコロナ下の開催だったが、一人一人が未来に向けて自分で考え努力を続けていくことの大切さ。今も緊急事態宣言が続くなか壱岐は比較的平穏だが、漁業・農業、サービス業等は大変な状況にある。そのようななかで、勝本浦では未来に向けた新たな動きが見られる。物産展、レストラン・民泊、焼酎バー・海鮮BBQをスタートした海神(わたつみ)グループ、壱岐初の地ビール醸造所「ISLAND BREWERY」、そして壱岐北部の観光拠点となる可能性の高い港の埋め立て。ここは観光バスが止まり、辰の島遊覧船の発着場となる。コロナが終息し人が動き出せば賑わいが戻る。今は、その機会への備えを進めていくことが重要。残すは黒瀬商店街の活性化をどうするかということで、新たな動きが待たれる。写真は、変化を思わせる大型作業船。
246号:秋(9月から11月)
秋と辞書を引くと、「昼が短く夜が長くなる。五穀や果実が実り、やがて木々は葉を落とし、草花は枯れ冬へと向かう。」とある。確かにその現象を実感することがある。波止場からの釣りで、日の入りが早くなったこと。庭の木々(柿、キンカン)は緑の葉が美しく果実が育ちつつあること。そして、いつの間にか冬を迎えて月日のたつのを早く感じる時が来る。が、その経過をゆっくり感じながら過ごす事が大切。そのためにと夏の終わりに、畑に植えていたスイカの苗を掘り起こして耕した。スイカ植えは3年目になるが、豊作が続いている。その横に今もオクラが実をつけ、芋は葉が勢いを増す様がある。その他にも、庭で手を焼く雑草退治のため、花壇とコンクリートの隙間と軒下の敷石の間にセメント塗りを行った。庭の改修のときに左官さんからいただいた鏝(コテ)、セメントを塗る道具のおかげだが、塗る前に大変な作業(準備)がいることも教えられた。休むことなく仕事をくれる自然とのやり取りを楽しんでいます。写真は、裏の畑。
245号:東京パラリンピック開幕
昨日(24日)は、夜8時から3時間ほどパラリンピックの開会式を見た。オリンピックに続いて無観客となったが、いろいろと感じさせられることが多かった。開会式の様々なアトラクションでは、コロナ下のなか一生懸命に準備されていた人たちが多くいたのだと知らされたこと。また使用している車いすなど演者を支える道具の進化・高度化に目を見張るものがあったこと。高齢者施設等で使用しているのを目にするが、今後一層の改善が図られるに違いないと思った。パラリンピックは障害者の大会として始まったが、パラという呼称が用いられたのは1964年の東京大会。パラブレジア(下半身のまひ)とオリンピックを合わせた造語で大会の愛称としてつけられたという。正式名称として採用されたのは、1988年のソウル大会からで五輪と並行(パラレル)したオリンピックという意味になった。そして、大会には四つの価値が示されている。①壁を乗り越えようとする「勇気」、②限界を突破しようとする「強い意志」、③人を行動に駆り立てる「インスピレーション」、④工夫すれば誰もが同じ地平に立てることを気づかせる「公平」。コロナの感染拡大を受け実際に競技を目にすることはできないが、テレビ観戦を通して皆がこれらの価値を確かめることになればと思う。写真は、開幕式の様子。
244号:夏の終わりに思う
16日の朝に先祖をお見送りし、その後にお墓参りをしてお盆を終えた。昨年に続きコロナ下でのお盆ということで、いつもとは様変わりした感じがした。花火やペーロン大会などの行事が中止され、里帰りする家族にも県境を越えた移動制限が要請されたからである。孫にしばらく会っていないという声もよく聞いた。また、お盆に帰りたいという家族に対し、コロナ下だから帰らない方がよいと返事をしたという話も聞く。今年のお盆は終わってしまったが、よく考えると緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の指定を受けた所に住む子供達にとって、感染リスクの少ない地方はよき生活の場といえる。感染者が入り込むとリスクは高まるが、そうでない場合は迎えてあげてもよいのではないかと思う。感染者ゼロの勝本浦はマスクを意識することなく外出ができ、海岸散歩、史跡巡り、魚釣り、プール遊び、海水浴、そして辰の島遊覧船など、子供たちにとって有意義なときを過ごす環境が整っている。遊んで喜び、進んで夏休みの課題に取り組む元気な孫の姿は、爺・婆にとっては何より。写真は、勝本浦ペーロン大会の様子。
243号:東京五輪 閉幕
第32回夏季オリンピック東京大会が閉幕した。コロナが拡大し緊急事態宣言が発せられる中だったが、無事に終了したことを喜びたい。大会期間中に感じたことは、無観客ではあったものの代表選手の競技に打ち込む姿が、感動を十分に与えてくれたということ。また、コロナとオリンピックは別次元のものと思わせてくれたこと。開催地ということもあり、日本選手の活躍が目立ったが5年間に及ぶ鍛錬の様を聞くと、素晴らしい人間ドラマを垣間見るような気がした。そして、コロナ下で運営に関わる人たちに対する感謝の気持も自然に沸いてきた。閉会後、大会のすごさを改めて思ったのは参加国・地域が205、参加選手が1万1千人、競技種目が33競技339種目と過去最大規模であったこと。選手・大会関係者へのコロナ検査数が60万回以上で陽性者が456人と大変な中、全種目でメダルが確定され予定された日程を終えることができたことがある。色々と反省することも多いと思うが、先ずは大会を支えたすべての関係者と選手の頑張りを称えたい。写真は、8日の閉会式。
242号:お盆の準備
今日は2回目のワクチン接種日だが、8月に入りお盆の準備で忙しくなってきた。家の内外と墓の清掃、12日の夕に先祖迎え、13日から15日は霊前へのお供え、そして16日早朝に先祖送りと墓参りをして終える。お盆中は親戚などからのお参りがあり、賄いで大変な行事という記憶がある。が、様変わりした。一番の理由は、お盆参りに行ったり来たりする親戚が少なくなったこと。現在2020東京オリンピックが開催されているが、前回(1964年)開かれた頃は戦後の高度経済成長期で、集団就職など地方から都市へと人口の大移動があった。そして、半世紀余りを経た現在(2021年)は地方の過疎化が課題となっている。また、前回のオリンピック後は、モノ(カラーテレビ・クーラー・カー等)に豊かさを求めたが、これからは心の豊かさ(自分らしく生きる)に重きを置くようになるとの記事がある。さて、今回のオリンピック後はどのようになるのだろう。心の豊かさを求めて、都市からの移住者が増えている地方もある。壱岐市は8月1日に市議会選挙が行われたが、特筆すべきは島外からの移住者二人(男・女)が当選したこと。写真は、昨年に続き中止になったお盆花火大会。
241号:八坂神社の祇園祭
オリンピックはテレビ観戦が主の地方で、老後のゆとりの時間を存分に使い競技を楽しみ応援しています。そのような中に、私が住む正村町では旧暦の6月15日(新暦7月24日)に夏の行事(祇園祭)が行われた。朝8時に八坂神社(聖母宮に合祀)に於いて御祓い、17時30分より公民館にて御神酒開き、19時より八坂神社前にて御神楽(写真)、25日朝に公民館長から各戸に餅が配られた。御神酒開きは、一戸から一人参加ということで私が出席した。その席には偶然73、72、71、70歳と小さい頃一緒に遊んだ顔が揃い、昔話がはずんだ。一つ紹介すると、祇園祭は子供組の祭りだったこと。中学2年生が大将、中学1年生が中将、小学6年生が少将の役付きとなり、祭りの夜に「ギオンサアの寄付」と言いながら寄付金を集め、大将になった家を宿にして料理を食べ集めた金を分けた。ところが、60歳中頃の初老が自分の代からそれが無くなったと悔やむ声があがった。祇園社は、神仏習合の風潮が広まった平安時代に祀られ長い歴史を持つ。が、昔と比べると集う人々が少なくなった。年中行事はなぜ行われるのか、皆がその意義を知ることが大切になっているように感じる。
240号:安全・安心の地に疎開する
オリンピック開会式が23日午後8時に迫っている。が、今回は高まりを感じることが少ない。「エーッ、もう始まるのか?」、オリンピックよりコロナ感染ニュースが勝っているからに違いない。今まで各種大会や人の動きも制限されてきたが、勝本浦では変化が見られるようになった。辰の島観光遊覧船(写真)の利用者増加である。波止場から船に手を振るが、とても素敵な光景です。これまでコロナ、コロナで外に出るのも悪いことのようにされてきたが、都市部では緊急事態の宣言にも慣れて、何も変わらないことに気付き始めたように思う。そして地方の首長は、「来ないでください」というメッセージを発してきた。が、今は「どうぞおいでください」というメッセージを発するべきと思う。小さい頃に、「疎開」という言葉をよく聞いた。戦争に備え安全な地方に人を移すこと。コロナ禍の今は、「疎開」があってもよいのではと思う。特に子供は家の中ばかりでは、様々な体験の機会を失うことになりかねません。夏休みは、どうぞ感染者ゼロの壱岐にいらしてください。
239号:流行り言葉
先週日曜日の新聞に、The STYLE 「こんな日曜日が待ち遠しい」という特集があった。「SELF-BUILD 家をつくる楽しみ」という内容で、家一軒をまるごと自分でつくる人たちが紹介されていた。そして、家をつくる勘や知恵があれば、生きるための力にもなるとまとめられた。記事を読み、私も同じことをやっていると感じた。「SELF-MAKE」で、庭づくり、野菜づくり、釣りの仕掛けづくりなどだが、そのためには「MAKE」を行う環境に恵まれる必要があると思う。また、造りと作りには、小さい頃の実体験が大切。私の「MAKE」は、屋敷内は父、農業は叔父、漁業は前の家のおじさんに教えられ体験した。そして今は、周りにモノづくりや魚釣りを職業にし、現役を続ける後期高齢の素敵な人達がいる。さらに教えを請い「準備・実行・失敗及び成功」の繰り返しの中に、楽しみがある。写真は朝鮮通信使が200年に及び19回寄港した可須浦(勝本の正村湾)。小さいころ海岸道路はなく棚からの水泳、高校時代は漁師になった友の船で水上スキー、夜は湾央に船を浮かべ船上ミーティング、客船の出入港時には突堤からダイビングサービスなど若大将シリーズみたいな遊びを楽しんだ。
238号:少年野球のごとき活躍
令和3年度1学期末になる。が、このごろ痛快に思い、しばらく続いてくれと願うことがある。少年野球に見る怪物(スター)のような活躍を本場アメリカ大リーグで為している大谷翔平選手の一挙手一投足である。想定以上のホームラン数、塁に出れば隙を見つけて盗塁、バッターボックスでごみ拾い等などだ。夢を見ているというか、日本の少年野球の延長のような気もする。私は小さい頃の遊びといえば、野球といった時代を生きた。そして、中学3年の壱岐郡中体連はショートとピッチャーで出場。決勝戦は1点差で9回の裏をむかえ、ツーアウト後のバッターボックスに立った。そして、ツースリーからのボールを引っぱたくとレフトセンター間にライナーのボールが飛び、追ったセンターの足間をボールが抜けていくのが見えた。「走れ!走れ!」の大声援のなか、転びそうになりながらホームベースを駆け抜けた思い出がある。試合は延長の末、両校優勝となった。大谷選手の活躍は、野球に明け暮れた多くの野球少年の楽しみになっているに違いない。写真右は、父の壱岐郡青年大会100m優勝カップ。左は、私の壱岐郡中体連400m1分0秒5新記録賞の盾。
237号:初体験モルタル塗り
先週の木曜、土曜と今週の月曜日の3日を使い、裏庭の改修工事を行った。初日に石とコンクリートでできた古い土間を掘り返し、土曜の午前中に生コンが入った。月曜日は仕上げで、石を敷いた部分と花壇底部の隙間をモルタルで詰めた。私は3日間ともに作業の手伝いをした。が、コンクリート塗りとモルタル塗りは初体験となった。3日目は左官と私の二人だったが、左官にモルタル塗りのコテを借りて一緒に作業をした。左官は同じ団塊世代で、作業をしながら色々の体験話を聞いた。そこで思い浮かんだのが「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」(山本五十六)の言葉だった。初めてモルタル塗りをする私に、その通りに教えてくれた気がした。そして、左官に褒められ、おまけにモルタル塗りの道具(中塗りと小塗りのコテ)をいただいた。写真はモルタル塗りの現場。近いうちにセメント買いに出かける予定、老後にやることがまた増えた。
236号:水無月(六月)
壱岐は海に囲まれた島である。高い山はなくなだらかな小山と平地が続く丘陵に、六月は緑が映えて美しさが際立つ。また、世の中を騒がすコロナは、壱岐は感染ゼロが続き生活はいつもと変わらぬ状態にある。だが、外に目を向けるとびっくりするニュースがある。開催を控えた東京五輪動向。コロナのインド型感染急増、ミャンマー軍部クーデター、中国一帯一路による債務の罠など等。そのような中、壱岐は突然に市長リコールが起きたが不成立、今は市の財政問題などが騒がれている。が、それより深刻と思うのは、島の緑の美しさの中に潜む問題(自然管理)のように思う。車で外に出たときに感じることだが、急傾斜の白いコンクリートが草木に覆われつつあること。国道や市道で側面の木々が道路を覆う緑のトンネル、耕作放棄地や管理不行き届きの山の草木の大繁殖。美しい緑は島の誇りといえるが、人による管理力が自然の草木の成長に負かされる時が近づいている。近い未来に来てしまいかねないと按じている。自宅庭の草木の管理に忙しい男より。写真は、国道382号線。
235号:一本道の正村町
五月節句の行事も終わった。14日に町内(正村)を歩くと、24軒の軒先に萱と蓬が飾られていた。人々が長年に渡り伝えてきたならわしが、大事にされていることを目の当たりにした。写真は正村町で、手前の電柱から奥の聖母宮石鳥居までの120mほど。だが、左奥から7軒の住所は坂本触(縄文遺跡出土)で、大昔から人々が住んできたことを示している。他は勝本浦で、朝鮮通信使の迎接所建設に伴い山を削り海を埋め立てた造地。1607年から1811年まで200年にわたり12回来日、往復路19回寄港し宿泊した所です。また、右手前は正村蔦(つたや)という鯨組の家で、赤レンガ内に屋敷を護る荒神社がある。そして、一本道は高校時代、私が夜の勉強中の眠気覚ましに100mダッシュを繰り返した道。陸上部はなかったが、郡民体育祭で勝本町の選手として100mと走り幅跳びに出場し、壱岐の護岸工事を請け負った会社の御曹司と競った。今も交流が続く先輩ですが、昔を辿ると祖先は文禄・慶長の役でともに朝鮮に渡った仲、聖母宮の運営責任者と宮司など。不思議なつながりです。
234号:五月節句の萱(かや)と蓬(よもぎ)
壱岐市勝本浦は、漁業を専業とする街。その勝本浦は、独特の信仰や祭祀活動、及び年中行事や通過儀礼が多く遺され続いている。その一つに旧暦の5月3日~5日(新暦6月12日~14日)に、玄関先に「萱と蓬」をさす風習がある。全国各地にあると思うが、1年の節目において穢・不幸・不善を去って、清浄・幸福・正善に還ることを願う行いという。これまで何知らず家々の玄関先の萱と蓬を眺めてきたが、相方に聞くと我が家でも行ってきたと言う。家外を仕事場とした男は、何気なく眺めてきたが関わる余裕がなかったように思う。だが、意味を知ると対応が変わる。昨日は車で外出時に道端に生えている萱を見つけ獲ってきた。あとは蓬で、どこかに見つけて11日には玄関先に飾る予定。なんとなく繋いできた風習について、拠りどころを知り後世に継いでいくことが大切になっている。写真は:準備中の萱、12日に蓬を入れた写真に替える予定。11日の雨の中、新しい萱と蓬を獲り準備完了です。老後(ゆとり)の為せる技???
233号:授業参観
今日は、勝本小学校の学校運営協議会があった。「長崎っ子の心を見つめる」教育週間(5月31日~6月6日、全学級の授業公開)ということで、給食をいただき、午後は道徳の授業参観を行った。感じたのは生徒数が少ないこと。私も同じ学校で学んだが、学年3クラスで1クラスが40人以上だった。今は学年1クラスで、生徒は20人以下。授業はとても静粛で、初めに、か(課題)が示され → 授業展開 → 終わりに,ま(まとめ)で締められた。数年前に孫の授業参観で感じたことに、どの教室も同じ授業展開(壱岐版?)がされていたことがあった。教材等に先生方の努力が見られるが、固定された授業展開の中で十分に生かされていないように思った。東京都で私立中学高等学校の教育に関わったが、参観者には授業見学報告用紙(アンケート)が配布され、各教室にはその時間の指導計画表と教材が置かれた。そして、授業に対する様々な意見は、よい意見も批判の意見もすべて職員会議で報告され審議した。目的には、「授業のマンネリ化を防止するとともに、授業展開の新しい発見・工夫の一助とする」とある。
232号:港内埋立てスタート
先週から、勝本浦に大きな作業船が姿を現した。計画された勝本港湾の一部埋立て事業が、実地調査を経て始まったのだ。今は海との仕切りとなる堤防の基礎捨石の投入が行われている。1年ほどかかり捨石の投入が終わると区切りの堤防が造られ、その後に内側の埋め立て(3年ほど)が行われ完成する。辰の島遊覧の案内所や発着所など勝本漁港観光サービス拠点整備はその後となるが、長年になるため事業企画について現在の指導者(高齢者)から次世代への継承も大切になると思う。埋立ては、写真の作業船から海岸線までの約40m。中央の地区公民館前の海岸は、湾内で一番低いことから改築にあたり土台がかさ上げされている。埋立て後の海岸は30㎝ほど高くなるが、周辺の家は潮位上昇への対応が必要となる。また、完成後は観光バスの駐車場になり観光客が行き交う場となる。埋立て完成までの期間は、湾の中央に位置する黒瀬商店街をはじめとして、持続可能なまちとしてどうすればよいのかなど大切な準備期間となる。
231号:梅雨入り
先週15日(土)に、九州北部では例年より20日ほど早い梅雨入りが発表された。この雨の前にと、我が家では前日までに裏の畑にスイカと芋の苗を植え付けた。水好きのオクラは4月に種子を植えていたが梅雨入り前に発芽し、スイカ、芋と共に大量の雨水に嬉しそうな様子。畑には夏にオクラ、スイカ、芋を植えているが、スイカは帰省する孫たち用。だが、日にちがなかなか一致しない。その時は朝・昼・晩にスイカと大変になり、近所のお世話になっている方々に届けるようにしている。農業は素人だが、毎年豊作が続くのはなぜだろうと考えると、畑地の改善が思い浮かぶ。帰郷したころは畑を掘り返してもミミズを見ることがなかったが、今はミミズが住みやすい良い畑になったことがある。収穫が終わると土を掘り返し、堆肥を十分に入れて畑地を休養させていることが改良に繋がっているのだと思う。オクラ好きの娘が帰省した時には、テレビの前の二つの椅子に寝そべり、椅子の間に置いた火炙り機のオクラをつまみにお酒を楽しんだ楽しい思い出がある。
230号:これから先どうなるのだろう
コロナウィルス感染収束の見通しが、立たない状況になってしまったような気がする。7月にオリンピックを控えている国として、感染収束は第一の目標であり達成されれば目の前が開けてくると期待したが、ニュースを見るたびにこれからどうなるのだろうと思う。そのような中、壱岐市は安全・安心の島と高を括っていたが、5月に入り11日までに 1・2・1・3・5・4・6・0・0・1・0 計23人の感染者が発生した。危機管理対策本部の毎日の放送は感染者数が主だが、個人情報に十分配慮したうえで市民が安心して生活するために必要な感染情報(感染地域など)があればと願う。びっくりしたのは、本部放送後に、バス会社から運転手PCR検査のため明日は運航停止との放送が続いたこと。先週は病院に出かけたが、発熱外来の受付場所に多くの人が並んでいたこと。全国では高齢者向けワクチン接種が始まったが、電話が通じないなど想定された?混乱が続いている。写真は、小雨のなかひときわ目立つ一輪の花。人もしっかりとしなければいけない。
229号:新たな芽吹き
帰郷して5年目を迎えた。最初に感じたのは、停滞する漁業のなか新しく導入された辰の島遊覧船「ビーナス」の賑わいだった。2年目に勝本港湾の一部埋立てに関する「勝本浦部活性化推進協議会」のメンバーになり、「勝本浦漁港観光サービス拠点整備事業計画(案)」をまとめた。勝本浦入口は前面が海だが40mほど埋め立てられ、遊覧船がそこから出航すると街の風景が一変する。そして4年目に、小学校単位を主体とした新しい「まちづくり協議会」の設立準備が始まり、「漁業+(プラス)観光のまちへ」をテーマとした事業計画書、今年の3月には「勝本浦ご案内」のパンフレットを作製した。そのような中4・5月には、勝本浦入口の黒瀬商店街に新しい会社2件が誕生した。「60人が一緒に食事できるお食事処海神と物産店」、「島内初のクラフトビール醸造所(ISLAND BREWERY)」で、商店街に新たな人流が見られるようになった。変化が起きるときは、新たな芽吹きが重なるというが、勝本浦はびっくりするほど色んなことが起きている。4年後と思うが、港湾の埋立完成が待ち遠しい。写真は、桜島の日の出。
228号:朝のひと時
朝食を済ませ新聞に目を通した後、メダカに餌をやり裏の物見台に上り海を見渡す。写真はその時の光景。赤灯台の先は辰の島遊覧船の航路で、今朝も案内音を響かせ通っていきました。そして、中ほどにある広場は高齢者のたまり場ですが今朝は人が見えません。磯が解禁されたので、準備に忙しいのかも知れません。写真下に、石碑(馬蹄石)とかぎ型の石垣が見えますが、昔はその先は海でした。石垣と中の建物も江戸時代はなく、モノのやり取りが行われた市場。そして、小さい頃は石碑と石垣の間に石段があり、下りて海水浴をしたり春はサザエやウニ獲りなど磯遊びをしたところです。また写真の上部にある名烏島(ながらす)は、日露戦争の後に防塞として造られた黒崎砲台の第二観測所がおかれたところ。右端の丸い山は、鯨組の山見(見張り番所)がおかれたところ。物見台は、石の椅子に腰を下ろして、しばしの思考にふけるよい場所になっています。
227号:パンフレット各戸に届く
先週16(金)日、勝本浦ご案内のパンフレットが各戸に届いた。送付案内文書には、皆さまに勝本浦の歴史・文化についてよく知っていただき、勝本浦を好きになってほしいこと。また勝本浦を訪れる観光客が、散策ガイドとして多くの歴史・文化に触れ、勝本浦への興味を覚え関心を持つようになってもらいたいという、ねらいが記されている。まちづくり協議会は、今年1月にスタート。一番目の事業になったが、住民の一体感が醸成され、これからの事業展開の弾みになればと願っている。今後は四部会(地域づくり、漁業・商業活性化、安全・安心、子供育成)が主体となり、 漁業+(プラス)観光の街へ、~人が行き交うまちづくり~ に挑戦することになる。家の庭には、1月に植えたブルーベリーの苗木に花が咲き(写真)、一緒に植えた南高梅・キンカンの木も順調に育っている。経済社会は大変な状況だが、よく考えると今は様々な慣行見直しの好機かもしれない。勝本浦では次の時代に向けて、皆でよき歩みができることを願いたい。
226号:自由時間
仕事から解放されると、自由に使える時間が増える。中学・高校時代は、55歳以上の元気な老人が老健施設に通い、ゲートボールに興じられる姿を見た。その時に、自分が仕事を終えた後はもっと違う生き方をと思った。今老後を過ごしているが、大切なのは自由に使える時間を無駄にしないこと。12(月曜)日は「ゴルフの祭典、マスターズ・トーナメント」の決勝ラウンドを午前3時40分から8時過ぎまで観戦。松山英樹選手のアジア(日本)人初優勝の快挙を見届けた。その他にも、5日は、大リーグ大谷翔平選手が投手で先発、2番でホームランの場面を。4日は、オーガスタナショナル女子アマチュア女子大会で17歳の梶谷翼選手優勝の場面を見た。勤めているときは仕事の妨げになることは控えたが、今はその心配がない。見て思うのは、壱岐の子供たちのこと。多様な個性を持つ子が多いが、少子化の学校は多様化でなく画一化を生まないかと。昭和20年前後生まれの子たちは、子沢山で恵まれた教育環境とは言えなかったが、切磋琢磨し個性を高める環境に恵まれた気がする。写真は、自由時間の使い方一番の家外美化の成果。
225号:勝本浦ご案内パンフ
勝本浦ご案内パンフレットは、観光客が立ち寄る宿泊所、食堂、公的機関に早く届けた方がよいと思い、昨日はそれぞれの場所を訪ね、観光客への配布をお願いしました。コロナ感染が続く中で、サービス業は大変な状況ですが、夕方のお客さんを迎える準備中のお店の人の姿や、新しく施設設備を整えて出発しようとしている店を見て心強く思いました。パンフレットを渡すと、よい資料を作っていただきありがとうございますと、お礼の言葉をいただきました。パンフレットは、作成した原案(写真や文字の配置等)を、そのままに印刷していたらそうはいかなかったと思うのです。原案をプロのデザイナーの手にかけ、完成までに幾度となくやり取りをして出来たパンフだからこそ、快く受けていただいていると思うのです。新聞に、産業変化の影響で、企業城下町として栄えた街から企業撤退という大変なニュースがありました。70数年生きて感じることに、昔と同じものがほとんどないということがあります。これからどうなるのだろうと思うことの多い毎日です。写真は表紙を開いたページ(勝本浦図)、さらに開くと65か所の写真と説明文です。
224号:令和2(2020)年度終了
今日で令和2年度が終了。本当は、2020年はオリンピックの年だったが世界的なコロナ感染拡大の影響で、様々なことが中止や延期に追い込まれた。新型コロナウィルス、病の恐ろしさを感じた年度でもあった。だが、自然に恵まれた壱岐では、市の危機管理課からのコロナ予防放送が続き大会や会議の中止もあったが、日常の生活にさほど支障をもたらすことはなかった。その時をつかって打ち込んだのが、勝本浦まちづくり協議会の計画書づくりと勝本浦ご案内パンフレットの編集だった。お陰で二つともに年度内に完成し、新年度は新たな事業に取り組む準備が整った。なんだか神様が応援してくれているのではと思うほど順調な仕上がり。勝本浦には、大和朝廷が玄海の島々に祀ったといわれる厳島神社がある。弁天さんといわれているが、祭神は市杵島(いちきしま)姫命。才色兼備の海上守護の女神であるが、「人を助けて、人から助けられよ」という教えがある。清明・正直の心を持つものの上に加護を垂れられるという。
223号:勝本小学校卒業式
先週の金曜(19)日は、勝本小学校卒業式に出席した。孫の卒業式以来3年ぶりだった。東京都私立中学高等学校の校長としての経験があるので、その時を思い出しながら見つめることになった。式は国歌斉唱、卒業証書授与、校長式辞と厳粛に進んだが、卒業生の緊張が一瞬緩んだ。それは若いPTA会長の祝辞の中だった。原稿を見ずに卒業生を見ながらの話しの中で、質問があります「不可能の反対は何ですか?」と、生徒は戸惑ったが「可能」と返した。その後、会長は初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの名言を引用し、人生の中では問題にぶつかることが多くある、その時大切なのは無理(不可能)とかいって逃げることなく、チャレンジ(挑戦)をし、可能とする人になってほしいと説いた。話が終わるのを待って、私は若いPTA会長の祝辞に拍手を送った。誰か後について拍手を送るかと思ったがそれはなかった。祝辞の中の卒業生への質問、その祝辞への拍手が荘厳な式に不思議な一瞬を醸し出した。そして式は、在校生・卒業生の別れの言葉と歌、校歌全員合唱、保護者代表挨拶で締めくられた。素敵な卒業式でした。写真は、勝本浦の高台に建つ勝本小学校。
史跡等の由緒調べ
勝本浦ご案内パンフレットは、来週印刷が始まり再来週(29,30,31日)に届く予定。壱岐に帰郷し4年が経過するが、年ごとに目標を決めよくやったなと思う。家の環境整備、勝本浦案内ホームページ、傾斜の石垣積み、勝本浦ご案内パンフレット。そして、さて次は何をと考えるようになった。パンフレットの作成で感じたのは、様々な歴史・文化の残した史跡等について、よく知られていないということだった。また、お社やお堂などはどのようにして祀られてきたのかがよく分からない。鹿ノ下東・仲・西の3町が祀る志賀神社の祭神は、上津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神。渡(綿)とは、海上を往来するための名。津見とは、そうした霊力の持ち主のことで、航海守護の神ということになる。漁業のまち勝本浦の漁師が、上(海上)、中(海中)、底(海底)の自然現象と交感するなかで生まれた船霊信仰、えびす信仰などにより祀られたお社。昔の絵図に祭神の神徳や由緒等を追加する。大変だがおもしろい学習になりそうな気がする。写真は、海神を祀る志賀神社。
221号:地域が決定・実行
先週の土曜日、勝本浦まちづくり協議会の開所式を行った。当初は2月に行う予定だったが、コロナ対応で延期になった。振り返ると第一回幹事会が2年前の6月なので、およそ1年半ばかりの準備期間を経たことになる。これもコロナの影響ですが、十分な準備期間を持つことができたのは良かった。開所式の挨拶で強調したことがあります。地域の特性や実情に合ったまちづくりは、地域が一体となり、地域に必要なことは地域が決定・実行することが大切ということです。このことは、まちづくり設置条例のなかに謳われています。地域再生など国の補助金事業は、どちらかというと全国一律の形になりやすい。が、まちづくり協議会はそうであってはいけないのです。開所式では、他地区で行われたという閉式での万歳三唱も閉式の言葉に変更。まちづくりの趣旨に則り、地域が主体となって色んなことに挑戦したいと思います。65か所を取り上げた勝本浦ご案内パンフも今月末に届きます。まずは、勝本浦の人々に自分のまちの史跡巡りを進めたいものです。
財政不足ニュース
前回のブログ(2月24日)で日本政府の債務を上げて、補助金だよりの地方の課題について考えた。が、その二日後の島内新聞に「壱岐市財政不足の危機」の記事が載り本当にびっくりした。市議会2月会議の市長冒頭あいさつで、「来年度の予算編成において大幅な財源不足を招くことになった」と、述べられたという。重大なのは、不測の事態に備えた財政調整基金残高が、現在の10億円から5年後に6千万円に減る見通しが分かったということ。帰郷して4年を経過するが、その中で感じてきたことは壱岐市でいろいろな新規事業が立ち上がりすごいなと思っていたこと。その中での急な財政不足発言にはただ驚くばかり。現在行われている3月市議会で議論されると思うが、市民に対しても十分な説明が必要になる。朝夕に届く市役所の危機管理課からのコロナ放送は、しばらくの間コロナ感染ゼロが続いているので、財政状況放送に切り替えられたほうがよいかもしれない。写真は、今年1月8日の積雪。めったに見られない光景です。
219号:プレミアム付き商品券
長崎県では、2月22日に県全体の感染段階が警戒警報から注意報に切り替えられた。そして、壱岐市では早速に経済活性化対策の「壱岐市地産地消応援プレミアム付き商品券」、「島民限定宿泊応援キャンペーン」の案内チラシが配布された。22日夕には、23(祝)日の商品券販売場所についての放送もあった。“まぁー慌てることはない”出かけのついでに買えればと思っていた。が、23日夕刻の放送で商品券販売終了の知らせがあった。日常消費は縮む傾向にあるが、7000円の商品券5000円販売の誘いに掻き立てられた人が予想より多かった。キャンペーンは、各地で行われているが気になることがある。それは原資が国からの補助金であること。日本の政府債務は、国内総生産の265%と先進国で最高にあることを思うと、いつまでも国頼りでよいのかと考える。世界ではSDGsといって、持続可能な社会づくりが目標とされている。自分たちの力で将来の在り方を見据えた政策がなかなか見えないところが、地方の課題かもしれないのです。写真は、春の訪れを告げる木の花。
218号:風雪・波浪・雷注意報
昨日(16日)は夕方に、壱岐地方は明日にかけて暴風警報の知らせがあった。予報は当たり、今朝(17日)は風雪・波浪・雷注意報と続いた。外は冷たい風が吹き嵐の予兆がある。今年は異常かと昨年の日記を見ると「壱岐地方暴風雨」という記録があり、2月は寒波到来の季節だと納得。が、違うのはコロナ感染拡大で日本及び世界各地が緊急事態にあるということ。人の往来や日常の営みが制限されるなかでの嵐は別の感がする。コロナ下で静かな生活を送る人間に、自然が声を聴けとばかりに吹き荒れているようにも思う。仕事人生を終えた老後は、その自然の動きとの付き合う時が長く感じる。大変だが、それに付き合う術を持つことも大切。今は老後にと加入していたWOWOWのお陰で、全豪オープンテニスを好きな時に見ることができる。明日は女子シングルス準決勝で、大阪なおみ 対 セリーナ・ウイリアムズの試合がある。どちらが勝ってもよし。素敵な試合になると楽しみにしている。写真は、裏の畑に実ったブロッコリー。
217号:漁業のまち勝本浦
朝夕、寒気が和らぎ春の気配を感じるようになった。全国的にコロナ感染も、落ち着きを取り戻しつつある。壱岐は感染者ゼロが続いていることから、ウイルス菌なしの島となる。だが、島外人との交流があるので用心にこしたことはない。その中、勝本浦は今週に入り漁に出かける船が多くなり街に活気が戻りつつある。釣りで波止場に出かけることが多くなったせいで、港の情報に接する機会が増えた。一昨日はイカ釣船が一晩で60箱、昨日は240箱上げたと聞いた。勝本浦は船のエンジンが港内に響き渡るが、今はイカ釣り船とブリ釣りの船が沖へと競う様が見られる。そして、波浪を避けるため造りすぎとも思える波止場のお陰で、海から勝本浦を見渡すことができるようになった。今日の新聞に、富山県の「ひみ寒ぶり大豊漁」のニュースがあった。が、地方の活性化には一次産業が元気であることが重要。ここ勝本浦も、たのもしい漁業の街であり続けるよう祈りたい。
216号:勝本浦ご案内パンフ
コロナの感染拡大で日常が戻らず、迷走状態が続いているように感じる。そして昨日は、コロナ拡大を受けて発令されていた緊急事態宣言が延長された。このことは賛成で、早く静まらせて日常を取り戻すべきだと思う。だが、壱岐市は現在入院患者1名のみ。私は色々と出かけることが多いが、マスクをかけ忘れることが多い。そのなかで取り組んでいるのが、まちづくり協議会作成の「勝本浦ご案内」の観音折りパンフレット。A4サイズの4枚を、両方の外側から折りさらに中に折る構成。表紙と裏表紙を開くと勝本浦の地図があり史跡64か所の場所と名称が載っている。さらに開くと史跡の写真と90字の説明を見ることができる。3月末までに完成し、まず各家庭に配布。観光客には辰の島遊覧案内所、食堂、宿などで受け取ることができるようにと考えている。コロナが早く終息し、いつものように観光客が訪れるのを楽しみにして待ちたい。写真は、勝本浦散策ご案内ページ。
215号:忙しい一日
一昨日(26日)、パソコンを開き「勝本浦ご案内」のホームページを開くと、「申し訳ございません。このページに到達できません」というメッセージが出た。1月15日に新しいサーバーに転送を終えたばかりで、一体何事かと大変な一日が始まった。電話相談窓口はつながりにくく、朝ようやくつながった。原因はドメイン情報の中の記述ミス(ikisi→iki-si、katumototyou→katumoto-choなど)で、管理会社が修正依頼のメール送ったが解決されないためホームページの公開を停止したとのこと。そのメールは受信メールにはなく、色々と操作していたら迷惑メールの中に見つけた。そのご担当者とやり取りを交わし、やっと修正終了。ホームページは、72時間ほど後に表示されるとのこと。そのような中に水曜(27)日は、壱岐市洋上風力発電の会議と勝本小学校運営協議会に出席した。だが、19時からの会議が終了し、車に乗るとライトが点かない。点灯は自動設定のままで触ったことがなく?、相方に電話し尋ねると「ハンドルの右サイド」との返事。ヘェー!とため息、忙しい一日でした。
214号:久しぶりの好天
全国各地から暴風雪による被害のニュースが届くなか、昨日の天気予報に晴とあった。今朝は曇りだったが、晴れ間が見えだしたので布団干しにかかった。長い冷気の中で、布団干しの必要を感じたから。作業をし始めるとつい仕事時代を思い出し、今の生活との違いについて考えてしまう。そして思うのは、コロナ再拡大でこの先どうなるのだろうということ。いったん収まったように思われたが、緊急事態宣言が再発出されている。なぜだろうと考えると、一人一人が自分で考え、判断し、適切な行動するという考え方が育っていないからではないかと思う。菅総理の言葉に「自助・共助・公助」があったが、コロナ対応も多くが指示待ちで、自助の態度にかけているように感じる。私は高齢を迎え趣味を増やしたが、足腰の衰えを防ぐためウォーキング+ジョギングを再開した。そして子供や孫との遊びで使ったグラブとボールを持ち出し、超高防波堤の壁を相手に右・左からのボール投げを取り入れた。肩の可動域を広げ、身体の筋肉を落とさないようにする。もう走ることはできないという人が多いが、走り始めることが大切。写真は、身体鍛え場所の馬場崎公園。
213号:ホームページの移動
壱岐に帰省し、今年の3月で4年が経過します。1年目は、とにかくこれからの生活のための環境整備。そして2年目に、勝本浦の港外にある国定公園「辰の島」を巡る観光遊覧船の賑わいを見て、観光客に歴史や文化を良く知っていただくことの必要性を感じホームページ「kazamoto.dti」を立ち上げたのです。しかし、ホームページには様々な情報をアップし、ブログを立ち上げるなどしたために、ときにサーバーの容量オーバーに会うようになりました。そこで、新しいサーバーを求めて「 http://katumotoura.com/」へと移動をすることにしたのです。移動に際しては、新しいサーバーに対する各種の設定変更等で大変でしたが、マニュアルやインターネット検索を通じて自力でどうにか行うことができました。よくやったなと思います。何事か新しいことをやることは大変ですが、以前と違うことは豊富な自由時間を持っているということです。職業人生を終えた後には、何事かやらなければならない環境を持つことが大切。自然豊かな壱岐の島は、家の中でごろごろするのには適さないところです。写真は、辰の島遊覧の一景観「海の宮殿」。
212号:様変わりの正月
新年はコロナ感染拡大への対応から、各種行事ごとに対する自粛要請があった。その中、壱岐市では昨年末の28日から31日までに、17人の感染者が確認され市長放送があった。説明では感染者情報は知らされなかったが、31日に17人のうち9人は市役所職員、3人は職員の家族と発表された。この後に、私もそうだが市民のコロナに対する関心や態度が一変したように思う。油断することはできないと。そして新年を迎えたが、寒気の影響も加わり様変わりの正月を見ることになった。家の前にある聖母宮は、例年は早朝から初詣で賑わうのだが、今年は「ぱらり、ぱらり」、長い人生のなかで初めて見る光景だった。全国ニュースには、秋田県男鹿市の双六地区で、大みそかに家々を巡って厄災をはらい吉事をもたらす来訪神「ナマハゲ」が姿を消したとあった。地域にとって伝統行事は住民の結束を高めるとともに、観光面の効果も大きい。が、持続性ある行事へと改善を重ね転換することが求められているようにも感じる。どのような形にすればよいかはっきりと浮かばないが、これまで続いてきた行事等の在り方について思考する機会になった。
211号:暴風雪警報
年末は強い冬型の気圧配置の影響で、日本海側を中心に大荒れの予報があった。壱岐は昨夕から雨が降り出し、夜に強風と続いた。例年は帰郷する子供たちの迎えで忙しくしているところだが、今年は静かな年末を迎えた。そこで昨夜は、テレビの「サスケ」を鑑賞した。忍者もどきの仕掛けを潜り抜け最後のステージに残ったのは一人だったが、クリアしたソフトウエアエンジニアの森本選手の前人未到の2回制覇に感動した。その前は、フィギュアスケートの羽生選手の絶対王者を思わせる演技に感動。いつもと違う年末だが、海釣りの魚や畑の作物をふんだんに使った食事や、ウォーキングなど相方と生活工夫中。そのなか今朝5時に、消防署から「壱岐地方に暴風雪警報」発出の放送があり目が覚めた。そして九州郵船から、30・31日の船便欠航の知らせが続いた。我家の子たちは事前に帰郷中止を決定していたが、帰郷する人の大幅減少が予想される。このようにコロナや暴風雪がもたらす「新状態」が、これまでの生き方や在り方の見直しにつながり、よき状態が生まれる機会になればと思っている。写真は、裏の物見台から眺めた港外に浮かぶ寝島(鬼退治の百合若大臣が疲れ寝た島)
210号:特定健診
前のブログ更新以降、冬らしい寒波に見舞われた。その中で釣りに出かけたせいか、足に乾燥肌らしき症状。そこで架かり付けの病院へ出かけ、薬(ヒルロイドソフト軟膏)をいただいた。ふろ上がりに塗るとヒリヒリしたかゆみも改善し、よく眠ることができた。そして今日は、夫婦連れだって先延ばしにしていた特定健康診査を受けた。40歳から74歳までの公的医療保険者を対象にした保険制度で、メタボ健診という。最初に腹囲の測定があるが私は81㎝(基準値は男性85㎝)、前回は太りすぎで保健指導を受けたが大幅な改善、日頃の石垣積みや畑作業等のお陰と思ったが、医師からは予防的検査(胃カメラ、便検査、CT等)の必要性について助言があった。願いは、今後も特定健診のみでOKといえる健康維持に努めること。写真は、漁師が祀り守ってきたミサキ(漂流水死人の霊)神社。陸から行くことはできないと思っていたが、天ヶ原海岸からコーゴ崎に沿い10分ほど歩いた所にある木の梯子を上ると外海を眺める社がある。
209号:漁業+(プラス)観光のまちへ
勝本小学校単位のまちづくりを担う「勝本浦まちづくり協議会」は、幹事会・設立準備委員会を経て来年1月に開所の予定となった。大きな目標となるのが、漁業中心の勝本浦を「漁業プラス様々な観光サービス」のまちへと発展させ、持続可能なまちとすること。観光サービスの動きは、まず「辰の島遊覧」の利用客増加にみられたが、その他にも新たな動きが見られるようになった。①游漁船サービスの「五郎丸」、「聖昇丸」、「金比羅丸」。②旧大幸物産あとに建造中の食事処「海神」。読みは「わたつみのかみ」で一度に60人ほどが食事できる。③明治の風情を残す酒造屋敷が、令和3年に壱岐初の地ビール醸造所「ISLAND BREWERY」としてスタート予定。勝本浦は、4~5年かけて勝本地区公民館前が埋め立てられ、そこは観光バスが止まり辰の島遊覧船の発着場となる。大変化は様々な新たな動きを伴うと聞くが、現在の勝本浦にその兆候を見ることができる。みんなが後れを取ることのないよう、変化に目を凝らしてほしい。写真は、海岸沿いの大きな建物が公民館、埋立は海岸から35mほど。
208号:静かな港町
老後の一日を過ごす中で、工夫がいるのが午後の時間。今年は石垣積み作業にほとんどを費やしたが、その石垣も完成し釣りに出かけることが多くなった。だが、気になることがある。一つは海の中の様子、今は回遊魚が入り釣りには絶好の機会といえるが、なかなか釣れないこと。時には釣れないで怒って帰る人もいる。二つ目は、漁船の動きが少なく、港全体が静かに見えること。豊漁の頃は、漁船のエンジン音が勇ましく思えるほどに港は活気に溢れていた。が、今は違う。漁師に話を聞くと、漁価が安く油代を稼げない状況。だから沖に出られない。魚が釣れないのではなく、他の要因により港が静かになっているのである。12月1日の新聞に、「新漁業法、きょう施行。漁業成長分野へ一歩」との記事があった。魚を増やし、漁業を成長産業にすることを目指した法律。また、6月21日には「水産物の取引を担う卸売市場制度改革」がスタートした。が、この改革も先延ばしという。静かなままでは大変な漁業、新たな改革に挑戦し持続可能な漁業へと進むことが大切。まちづくり協議会に、漁業活性化部会がある。委員と今後の在り方について研究を進めたいと思う。
207号:観光案内パンフレット
私が住んでいる勝本浦は、古代から江戸時代まで日本と朝鮮半島との通交や外敵侵入に対する防衛の先だった。勝本浦案内パンフレット作成のため史跡を巡り、文書等を調べる中で感じたことです。現在のパンフレットには16か所の史跡が紹介されているが、現在作成中のものは64か所。市指定や町指定の史跡や文化財中心から、各町内で守られてきたお堂や神社等を取り上げた。その中、ある会議で元寇の千人塚は?と聞かれた。元寇といえば、大風で遭難した元軍の船から流れ着いた人や武器を引上げ埋葬したという話は聞いていた。が、天ヶ原千人塚について調べると、「元軍が上陸し通過したあとには島人の死体が横たわっていた。生き残った人々は死体を集め、埋葬し小さな塚を築いたとあった」。そこで相方と一緒に探索に出かけた。が、道路沿いに案内板がないことから、想定した高台(上陸を知らせる烽山)につながる坂道(闘いのあった勝負坂)を上ると「千人塚入口」の案内板があった。そこから木々に囲まれた細道を上ると風雨にさらされた祠と新しく作られた碑があった。蒙古の襲来があり、闘いで多くの死傷者が出たことを思うに十分な場所だった。写真は、千人塚。
206号:二二三(ふじさん)会
二二三会とは、昭和22・23年生の漁師の会。漁師以外の二人が参加し、昨日は久しぶりの会だった。場所は、昭和44年長崎国体に出席の天皇皇后両陛下が、壱岐を訪問し宿泊された国民宿舎「壱岐島荘」。面白く思ったのが、会場入口の名称「富士山会」。だが、文句をいう者はいない。会は5時から6時まで温泉入浴。そして懇親会は、酒と食事と並行して漁業や昔話などが続く。その中で、勝本浦観光案内パンフレット作成の話からひょんな方向へと話が飛んだ。一つは門名(家の呼び名)、私の住む正村は国際都市という。理由はマッカーサー、イギリス、蒙古、棒振り、天皇陛下という門名があったこと。小さい頃はよく耳にしたが、世代交代が進んだ今は聞くことがない。二つ目が、町名を言い表すもので、人も通らぬ〇〇〇〇の町、じったいがったい〇〇がた町。旗もそろわぬ〇〇町、一本道なら〇〇町、浜町ないのが○○町、電気の通らぬ〇〇〇町。勝本浦の人は、〇〇に町名を入れてみてください。昔は日々を楽しく過ごす術として、ユーモアが大切にされたと思う。が、今使うと大変なことになりそう。写真は、魚価の低迷など出るに出れないという漁船。
205号:洋上風力発電
菅総理大臣が、臨時国会の所信表明演説で「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と表明しました。そこで関心を集めているのが、化石燃料に変わる太陽光や風力などの再生エネルギー。現在長崎県では、県内海域において洋上風力発電の実施可能エリアを選定するためのゾーニング事業が実施されています。その関係で、洋上風力発電システムの実証研究に取組む北九州市の視察に参加してきました。現在6種17基の風車が設置され、へーッとびっくりするほどの景観(写真)でした。これを壱岐市で行うとすると陸上は×、洋上になると思いましたが、羽が50m、最大高が100mを超える風車となると、適地の選定も大変な作業になると感じました。今日の新聞には、「遠い再エネ先進国、昨年度の発電量に占める再生エネルギーの割合は18%で欧州の半分程度の水準」とありました。市民がよく知らないうちに、風車が建っていたということがないよう、皆が関心を持つことが大切と感じた次第です。
204号:めだかの学校
一日を過ごすなかで難しいのは、午後の時間に何をするかということ。釣りに出かけるときには、餌を準備したり仕掛けを作ったりと出かける前にやることが多く忙しい。釣りと言えば、少し変化が生じている。漁業の街といえる勝本浦では、漁師の人から「出るに出られない状況」という声をよく聞く。沖に出たいが魚が釣れない、需要が少なく値が安いために出るに出れないという。魚が釣れないのは、波止場釣りの人からも聞く。確かに、去年は波止場に繋いだ船の下に、沢山の魚が休むのをよく見たが今年はいない。それで私も、しばらく釣りに出かけていないのだが、今日は汚れが気になっていた「めだかの学校」の水替えに取り組んだ。簡単なようだが、学校は4クラス(火鉢4つ)で大変な作業になる。めだかを傷めないように水を汲みだし、中を掃除して新しい水を入れる。生き物を飼うのは楽しいことだが、世話に大変な労力が要るのも事実。子供が面倒見切れなくなった犬や猫を、預かり育てている親も多いのではないでしょうか。水替えを終えて、嬉しそうに泳ぐ姿を見ると疲れも吹き飛ぶのです。写真は、「4組のめだか」です。
203号:久しぶりの島外
先週10月30日(土)から今日11月6日(金)まで、関東へ出かけてきた。東京で職業人生の約半分を過ごしたせいか、子供たちは関東に住む者が多く久しぶりに会ってきた。が、コロナが収まらない中、他所へ出かけることは控えざるを得なかった。そこで、都市と地方の違いを思うことになった。都市は働く場所としては良い所だが、仕事後の生活は密の少ない地方が良いということ。地方は近くに山や海があり、農家と仲良くなれば農作物の、漁師と仲良くなれば漁獲物のおすそ分けが届くが、都市はそうはいかない。また、何かをしたいときには、フィットネスクラブ等どこかに通う必要がある。通えない者は、家の中でごろごろの生活になってしまいかねない。子供たちと話すなかで、テレワークという言葉が出てきた。仕事は会社でなく自宅ですることが多く、地方に移住する人もいるという。壱岐と東京は、高速艇と飛行機を乗り継げば午前中に東京の事務所に着く。今は福岡と壱岐を仕事で通う人がいるが、将来は交流地が広がるかもしれない。写真は福岡空港、展望デッキから撮影。
202号:船長からの電話
今週は26日、27日と昼過ぎに、同級生の辰の島遊覧船長から電話が入った。26日は、墓の整備中で受信できなかったが昨日は受信。用件はどちらも、関東方面からの観光客がお宮参りをしたいと言っている。おしが(あなたの)家の方へ向かうので案内ばしちくれんか(をしてくれないか)という依頼。昨日は神奈川県からの一人旅の女性で、来るのを待ち受けて古代・中世・近世と国の重要港としての役割を果たした勝本浦について説明をした。そして、相方も一緒に車で浦部一周の観光案内まで済ませた。このような時にいつも感じるのが、観光客が自分で考えながら自由に勝本浦を散策できるパンフレットの必要。まちづくり協議会がスタートしたら、まず「勝本浦ご案内パンフレット」を作成しようと思っている。普段大きな声で話す機会が少ない者にとって、観光案内は大変な労力を要する。分かりやすいパンフレットがあれば、それを渡してどうぞお楽しみくださいで済んでしまう。
201号:老後の過ごし方
勝本小学校単位のまちづくり協議会の設立準備会(地域づくり部会、漁業・商業活性化部会、子供育成部会、安全・安心部会)の会合が進んでいる。私はすべての会合に出席するため、かなりの時間を費やすようになった。お陰で暇なしという状況。だが、一日の中では何か身体を動かすことの必要を思うことが多い。いまは裏の石垣づくりも終えて、何かないかと考えていると、先祖代々の墓が思い浮かんだ。小さいころからお参りをしてきた場所だが、その頃と違い今は周りに木々が育ちときどきに伐採が必要になるとともに、周りの石垣も石不足で崩れそうなところが目立つようになっていた。そこで砕石を購入し、今は昼過ぎの空時間を見つけて、墓のリニューアルに取り組んでいるところ。このようなことができるのも、自由な時間に恵まれた老後と個人で砕石の購入ができることが大きい。老後を退屈させないような、やるべきことをもって生きることはとても良いこと。写真は、墓からの帰りに眺める対馬海峡に沈む夕日。素敵な光景で、時々眺めに来ている人と出会う。
聖母宮大祭
今日は勝本浦と在部の可須地区の氏神、聖母宮大祭の日。いくつかの行事が行われるが、順を追うと①おしおい取り。早朝から海岸に出て海水を汲み、お仮堂に鎮座する神輿にふりかけ、残りを家に持ち帰り家族の身体に少しずつふりかける。②お仮堂で神官が祝詞をあげる。③フナゴロ。船競争のことで、一の船が勝つと在部が豊作、二の船が勝つと浦部が豊漁。④御還幸。神輿が本殿に戻る。神輿の後にお囃子、その後に仮装行列が続く。⑤安座神楽。⑥狂言芝居(私の小さい頃は楽しみにしたが今はない)。この大祭も今年はお神輿のお船旅も台風の影響で縮小され、各町内が参加する仮装行列もコロナで中止となった。近郊では最大で祭典も盛大かつ華やかと言われてきた祭りだが、戦後生まれの団塊世代が育ったころの様子からすると随分変わってきていることが分かる。全国でも同じようなことがあると思うが、いろいろな行事は時々の社会状況を受けて変化し、現在はさらに持続可能な形での実施に向けての模索が始まっているように感じる。写真は、祭りにたなびく聖母宮のぼり旗。
199号:団塊世代の仲間
先週は何かと忙しい週だった。28日(月)は中学時のクラス会、29日(火)まちづくり協議会の安全・安心部会、10月3日(土)まちづくり協議会の地域づくり部会に高校時の仲間会、5日(月)勝本浦活性化推進協議会(勝本港の埋立について)。そして、明日は市開催の原子力安全連絡会の傍聴に出かける予定。退職後は悠々自適の生活予定だったが、色々と役が増えてきた。現在は世界的な大変革の時期なので、何か役に立てればという気持ちで臨んでいるところ。そのような中に、びっくりするニュースが飛び込んできた。アメリカ大統領のコロナ感染について。まずは知らせに驚いたが、3日後に退院。ふつうは2週間ほどの療養が求められるのに、大統領がヘリコプターに乗りホワイトハウスに戻り挨拶する姿だった。アメリカは世界最大の感染者数と死者数が出ているのに「コロナに支配されてはいけない、恐れてはいけない」など、大統領が発する言葉なのだろうかと疑った。私の高校仲間会は、団塊世代の72,73歳。トランプ大統領は一つ上の同じ団塊世代。振り返ると似たような性格の者も多くいたような気がする。写真は、勝本港に上る中秋の名月。
198号:米討論会
9月末になり、風の強い日が続いた。昨夕はその中、久しぶりに釣りに出かけたが、海は魚がいるようではなかった。それでも根気強く粘ったが、いつもくる一度の機会にも恵まれず、釣った小鯵は海に戻して帰った。そして、今朝は楽しみにしていた米大統領選挙の討論会をみた。現役の頃はできなかったが、今は世界のスポーツやニュースなど、時間を気にすることなく視聴できるのは何より。討論会は両者に各テーマにつき2分の時間が与えられたが、相手の話中にも構わず反論するトランプ大統領。また、彼特有の話法。テーマに対する中身は少なく、自分の成果の強調と、相手の悪いところを喋り捲るところに思わず「へーッ」。討論会はあと2回。これからのアメリカをどうするのか、政策論争に期待したいと思います。勝本浦では、まちづくりに向けた設立準備会が進み、アンケート結果をもとに課題と解決策について話合い中。現在の漁業、商業、観光について、改善が必要とする回答が79%、82%、74%に上りました。写真は、家の柿木についた実。昨年は台風で全滅でしたが、今年は少し残りました。
197号:根競(こんくら)べ
4連休も終わり普通に戻った。が、退職後の者はいつもと変わらない。朝起き朝食を済ませ新聞を読み、メダカに餌をやったあと庭の様子を見て回る。そのとき心がけるのが、家の周りと畑の石垣の合間から芽を出す草の除去。お陰で草や木などが目につかない石垣になった。それは草木との根競べの成果と言える。出てきた草が大きくならないうちに摘み取るが、数日経つとまた顔を出すので摘むという繰り返し。また根競べと言えば携帯電話にも言える。先に高齢者向けスマホの宣伝を見た。「スマートフォンを始めよう。日本で最も愛されている〇〇をと」。そこには高齢者が自撮りした写真がついていた。ここも根競べが大事と思う。新しい総理のもとで、デジタル庁の創設や携帯料金値下げが挙げられている。スマホがマイナンバーカードになり、自動車免許証や国民年金証などと合わせて利便性の増加が予測される。激変のなか、慌ててコトを急ぐことなく慎重に判断し行動することが大切。ガラケーからスマホへの転換は、高齢者によき商品開発を待って行いたい。写真は、整備した「物見台」の登り口、根気強い取組のお陰です。
196号:団塊の世代
安倍首相の退陣表明により、自民党総裁選が行われ菅官房長官が選出された。そのなか新総裁に関するいろんな情報が知らされたが、おやっと思ったのが生年の1948年と高校卒業後の生活。私は1948年の早生まれだが同じ年生まれ。そして、高校を出て東京へ行き種々のアルバイトで学費をため大学へ進学という逸話からは、壱岐の島を離れ寝台列車に揺られ東京へ出て、働きながら夜間大学で学んだことを思い出す。その頃の地方の若者は、集団就職で工場に勤めること、また自分で働きながら大学で学ぶのは珍しいことではなかった。とにかくがむしゃらに毎日を送ることが最優先で、今では想像もつかない青春時代だった。そして、その世代に団塊世代という命名をしたのが作家の堺屋太一さんだった。第二次世界大戦直後の1947年~1949年に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のこと。今は後期高齢者の仲間入りを果たし、自分の生活体験から若者の生き方を批判する声もあるが、デジタル社会を当たり前にして生きる世代が、後期高齢になる頃は昔(今)をどう思うのだろう。若者の多様な生き方を素直に認め、個性を尊重する姿勢が団塊世代にとって大切になっている。写真は、職業を終え息子と小笠原に旅し船から眺めた朝日。
195号:台風襲来
9月に入り二つの台風が、ほぼ同じコースをたどり壱岐の島の西海上を通過した。台風9号は9月1~2日、台風10号は9月6~7日の夜から早朝にかけて。夜はすごい暴風が睡眠を妨げた。特に10号は、太平洋の海水が異常高温のため気象庁から「猛烈な勢力で九州に接近し広範囲に暴風をもたらす恐れがある」という知らせがあり、これまでになく緊張感をもって迎えることになった。壱岐市は全域に避難勧告が出され案内放送があったが、避難者が多かったせいか追加避難場所が設置された。私は避難しなかったが、いつもより備えをしっかりする必要があると思い、気になる窓ガラスにテープを張り、小さな木に添え木を置いたりした。通過のあと庭を回ると花壇のキンカンの木が傾き、芙蓉の木の幹が割れていたが、我が家の被害はこの二つ。そして外出すると、国道の両側にたまった落ち葉や木の枝の清掃作業に出会った。台風で道路の隅に覆いかぶさる木の葉や枝などの撤去で、公道の管理には大変な手間暇がかかることを考えさせられた。写真は、台風に備えた勝本裏の漁船。
194号:激動の2020年
9月に入り今年も残すところ4か月。本来なら2020年は、記念すべき東京オリンピックの年だったが、コロナウイルスの世界的な感染で物事が止まり、これまでと違った日常を送ってきた感がする。そして、先週末に安倍総理が退陣表明、今週は台風9号が発生し今夕から明日にかけ壱岐の島の西海上を通過する。今日は島内放送で幾度も避難の案内あり。だが、勝本浦は壱岐の北端。台風が島の西を通過するときは、南風が入るので勝本浦は心配することはないと父がよく話していた。話は変わるが、昨日(1日)から国のマイナポイント(キャッシュレス決済の還元策)が始まった。担当の総務省は4千万人分の予算を用意したというが、8月30日時点で467万人とのこと。私は手続きを終えた一人で、今日の買い物で早速ポイントを受け取るカードを使った。今から申し込む人も多いようだが、混雑で2か月以上かかる地域もあるとのこと。早く済ませておいてよかったと思うし、何か良い気持ちです。台風は、ニュースによると9号よりも10号の進路が心配。9号台風は備えを済ませて、すっと通過するのを願っています。写真は、物見台から見た港外の名鳥島(台風接近の午後3時)。
193号:Go Toトラベル
今朝の新聞に、政府の旅行需要喚起策「Go To トラベル」の利用者が7月27日から8月20日までの期間で少なくとも420万人にのぼったという記事があった。そういえばこの頃、島外観光客が勝本浦の地元ガイドの説明により浦部を散策し、辰の島遊覧を楽しむ姿が目立つようになった。昨日は案内の場の近くで説明を聞いたが、朝鮮使節が寄港したときの様子(接待と送迎は沿道の諸大名の役目で、正徳元年の三日間の供応に費やされた品目と数量、やまいも千五百本、鶏卵一万五千個、アワビ二千貫目、スルメ五千斤、米五十石、清酒十五石など)を取り上げ上手く話しがされていた。旅行客は大阪の旅行会社が企画したツーリズムの一行で、8月19日から9月9日まで予定。勝本浦といえば、今は漁業の町だが、これからを考えると漁業に新たな産業をプラスすることが必要と思う。その新たな動きとして感じるのが辰の島遊覧船など観光需要の高まり。そして次に地元の観光ガイドの活動が見られる。写真は、物見台から眺めた寝島。百合若大臣が鬼退治した後、疲れて寝た島と言う。
192号:お盆行事
今週は、外に出る気がしないほどの暑さ。夕方に日影ができるまで、家の中での生活が続きそうです。さてお盆も終わりました。が、これまでと違うことが多くありました。お盆と言えば、勝本浦は13日の花火大会、14日のペーロン大会と賑わうのですが、今年はコロナで中止。しかし、さして何も感じずに過ぎました。担当者は伝統をつなぐという責任があり、行事の実行は一大事ですが、今年はゆっくりされたのではと思います。そこで感じたのは、今年の中止が must do として繋いできた様々な行事等の見直しにつながるのではということです。振り返ると、明治・大正生まれの親世代は慣例を粛々として繋ぎ、昭和の私たちも教えにならい継いできた。が、これからの世代には行事や慣例について、なぜ行われてきたのか、続けるのはなぜかという、意味づけが必要になっている気がします。「これまでやってきたから今年もやる」ではなく、物事の歴史や意味を分かりやすく説明することが大切。「しなければならない」ことを見直すよい機会です。写真は、勝本町花火大会。
191号:夏の味
夏休みに、子供や孫が帰省した時のために植えたものがある。西瓜(スイカ)、原産は熱帯のアフリカ。去年初めて育てたが、びっくりするぐらい採れた。それで今年もと6月3日に苗植え、7月に花が咲き受粉に取り組んだが、雨の日が続き球形の果実が落ちた。今年はダメかと思ったが、8月に入り大・中・小のスイカが姿を見せるようになった。そして朝にスイカをたたき、音を聞くようにしているが今ひとつ。だが、14日に孫たちが帰るので、今夕はスイカを食してみようと思っている。多分素敵な夏の味覚を味わえると思う。また昨日は、波止場釣りを楽しんだ。竿やえさは前もって爺が準備。アジとグレ(勝本ではクロ)をねらったが、思惑通りに大きなクロとベラに小アジが釣れ、クロの刺身が夕食のテーブルに載った。勝本浦は海の幸によく恵まれた所ですが、屋敷の中に庭を持つ工夫をすれば、山の幸も十分に味わうことができる。だが、幸に恵まれるには、休むことなく働くことが必要。私にとって、時を無駄にすることのない良き場です。
190号:夏(クマゼミ)の音
長い梅雨後の夏。8月になり、ようやく晴れの暑さを感じるようになりました。同時に、壱岐の夏を感じさせるクマゼミの甲高い鳴き声も届くようになりました。朝はその鳴き声で目が覚めるほどです。シャブ・シャブ・シャブ・シャブ・シャブ・ジィー・・・と。体は6センチメートルほど、黒色で金色の微毛におおわれています。いつもは家の木にもいるのですが今年はまだ姿なく、前のお宮の境内や裏山から鳴き声が聞こえてきます。なぜ家の木に姿がないのだろうと考えると、花壇の草取りが思い浮かびます。土の中に眠っていた幼虫を、草の根と一緒に掘り出したのではと。さて来週はお盆です。が、コロナのせいで帰省する人が少なくなくなりそうなニュースがあります。まるで都市の人には、コロナウイルスが付着しているかのような雰囲気です。が、少し過剰反応ではないかと思います。お互いにできる対策をしっかりとって行動し、お盆を楽しく過ごせるようにすることが大切。観光客の減少で地方は大変と言いますが、勝本浦では人気の「辰の島遊覧船」が休むことなく走っています。
189号:異変の続く2020年
7月も残すところ2日。学校は1学期の終業式を終え夏休みというところだが、今年は様子がちょっと違う。子供たちの遊ぶ姿や、泳ぐ姿が見えない。理由は、コロナの影響で夏休みも授業が行われているから。子育て中は学校行事により季節の確認ができたが、子育て卒業の高齢者は季節変化の感じとりができず、雨続きの中では今も6月。また、これまでの人生を思うと、20年ごとに変化する社会を生きてきた。農水産人口が首位の農業社会、製造業人口が首位の工業社会、サービス業人口が首位のサービス社会、そして2010年から2029までは知識集約型産業が主力の知識社会というように。だが、今年は異変を思うことが多い。新型コロナウイルスの発症、東京オリンピック延期、SNS問題、超大国の対立・・等。身近では、長梅雨による作物の生育の変化。壱岐に帰郷し初めに植えたオクラは、毎年豊作で夏の食卓を飾ったが今年は違う。実がまっすぐに伸びないで曲がっていたり、受粉したスイカの実が落ちたりしている。遅れた梅雨明け後は、想定外の猛暑が待っているかもしれない。写真は、梅雨前に仕上げた雨に負けない石垣。
188号:芽を摘む
芽を摘む。辞書を引くと、「芽を摘み取る」、「物事の進行を早いうちに防ぎ止めて大事に至らないようにする」とある。朝起き食事を済ませ新聞を読む。その後、庭周りをとニュース検索をするが、「芽を摘む」ということは庭周りの際によく思うこと。庭周りで気になるのが石垣、畑、花壇に芽を出す雑草で、除去が毎日の仕事です。そうでないと気持ちよく庭の散歩ができないから。お陰で石垣がきれいになった。そして「芽を摘む」ことの大切さを思うことが多い。今は孫が育ち中で、個性豊かな孫はそれぞれに成長しているが、時々に親から適切な指導(叱り)を受けている様子を聞く。小さいうちに、人としてやって良いこと、してはいけないことを上手に気づかせることができれば、後の行動に生きてくる。コロナ騒ぎの中で「アレッ」と思う行いがある。コロナに感染したことを他人に知らせたり、握手をしたりするなど、思いもよらぬ行動をする人。小さいときに、どんな躾をされたのだろうと思ってしまう。悪い行いの芽は、小さい時にきちんと摘み取ることが大切。それは何度も繰り返されることを知ること、庭の草取りのなかで思うことです。
187号:一輪車の効果
コロナ騒動が収まったかと思ったが、都市部を中心に感染者が増加。また大雨の影響で、各地で災害が発生し不安な気持を覚える。この先いったいどうなるのだろうと。幸い壱岐は心配ごとが少なくすんでいるが、現役終了者に大切なのは、若者に迷惑をかけることなく健康でいることと思う。私は50代後半に脊柱管狭窄症を患い、歩くこともままならずコルセット装着、杖をつき通勤したが、腰痛体操(真向法)や水中ウォーキングなど腰によいことを続け治した経験がある。そして、退職後は右ひざの腫れで正座が困難になり、サポーター装着でごまかしていたが、石垣づくりで行った一輪車への石の積下ろしと、石の移動に伴う筋肉増強のお陰か、右ひざの異常を感じることがなくなった。老後は何か行うものが必要と言うが、何事かをやらなければいけない環境に身を置くことが何より。庭の草取り、作物栽培、石垣管理、魚釣り。都市部では難しいが、地方には老後を楽しむよき環境がある。いま都市から地方へという声が聞こえるが、人の生き方や働き方の転換点を迎えているのかもしれない。写真は、石の移動に使う一輪車。
186号:マイナンバーカード
マイナンバーは、社会保障や税の手続きを効率化するため、国が住民票を持つすべての人に12桁の番号を付与する制度。4年前に運用が始まり、そのときはカードの申請には至らなかった。が、コロナ対策の10万円の申請で、注目を浴びるようになった。その際はカードがないため、市役所に出向き手続きをした。カードを持つ人は、オンライン申請をしたが問題が発生し受付停止が相次いだ。そのなか9月より、キャッシュレス決済のポイント還元が始まると聞き、我が家もマイナンバーカードを持とうとなった。手順 ①6月3日、カード申請(市の窓口) ②7月3日、カード到着 ③7月4日、パソコンからマイナポイント申請。だが、スマホがないためカードリーダーが必要となりネット注文。④7月6日、リーダー到着し妻のカードに申請完了。ついでに私もとなったが、使えるカードは昔使ったスイカのみで、申請はスマホが向いていることが分かった。仕事一筋に生きた男の欠点は、生活に身近な支払いなどのサービス利用に疎いこと。知見豊かな妻の指導をえて、先に進むことになった。アナログな生活の中に、DX時代を生きる術が入り込むようになってきた。写真は:生育中のオクラ、スイカ、サツマイモ。
185号:よき趣味の場
早いもので2020年の半年が過ぎ、後半を迎えようとしている。予定通りなら東京オリンピックを前にして、日本中が大騒ぎをしているところだが、予期しないコロナウィルスの影響で世界が様変わりの状態にある。過疎の壱岐はお陰で普段と変わらないが、感染予防の気持ちは強いように思う。延期されていた中体連も遅れて実施。しかし、反対の声もある。それは感染者ゼロの壱岐で、都市並みのコロナ対応の授業等が行われているのに、なぜ外では密の状況を許すのかという意見。大変なところもあるが、それぞれの活動は多様である。私事でいえば、今はスイカの雌花や雄花を見つけ受粉に取り組んでいること。また、新しく植えた二本のミカンの木の葉っぱがおかしいと思い見ると、アゲハチョウの幼虫が食い荒らしているのを発見。殺虫剤を撒くか考えたが、幼虫を取り除いたこと。孫が近くにいれば、幼虫をかごに入れ羽化の観察に活用できたかも知れない。戦後生まれの私の小さい頃は、海や山は遊び場で学習の場には程遠かった。が、高齢の今になって、神様がよき趣味の場にしてくださっている。不思議な日々です。写真は、スイカ花の送紛者、蝶。
184号:梅雨の合間のできごと
自宅裏の急傾斜に石積みを始めたのが去年8月。日記を調べると、最初の砕石購入が8月23日で、5㎝と30㎝の石を2トン車一杯。3回目からは3トン車に切り替え今年6月22日に8回目の運搬トラックを迎えた。これで最後と思うが、石のお陰で裏の物見台に上る通路もきれいになり、朝夕の新しい散歩場所となった。文禄・慶長の役の際は、加藤清正など朝鮮出兵する将校たちが立ち、対馬海峡に浮かぶ対馬の島影や可須浦(正村湾)に停泊する軍船を眺めたと思うが、今は海岸が埋め立てられ違う光景が見られる。今週の月曜の夕方だったが、海岸埋立地に造られた公園から若者の声が響くので見ると、中学生らしき男女が集まり女子はバレーボール、男子は突堤からの海水浴を楽しむ姿があった。その光景に、つい自分のことを思った。今と場所は違うが、博多航路の客船が港を出るときに、船客を喜ばそうと我先にと突堤の高台から飛び込んだこと。また、東京で多くの中学生や高校生と接したが、あの生徒達に同じような体験をさせてあげることができればと思った。若者の海遊びは、たまに学校の規則を超えてしまうときがある。が、身近な自然との遊びが「生きる力」を育む一助になる。写真は、海遊び中の若者たち。
183号:島内バスツアー
昨日16日(火)は、私の住む町内老人会のバスツアーだった。公民館前9時半出発→15時30分着で無事に終えることができた。参加料1000円は町内会費から出費という計らいで、小学生時代に出かけた遠足気分だった。参加者24人の年齢は、87歳から65歳で平均年齢は73歳。むかし顔なじみのメンバーで、一緒にいるだけで小さいころを思い出すに十分。勝本弁の話声が耳によく響いた。見たのは①少弐公園:弘安の役跡。②小島神社:海の小島にある神社で、干潮のため遥拝。③一支国博物館:近くの遺跡は壱岐国の王都というが、眺めは弥生人が集団で住む村。④昼食:団体バス乗り入れ可能な場所だが近く閉鎖。⑤猿岩・砲台跡:巨大な石柱が見る角度により猿になる。⑥辰の島遊覧。エメラルドブルーの海と海蝕崖を40分遊覧。よかったのは、壱岐をよく知ったバスガイドの迷案内と辰の島遊覧。ガイドは、コロナマスクのお陰で若く見られるとのこと。辰の島遊覧は、海蝕崖の奥に潜む観音様探しに興じる姿がすごかった。途中、観光バスと数台あったが客は島内人。コロナ対策の諸事業は、すぐに申込完了の知らせがあるほどに、高齢者は経済活性化?にむけて頑張っています。写真は、羽奈毛観音様。
182号:コロナ後の経済活動
コロナ緊急事態宣言が解除され、政府から様々な経済活動支援策が打ち出されている。が、国会では「国民に届くのが遅い」とか「届くまでに無駄がある」など批判の声がある。ところが壱岐は、そうではない気がする。国民一人10万円はすでにゲット、火曜日の小売スーパー送迎バスは満杯。で、帰りのバス停には、大きな買い物袋を抱えた妻を迎える、高齢男のほほえましい姿がある。また、停泊していた遊覧船も動くようになった。が、これは「市民向け市内周遊観光貸し切りバスツアー支援」の一行で一人1000円。私の同級生懇親会は6日に再開したが、7月の会は温泉宿での懇親会(一人1500円)となった。助成の原資は国の補助金と思うが、したたかな島人は行動が素早いのだ。・・そこで、頑なにアベノマスクを使い続ける首相に伝えたいことがある。支援策に喜ぶ人の多いこと。そしてアベノマスクは、これまでの欠点(息がつきにくく、眼鏡が曇る)を解消するとともに、買い替えの必要もなく私の相棒になっていること。首相のマスク姿が、自信に満ち溢れんばかりに?なることを期待している。写真は、政府配布のマスク。
181号:新たな日常について
3月、4月、5月と、新型コロナウィルスの影響で世界中が大騒動だった。6月に入り感染が続くところもあるが、日本は緊急事態が解除され、フェイスシールド着用や時差出勤等、新たな日常に向けての動きが進んでいる。その中に、はっとする記事を見つけた。「思えば何か月前まで、私たちの日々は仕事もプライベートも“密”が常態に近かった。満員の電車で出勤し、オフィスで顔を突き合わせて、居酒屋で発散する。休日のスポーツ観戦やコンサートも隣と肩が触れるようだった」。読んで22年間過ごした東京生活を思い出したが、今の壱岐生活とは大きな違いがある。書き直すと「思えば何か月前まで、私の日々は“疎”が常態だった。島内移動は渋滞なし、外で人と出会うことも少なく、たまにウォーキング中の旧知と立ち話で発散する。スポーツやコンサートは、テレビで楽しんだ」。今、新たな日常づくりが課題になっているが、自然豊かな離島の日常も記事にしていただければと思う。写真は、緊急事態の合間に自分で積んだ裏の石垣(物見台の下部)。30年ほど前、浦部の急傾斜工事が進み、ここは対象でないが希望あればコンクリートで固めるという話があった。が、自然のままを選択。そして今、我が家のニューノーマルとなった。
180号:持続可能な風景をつくる
24(日)日の新聞に、持続可能な風景が各地に誕生しているという記事を見つけた。読んでいくと、私もそのような活動にかかわっていると思った。「島根県津和野町を流れる名賀川の上流部が2013年7月の豪雨で、川に沿って走るJR山口線の線路の路肩がえぐられレールが宙に浮いた。洪水から7年を経て復旧した現場を、今訪ねてみると石積みの護岸が線路を支え、穏やかな清流が復活していた」というもの。災害復旧工事はコンクリートで固める工法が多いが、津和野町では石積みを選び、装いを新たにした風景が次の時代への希望をつなげているとして、昨年土木学会のデザイン賞を受けた。自然豊かな壱岐の島は、コンクリートで固められた海岸や山の急傾斜が目立つ。が、これからの防災や復旧の工事においては、コンクリートで固めるという従来の工法のみに頼るのでなく、自然に逆らわずに景観や生態系に配慮した工法を選択すべきでないかと思う。今私は自宅裏の傾斜地の崩れ対策として、自分で砕石を購入し石積みに挑戦している。基本は、一番下にしっかりした根石を置くこと、上に積む石は山側に少し傾けること。多様で持続可能な風景を育てるという意識を、一人一人が持つことが大切になっている。写真は、いつの間にか大きくなり花開かせた白百合。
179号:日本人の力
コロナ緊急事態宣言は4月6日発令、5月の連休最終日までとされたが、十分な状況でないため31日まで延長となった。が、14日に感染が減少傾向にある39県について解除され、残りの8都道府県については21日を目処に再び見直すことになった。これまでコロナ感染状況に注意を払ってきたが、ここ1週間ほど全国で感染者ゼロの県が多くなった気がする。そして、そのことと共にすごいと思うことがあった。それは、宣言を受けて国民の中に様々な創意・工夫が見られたこと。政府のマスクはまだ届かないなか個性的な絵柄マスクの制作、座席が工夫された飲食店、困った人を助けるクラウドファウンディング等々。我が国は他と違い活動停止が強制ではなく要請であったが、他国よりも感染者数や死亡者数が少ないように思う。そして、多くの人が事態を真摯に受け止め活動を自粛するとともに、社会のためにできることを自ら考え実践する事例が多くあることに驚いた。宣言解除のとき、首相から「「コロナの時代の新たな日常を取り戻していく。今日はその本格的なスタートの日」と言及があった。今は10万円のネット申請でトラブルが多発しているが、利口な国民はデジタル社会のなかでよりよい日常を作り出すと思う。写真は、旅人があそこは?と尋ねる将校宿舎跡の物見台。後ろの深緑の中から鶯の鳴き声が届きます。
178号
私の住む家は、高校1年生の時に祖母の実家を移築したもの。江戸時代(1603~1867年)に参勤交代にあたった武士が、幕末に平戸藩主の許可を得て築造した3軒のうちの一つ。天才ランナー壱岐雄介の成長物語を描いた有名な駅伝漫画「菜緒子」の家として、二階の窓が描かれている。その家の一階天井横柱に、昨年の5月10日シロアリが発生した。この時は殺虫剤で駆除し収束したように思ったが、今年の4月30日再度羽アリが飛び立つ様に面した。幸い殺虫剤があったので駆除をしたが、5月3日に再発生。家のリニューアル業者に連絡し、11日から3日間かけてシロアリ発生場所の横柱を撤去、新しい柱の入替え作業を終えた。作業で一番時間がかかったのは、200年ほど天井を支えた松の大木の撤去。大工さんが、ノミを🔨(金づち)でたたく手をしびらせるほど。シロアリ被害は島原に住んだ時に経験したが、外に巣があるイエシロアリ。今回は、巣を作る能力がなくエサ場に住み着くヤマトシロアリという。石垣・花壇・畑・家と、老後を休む暇なく適当に仕事を与えてくれる大変な住処です。写真は、奈緒子の家として描かれた二階窓。
177号:緊急事態宣言の延長
5月6日までとされたコロナ緊急事態宣言は、今月31日までの延長が決定された。コロナウイルスに対する薬がないことからやむを得ないと思う。壱岐市は4月6日の発症を最後に感染者が出ていないが、勝本港内では観光客に一番人気の「辰の島遊覧船」が停泊したまま。普通なら遊覧船上の案内放送が港内に響き、活気を感じさせるが今は停滞の様を感じる。壱岐の感染者は、外部からの転入者と博多に出かけた島人とその関係者4人の6人。その後は無だが、緊急事態宣言を真摯に受け止め3密(密閉、密集、密接)を避ける行動が守られている。現役の勤労者にとっては厳しい状況にあると思うが、引退した高齢者の生活は不思議なことに普段と変わらない。山には春を告げる小鳥の鳴き声や草木の濃い緑があり、買い物等の車中からは田植えを済ませた美しい田園風景が目に入る。都市と違い地方には三密の場は少なく、山、川、海や生物など豊かな自然に恵まれている。昨日は緊急事態の延長が決定され、全国は特定警戒都道府県とそれ以外に分けられた。そして、14日には宣言解除についての判断があるというが、できれば早い解除を願いたい。私達団塊世代の仲間の会も4・5月と中止したが、6月から再スタートができそう。写真は、畑の隅に設けた小鳥の水浴び場で遊ぶスズメ。
176号:国民一人一人に10万円
コロナ緊急事態宣言が出されて3週間経過。これまでにいろいろな対策が考えられてきたが、へェー?と楽しくなる驚きの「緊急経済対策」の発表があった。「全国民への一律10万円の現金給付」で、ゴールデンウィーク明けから給付が始まるという。今このお金をどう使おうかと皆が考えていると思うが、変に思うのは辞退するという話が国会から出ていること。国会で成立する経済対策なので、まずはだまって受給し使途についてそれぞれに思考し実行すればよいのではないだろうか。身近で聞いたなかで、一番ドキドキしていると思われるのが小中学生の孫。自分がそのころ10万円をもらったらと思うと心が躍る。だが、小中学生の思いのままに使えそうにないことも想像がつく。そこで、ここは新需要創出という観点から、首相から「子供の支出については、親の関わりをなくし自由に使わせてほしい」という要請があれば、未来の選挙人が大喜びすること間違いなし。子供が何に使うだろうと考えるだけでも楽しい。昨日の朝は私も使途を考えた。そして妻に何を考えたと思うかと聞くと、すぐに「釣り道具」という答えが返ってきた。「当たり⁉」で、へェー?とびっくり。緊急経済対策が、国民のうっとおしい気持ちを晴らす一助になることを願っています。写真は、2016年息子と出かけた小笠原道中、船から見た日の出。
175号:第3次世界大戦
新型コロナウイルス対策として、緊急事態宣言が発令されたのが4月7日。2週間を経過したが、ニュース等では最前線で活動する医療従事者の非常事態から、近時は被害を被ったサービス業の困窮状況が多くなった。聞いていると不安を感じ、この先どうなるのだろうと思うことが多い。私が尊敬する企業人は、「今を見えない敵と戦う第3次世界大戦」と表現され、終息後大切なのは企業経営について「利益を追求するだけでなく、自然と共存する考え方に変えるべき」とされた。第2次世界大戦後に生まれた者が、戦争から思う言葉に「我慢と頑張り」がある。そして、在職中は欧米先進国に追いつき追い越せを目的にとにかく頑張り通したという思いが強い。しかし今、「我慢より要望」の声が多く届くのは、日本が豊かな国になった証なのだろうか。宣言後2週間経過し、我慢の成果が期待されるこれからの2週間、感染者数の増減に関心を持ち過ごしたいと思う。そして、発令解除予定の5月6日以降、経済活動等が徐々に再開されることを期待したい。写真は、勝本港に停泊する北海道、青森県、福井県のイカ釣り特殊船。勝本浦のイカ釣り船も、以前は日本海を北上し北海道まで出かけていました。
174号:低気圧前線
4月12(日)・13(月)日の2日間、壱岐は低気圧の影響を受け暴風・波浪警報が出され、福岡県及び佐賀県と結ぶ航路の欠航(フェリー、高速艇)が相次いだ。両日とも夜中は暴風雨の音で、久しぶりに睡眠が脅かされた。だが、14(火)日の朝は、風雨もやみ雲一つない晴天となった。低気圧は日本列島を縦断したが、コロナウイルスも低気圧のように、大暴れした後は何もないような状態になってくれればと思った。壱岐市では、5日までに6人(島外転入者1名と90歳の介護認定に集まった関係者5人)の発症があったがそれ以降はない。しかし、国の緊急事態宣言を受け行事が中止及び延期の状況にあり、それぞれの活動も自粛されているように感じる。そのなかで思うのは、日々の生活に都市部ほどのひっ迫感がないこと。感染対策として3密(密閉、密集、密接)回避が挙げられているが、人口減少と少子高齢化が進む地方はそのような場がもともと少ない。魚釣りに波止場まで出かけるときに一つの町内を通過するが、不思議に思うのは通りで人と出会うことがほとんどないこと。また、海浜公園でジョギングやウォーキングする人がいるが、それは密集とはほど遠い状況なのです。写真は、朝の陽ざしを浴びた将校宿舎(文禄・慶長の役)跡。
173号:緊急事態宣言
4月7日(火)、新型コロナウイルス感染症対策として「緊急事態宣言」が発令された。前日に予告されたことだが、身の引き締まる思いで「宣言」を聴いた。感染対策で大切なことは一人一人の行動と言えるが、身近に危険が及ばないうちは安易になりがち。原因は人の中にある「人間的な弱さ」かもしれない。そして、宣言には強制力がなく試されているのは国民一人一人の自覚と思う。日本の教育目標は、平成時代以降「生きる力」自ら学び自ら考え、的確な判断をし、行動する力の育成が挙げられてきた。が、今その力が試されている。また、宣言には企業活動にリモートワーク、学校教育にオンライン学習などIT(情報技術)の活用を求めている。2004年に提唱されたデジタルトランスフォーメーション(DX)という概念があるが、これはアナログ的な生活からデジタル技術が生活を支える形へ、という意味。コロナ危機が終息したあと、私たちの生活がより良い形へと変わることを楽しみにして、それぞれ冷静な行動ができればと思います。写真は挑戦中の石積み、地層は四千万年前から二千五百万年までに形成された勝本層:デジタル社会に大切となる人間的な労働例・・?
172号:島内人コロナウイルス感染
昨日は、団塊世代仲間の定期懇親会について日記を書きました。壱岐に在住するものにとって、様々な行動をするうえで島内にウイルス感染者がないということが判断基準になっていたように思います。が、昨夜突如放送により島内人感染について知らせがありました。感染者は2週間ほど前に博多に出かけたことのある女性、とうとう出てしまったかととても驚きました。壱岐は長崎県ですが、島外に出る航路は福岡県が主で高速艇やフェリーなどで多くの人が往来します。従って、コロナウイルス感染が出るとすれば島外に出かけた人によると多くの人が考えたことでしたが、現実のものになりびっくりしたのです。そして、団塊世代仲間の懇親会について、今回は中止の連絡。島内人ウイルス感染の知らせが、今後の島人の判断に影響を及ぼすことが考えられます。また夕方の放送では、深い接触者10人について検査中の知らせもありました。しばらくは屋外・屋内放送に耳を寄せ、感染情報をしっかり把握したうえで適切な判断を下し行動することが大切になります。(写真)昨夜の強い風雨も収まり、晴れた勝本浦は夕方漁船が勢いよく出漁しました。
171号:コロナウイルスの影響
先週末の30(木)日は、孫の帰宅で一緒に壱岐→福岡→羽田空港に向かい、翌日31(金)に壱岐に戻りました。今回は、特にコロナウイルスの感染が心配なことから、東京での公共交通機関利用が気になりましたが、家族の気遣いから自家用車で送り迎えをしてくれました。壱岐と東京の間は、在職中は幾度となく往来してきましたが、今回驚いたことがあります。飛行機の減便の影響で、出発時間に遅れがなく到着が早くなったこと。また、移動人数の減少から隣席に人がなく、他席の空きが目立ったこと。コロナウィルスの影響が、航空産業などサービス業に大きな影響を与えている様を実感した次第です。さて、壱岐の島は感染者一人のみ、その一人は島外からの転入者であると高をくくっていましたが、そうではないことに気づかされました。4日(土)は我々団塊世代仲間の定期の懇親会。ですが、いつもより欠席者が多いとのこと。その理由のなかに、島外に出かけて数人と接触したので、2週間ほどの観察が必要と気にする者あり。私は、移動期間中にそれらしい人との接触なしという自信ありで迷わず出席に〇をしましたが、ここ壱岐でもコロナウイルスがいろいろと難しい判断をせまっている。どちらが良かったかは後程のこと、へェー ?
170号:孫の壱岐の島生活
先週の19日(木)、娘のお産手伝いから妻が帰宅。同時に小学2年生の孫(男)も一緒に来島した。コロナウイルスの感染拡大で学校は休校中だが、自由な活動ができないことから安心・安全の島にやってきた。孫一人での来島は初めてだが、考えていた過ごし方も順調に進行中。●午前中は持参した教材の学習。その後は多種、●庭でのキャッチボール。●自転車に乗っての海岸遊覧。●竹で作った手作りの竿での魚釣り、孫はクロ、アジ、ベラ、イワシと多種の魚を釣り上げ夕食でいただいた。●野菜収穫後の畑の掘り起こしに鍬を持って挑戦。●海浜公園の超高防波提の壁面を利用してのボール投げとテニスの練習。●風呂は爺と話や水かけなど面白いコミュニケーション。●そして24日(火)午後は、壱岐カントリークラブで爺・婆・孫の3人でゴルフを楽しんだ。コースを回るのは初めてというが、空振り少なくヘッドでボールをとらえ前進に前進を重ねハーフラウンドを回った。来て6日目になるが、感心するのは学習。持参したテキスト教材+ネット教材があるが、自分で3年生国語ドリルを2冊購入し追加。昨日は、文部科学省から新学期予定通り開始という知らせが入ったがもうしばらく滞在、新学期の準備に怠りがないようにしないといけない。
169号:一人住まいは今日まで
先月7人目の孫が誕生。妻は2月17日、手伝いで関東へ向かった。それから一人住まいだったが、今回はとても快適な生活を送ることができた気がする。朝起きて身支度を済ますと、洗濯機を回して朝食、そのあと洗濯物干し、メダカの餌やり、食事の片づけ。ゆっくりと新聞に目を通したあと、パソコンのメールチェックとニュース検索を済ますと午前が終了する。午後は、魚釣りのときは仕掛けやえさの準備、それ以外のときは庭の見回りやテレビ鑑賞などで、その合間に軽い昼食を入れる。そして、夕方に自由時間があると石垣積みに取り組むが、石垣は予定した部分を完成(写真)した。その後は夕食で大変なのだが、今回は妻がネット通販を利用し「食卓便」という電子レンジ専用の冷凍食品を準備してくれた。プラスチック容器に入った副食で、食べ終わると水洗いし資源ごみに出せる優れもの。お陰で飲酒よりも食が優先するようになり、健康診断で指摘された体重も78g→72㎏(約1年)、今回は70㎏(1か月)前後というように減少。若い時のズボン着用が可能となった。明日は、妻と一緒に新型ウィルスで休校中の小学2年生の孫がやって来る。昨夏に釣りに挑戦した孫だが、今回は壱岐カントリークラブにでかけゴルフを楽しみたいと思っている。
168号:ふれあいごはん
先週七日(土)は、地区公民館で「りゅうこさんの手作りひな人形展」開催の知らせをいただき出かけました。入口にはおひな様ときれいな書、その裏側にお弁当作りに励む人たちがいました。会の内容は、書にあったので紹介します。【今日は私達のひな祭りを見に来ていただいてありがとうございます。皆さん「ふれあいごはん」この言葉を聞かれた事ありますか。心やさしい七名の有志の方達が一人暮らしの高齢者の為に 月に一回昼ご飯を御馳走してくださっています。時節に合った美味しい献立は昔家族との生活を思い出し 一人暮らしの不安や寂しさを忘れ なつかしくホッコリ出来る至福の一時過ごす事ができます。食後はおしゃべり、歌、踊り、ヨガ楽しい一日感謝の気持ちでいっぱいです。今日のひな祭りも七名の皆さんが企画して下さったものです。年を経て古びたおひな様ですが 皆一緒にひな祭り出来る事が大変うれしく 有志七名の方々へ心より感謝しお礼申し上げたいです。八十才をすぎると やさしい七名の皆さんが両親のように思はれる。やさしい七名のお父様お母様ありがとう。令和二年三月七日】今年は、勝本小学校区まちづくり協議会が発足します。貴重な取り組みを守り、継続していくことの大切さを思うひな人形展でした。
167号:コロナウイルス対策
先週の27日(木)だったと思う。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国各地の小中高に対し一斉臨時休校の要請が発表された。ギリギリの調整だったと思うが、この日しかないというタイミングだった。そのあと現場混乱のニュースが多かったが、休校が始まると企業や自治体等における様々な対策が紹介されるようになった。在宅勤務、テレワークや時差通勤、子供の帯同就業や預かり保育などで、危機対応の取組みが進んでいることに感心した。また教育現場では、授業の映像講座配信の取組みもあった。このことは随分前から意見が交わされてきたことだが、対面授業に取って代わることはなかった。しかし、コロナウイルスによる一斉休校において再び注目を浴びるようになった。知識を教えることは動画でもよいとなると、現場の先生はアクティブ・ラーンニング(生徒による体験学習や教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークを中心とするような授業)への転換が求められる。今回見られた様々な対策は、これまでの働き方改革や教育改革などで取り上げられたものも多い。次のデジタル社会においては、普通の取り組みになっているかも知れない。写真は、庭に咲く春の花です。
166号:まちづくり視察研修
25・26日は、久しぶりに一泊二日の視察研修(壱岐市地域協議会主催)に出かけてきた。壱岐市は去年4月から「まちづくり協議会」の設立準備がスタートした。小学校区を一つの単位として設置し、住民が主体となってまちづくりに取り組んでほしいという願いが込められている。研修先は、初日が大分県の深見地区と津房地区、二日目が福岡県の吉武地区ということで、25日壱岐発9時20分のジェット・フォイルでスタート、博多港からは貸し切りバスで研修先を回り、26日博多発15時45分発のジェット・フォイルで帰島した。研修地の課題はどこも少子高齢化・過疎化で、そこに住む住民が安全・安心な生活を送るための様々な事業が紹介された。子供向けの小学校の体育祭・文化祭の地域協働開催、高齢者向けの生活サポート(ふれあいサロン、健康体操、唱歌指導、寸劇、ゲームなど)など。だが、これらは全国各地でいろいろ取り組まれているように思う。これから求められるのは、プラス「持続可能なまち」につながる事業ではないだろうかと感じた。大切なのは、研修に学び、さらに自分で学び考え判断し、新しいことに挑戦すること。自分に言い聞かせています。
165号:春の大騒動
中国発の新型ウィルスによる肺炎の拡大が、日本・世界中で大きな問題となっている。特に日本では、横浜に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」乗客・乗員の感染と対応が関心を高めることになった。ここ数日のニュースからは、国内での感染者も増加し大変な事態になったと不安を覚える。だが、今の中国の状況はそれどころではなく、初動でおきた問題が取り上げられている。昨年末、武漢の医師が原因不明の肺炎の発生についてグループチャットを使い周囲に注意喚起したというが、当局がこれをデマとして医師を含む8名を処分したということ。病気の発生について医師の注意喚起を受け入れようとせず、それをデマとして処分してしまうというか、そのようなことをさせてしまう体制に問題があるのではないだろうか。学校に務めていた時の経験では、生徒にインフルエンザ等の発症があるとまず校医に相談する。そして、広がりによって学級閉鎖や学校閉鎖の決定をする。病気に関する最高の相談者は医師で、その意見を葬らせてしまうなどは考えられないことです。新型ウィルスに関する国内外のニュースに恐ろしさを感じるが、遠いところから早い終息を祈りたいと思います。写真は、庭の花壇に咲いた春の花です。
164号:23・23年生の集まり
月初めの土曜は、22・23年生まれの仲間の会の日です。曜日の変更は時々あって、今月は9日(日)でした。長崎県高校教員になり壱岐商業高校で勤務したのが39年前の1981(昭和56)年、その時に入会。会の名は「ブッチャー」でナイターソフトボール大会などに参加、その都度飲み会を繰り返してきたのが今も続いている。3年前に帰郷し会に復帰したが、昔からすると様変わりで今回はスマートフォンの使い方が話題になった。「ラインば使(つこ)うち、孫や子供かい写真や動画ん送られちくいばってん、見るだけで返信のでけん。そん上ライン電話も使えち言うちくるばってんややこしか」、「電話ん新規登録んようでけんけん、誰か教えち」、「そん機種はアンドロイド系やけん分からん」、「ネット検索のできんばってんどうしたいよかと」、「グーグルアプリが入っちょらんたい」などなどでした。そのなかでニコニコしていたのは、ガラケー所有の二人。「2・3年後にはガラケーは使えなくなるよ」という声があったが、「その時は機能圧縮型スマホが出るよ」と答えた。我々世代のスマホ族は、使い方に関する話のネタをたくさん持ち、懇談の場を和ませてくれる。会話の一部は、勝本弁です。
163号:春のひととき
2月3日は節分、子供たちと一緒のときは「鬼は外、福は内」と豆まきをしたが、夫婦生活では心の中で払いをし、買った豆は食すことになった。そして4日は立春、玄関前の梅の花も開き季節を感じるようになった。が、勝本浦ではびっくりする動きがあった。外出した車中から、辰の島の沖に多くの漁船が連なっているのが見えた。不漁続きだったが、ようやく魚が連れ出したのかとカメラに収めた。昼過ぎに沖から帰ったおじさんに聞くと、いや今日は恒例の「イルカ追い出し」行事で、音を出すため棒で船べりをたたき疲れたとのこと。勝本浦では以前にイルカ捕獲が大問題になり、テレビ等でその様子が放映されたことがある。その名残で「イルカ追い出し」が行事になったのだと思う。が、イルカ被害もなくなった今も続いているのは不思議なこと。また、いまは中国発の新型コロナウイルス流行で世界中が大騒ぎになっているが、壱岐は騒ぎの外にある。他所ではマスクが売り切れてないというが、ここはマスクをしている人が珍しい。春になり魚も釣れ出したようだが問題は魚の値段。漁師がネットを通じて、釣った魚を多くの人に届けることができるような生産・流通・販売の一体化ができないものかと思う。春の訪れを喜んで迎えている安全・安心の壱岐の島です。写真の奥には、よき天候のとき対馬の島影が見える。
162号:聖母宮の消火訓練
先週末から今週にかけて、低気圧前線の影響で暴風雨が続いた。そして、この低気圧は日本列島を縦断し東京に雪をもたらしたという。このところの悪天候の連続で、魚釣りに出かけることがなく裏の崖の整備(中腹にある古木の撤去)に取り組んだ。そのような中、26日(日)には聖母宮の消火訓練が行われた。午前10時半出火、サイレンの音とともに消防車が到着、放水があり無事終えた。が、見たところ(写真)では、実際に火事があったら全焼間違いなしという印象だった。お宮までの道路が狭小であること、路上駐車があれば消防車が入れないことが分かった。大切なのは、火を出さないこと、路上駐車をなくすこと、聖母宮の古くなった電気配線チェックを定期的行うことと思う。昨年末は、勝本浦で建物火災が発生し、夜中にサイレンが鳴り響いたが、幸い大火にはならなかった。港に沿って家々が立ち並ぶ街は、火災が起きれば大被害につながってしまう。防災意識を高めることが大事な地域だが、事前通知された消火訓練に見学者はわずか。少子高齢化のなか、色々の行事ごとは代表者の出席で良しとし、それぞれは気遣いなく過ごす。新たな浦の風習?になりつつあるのかもしれません。
161号:科学技術の限界線
昨年末は2回の講演会で、2020年度スタートする「大学共通入学テスト」の土台となった答申の一文「これからの時代にわが国で学ぶ子供たちは、明治以来の近代教育が支えてきた社会とは質的に異なる社会で生活をし、仕事をしていくことになる」を取り上げた。この頃ニュースに、人やモノをネットに繋ぎ監視するスマートシティが取り上げられているが、農・漁業社会に生まれ70年も生きてきた者からすると「ロボットの社会」のように思う。その反面地球温暖化が大問題となり、発電では化石燃料から太陽光や風力など自然エネルギーが注目を浴びている。住んでいる壱岐は、今SDGsの自治体モデルに指定され「Industry4.0を駆使したスマート6次産業化モデル構築事業」が進められている。が、島の生活実感は「人間らしさが残るよき農・漁業社会」。将来は、スマートシティに住む人の逃避先として注目されるようになるのではないか。人間にとっての科学技術の限界線はないのだろうか。などなど早すぎる変化に思うことが多い。写真は、波止釣りを楽しむ人々。
160号:アカエイとの格闘
去年から始めた釣りは、新年になり一段と進化したように思う。先週の10日(金)は、糸の号数をアップするとともに、大きな餌を掛けて遠投を試みた。そして、竿を台に置き様子を見ていると突然糸が張り、竿が揺れた。魚が喰ったかもしれないと竿を手にすると、確かな手ごたえがあった。それから見えない魚との戦いで、リールを巻き上げては引き戻される繰り返しを経て、遠くの海面下に超音速旅客機コンコルドみたいな魚影が見えた。波止で釣りをする人も集まり、エイだという声が聞こえた。どのようにして引き上げるか迷ったが、その場に居合わせた二二三会(同窓漁師)の仲間が、タボ(網)を取り掬(すく)うと言ってくれた。が、タボ(網)に入らない大きさで、波止場に係船した船まで引いて、大きなタボで10㎏を超えるエイを引き上げた。魚釣りは、よき指導者(宮前のおじさん)と仲間(同級生)など、恵まれた環境のなか新鮮な体験をさせてくれます。
159号:新年行事
今年の正月は、娘家族と長男が帰宅し賑やかに過ごしました。娘家族は無心になれる魚釣りが好きで、好天気のなか近くの波止場から釣りを存分に楽しんでいました。勝本湾は釣りを楽しませる種々雑多な魚が泳ぐよき釣り場です。そして、私たち夫婦は新年6日に、二つの会に参加しました。一つは正村聖母会(老人会)による「湯ノ本研修会」で、午前10時から15時まで。もう一つは二二三会(昭和22・23年生まれの漁師の会)で17時から21時30分まで。会場は両方ともに、温泉が自噴する「湯の本」にある国民宿舎壱岐島荘(昭和44年、当時の皇太子・妃殿下がご宿泊)でした。聖母会はカラオケがメイン、二二三会はお酒と話しが主でしたが、両会掛け持ちの私たちは合間に湯ノ本湾を望む温泉につかり、正月の疲れを吹き飛ばすことができました。私の入浴時間は一時間半、入浴者は一人、♬明日はよいなぎサーオーホイ♬と鯨唄「羽刺唄」を歌ったり、腰痛体操(ストレッチ)をしたり自由奔放なひとときでした。同窓や町内老人会など、交流を楽しむ大切さを感じます。写真は湯ノ本湾、正面が壱岐島荘。
158号:新年おめでとうございます
2020年、令和になって初めての新年を迎えました。壱岐は好天で出足順調ですが、70数年を生きてきた者の感じは、暖かさ(地球環境)に加え、社会や経済も大変革期の中にあるのではないかということ。8月には、東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、前回(1964年)は私が高校2年生のときで、新三種の神器(カー、クーラー、カラーテレビ)の普及が進みました。しかし今は、5G(第5世代通信規格)やAI(人工知能)が普及し、IOT・IOH(ネットとモノ、ネットとヒトがつながる)社会への変革が叫ばれています。新年を一緒に過ごしている孫との会話は、こだわりのガラケー(2G )に代わる機能縮小のスマホは出てこないのだろうかなど。数年後に使えなくなるガラケー愛好者にとっては大きな関心ごとなのです。また本年は、勝本浦まちづくり協議会がスタートします。デジタル化が進む中、勝本浦を持続可能なまちにするにはどうすればよいのか、挑戦の年になります。祈願するのは、はためく日の丸(写真)のようにあること。
157号:年末の夢
33年前に聞いた勝本浦鯨組の「羽刺唄」、この復活が注目を浴び先週まで壱岐ケーブルテレビで毎日放送された。それは壱岐商高70周年記念アトラクションだったが、今後の継承のスタートと言える。これからどうしていくかは大きな課題で、復活について思いをめぐらしてみた。いま手元にあるのは、元唄を記録したカセットテープ、楽譜、壱岐商業高校70周年のビデオ。そこでまず為すことは、私が歌えるようになること。そして取り組んだのが、カセットの元唄をいつでもどこでも聞けるようにすること。幸い家には、妻の昔の歌声が入ったレコードを聴くために購入した機器(TEAC)がある。その機器は、カセットテープからCDへの書込みも可能なことから、ウォークマンとパソコンに取り込むことができた。気分が乗った時にはイヤホーンで「羽刺唄」を聞き、十分よいといえる状況までになった。来年は、「羽刺唄」を歌ってみたいと思う人が練習できるように、HPにアップしてみようと思う。そして「羽刺唄保存会発足」、年末の夢です。
156号:豆アジの食し方
12月7日は、壱岐市公民館大会における講演「持続的な社会づくりについて」を終えた。今週から壱岐CATV放送で2回の講演の様子が流れていて、近所の方からテレビで見たよという声も届くようになった。年末になり、やっとフリーの時間を持てるようになったと思ったが、やるべきことは多くある。久しぶりの釣りは、寒いからか釣り人が減ったように感じた。その釣りでは、ふだん小魚は持ち帰らないが、大きい魚がかからず釣った魚を全部持ち帰ると、妻が豆アジを南蛮漬けにして作ってくれた。アジの南蛮漬けは、骨頭の硬さが気になり食べるのに苦労したが、豆アジ(10㎝以下)は骨頭など気にすることなくびっくりする美味しさだった。次から豆アジは逃がさず持ち帰ろうと話すと、毎日の南蛮漬けは無理ですよとの声が飛んできた。身近な波止場釣りをして思うのは、家庭で食べるほどの魚は近くの波止場で賄えるのに、多くの浦人がなぜ釣りに取り組まないのだろうということ。そうか理由は、釣りは余裕の時間がないとできないこと、勝本浦で豆アジを釣ったなどと話すのは笑止千万なのかも知れない。写真は、釣り人の多い波止場。
155号:鯨組「羽刺唄」について
11月23日壱岐商業高校70周年行事の中で、江戸時代に栄えた鯨組の祝唄が復活した。33年前に壱岐ロータリークラブ10周年記念行事のイベントでおじいさんが歌った唄を私が聞いたのが始まり。唄の記録がなかったのでおじいさんを自宅に呼んでカセットレコードに吹き込み、文科省時代に音楽の先生による採譜を経て、今回太鼓部による演奏となった。演奏は参加者の関心を高め、来週から壱岐CATVで放送されることになった。月から日までの毎日「イキスぺ30」という番組で9:00~9:30、14:00~14;30、21:30~22:00の3回にわたり放送。放送時間は30分で後半は私の講演が入っているが、鯨唄を主にして15分に編集されている。また今回の件は、NHK長崎放送局でも取り上げられるようになった。12月17日18:10~19:00の「イブニング長崎」と12月24日11:45~12:00の「ヒルミテ」という番組で、私はインタビューを受けた。鯨唄の復活が壱岐の人々の関心を呼ぶことは、予想通り。これから先、唄が継承されていくよう頑張ってみたい。写真は、鯨組の豪奢な屋敷跡、石塀が残されている。
154号:石垣積み
12月に入り、冷たさを感じる風や冬鳥(メジロ)の飛来など、冬の到来を感じるようになってきた。夕方の時間の費やし方も、波止場での魚釣りが控えめになり、裏山の傾斜の整備に気が向くようになった。作業に必要な石は先日購入し、30㎝大のものは裏に移動を終えていたので、いよいよ石垣積みに取り掛かった。下に土台となる大きい石を敷き、その上に座りのよさそうな石を積んでいくのだが、一度にできてしまうわけではないので急がず徐々に高くするよう作業を進めているところ。そのせいか、このごろ手の指の変化、関節がごつくなっているのを感じるようになった。自分の手はスマートで美しいほうと思ってきたが、今日は久しぶりに付けた皮の手袋が縮んだのではないかと感じる始末。退職後の新たな生活が作る、いろいろな身体の変化を感じながらの日々。これはよいことなのだろうか?写真は挑戦中の石積み。
153号:記念講演会
先週23日(土)は、母校壱岐商業高等学校70周年記念式典が開催され、記念講演講師を務めた。20年前の50周年においても講師を務めたので2度かかわることになった。前の演題は「壱岐の島が培ってくれた私の生きる力」、今回は「未来に生きるあなたたちへ ~変化への対応~」とした。現在の「知識社会」の次を「デジタル社会」ととらえ、何がそのような変革を促しているのか、そこではどのような力が求められるのか、自分の人生で体験したことを基にしてまとめた。このようなときに大切なのは、十分な準備。講義資料やパワーポイント作成には時間をかけ、皆さんに喜んでいただきほっとしている。また記念式典の中では、江戸時代に栄えた勝本浦鯨組の「羽刺唄」を、太鼓部の生徒が復活させ披露された。33年前に初めて聞いた鯨唄の復活で、何度か練習にも立ち会ったが見事な演奏だった。今回の演奏は、ビデオに記録されている。機会があれば勝本浦民及び関係在部の人にCDで届けることができればと思っている。写真は、「羽刺唄」を演奏する太鼓部。
152号:エイ(魚)釣り
午前中、来客の知らせで外に出ると、釣り名人の前のおじさんだった。昨夜、小舟にアジを餌にして置いていた竿に大きなエイがくっていた。そのエイが上がらないので、波止場に繋いでいる中型漁船にエイを引っ掛ける道具を取りに行きたいという話。車で波止場に行きフックを持ち帰り、おじさんはエイの引き上げにかかった。そうしているうちに、近所のおじさん(漁師)二人が出てきた。なかなか上がらない様子に色々と意見が出て場が盛り上がった。そこで前のおじさんは中型船に戻り、今度は魚突きの銛(モリ)を持ってきた。そしてエイに打ち込むとようやく姿が見えた。見学のおじさんにここで魚釣りはしないのですかと尋ねると、湾内では釣りはしないということ。外海を漁場とする漁師は、湾内の魚には興味なし。だが、勝本浦の湾内には様々な魚が住んでいるのは事実。前のおじさんに言わせれば、湾内は宝の海とのこと。エイは自分の口にせず、在部の魚好きの知人への贈り物に。遊び釣りには、最高の勝本湾です。
151号:庭の整備
我が家の庭には、花壇・畑・石垣と石を利用した造りものが多い。今年になって、初めての経験になったが整備のための砕石を購入した。これまでに、5㎝の小石と30㎝の中石をダンプカーで二度運んでもらったが、すでに使い果たし三度目の購入に至った。この砕石は大変だが、家の入口で一輪車に積み、裏までの40mほどを押して運び下す必要がある。そして、その石を作業する場所まで抱えて運ぶ。さすがに重労働になるが、これは足腰の鍛錬(体育の時間)と考え楽しむようにしている。この砕石のおかげで、これまでの作業の中で石不足から石垣に隙間ができたり、花壇に不似合いの大石が使われたりしていた箇所を整備することができ、庭もきれいになった。作業時間は夕方で、この時間帯は魚釣りと併用して使うようにしている。魚釣りは、普段は口にすることのない上等で多様な魚が釣れるようになった。家の内・外・身の回りには、老後を楽しむ何事かが多くある。写真は、黄色が美しいつわの花。
150号:勝本朝市祭り
11月3日(日)は、勝本朝市祭りが開かれた。壱岐島北部にある勝本浦は背後が急な傾斜を持った丘陵地であるため、生業は半農半漁という形態ができず漁業に依存せざるを得ない状況にある。そして、丘陵地帯(在部)は主に農業が営まれている。その浦部(マチ)と在部(イナカ)の相互依存関係の表れが、今では少なくなったが朝市である。祭りは商店街が主となって開催しているが、催し物として壱岐商業高校太鼓部と吹奏楽部の演奏があった。太鼓部は今年70周年記念式典(11月23日)のアトラクションとして、江戸時代に栄えた鯨組の「羽刺唄」を復活させ演奏をするという。先の文化祭で、予行演習を兼ね演奏したと聞いたので期待したが今回は聞けなかった。♬あすはよいなぎ 沖まにゃやらぬ 磯の藻ぎわでセミを巻く♬ 現在、この唄を聞いたことのある人はほとんどいない。早く本番を終え、多くの人に聞かせてほしい。神功皇后、大和朝廷、豊臣秀吉、朝鮮使節に繋がる重要な港(勝本浦)。それらを知らなすぎるように思う。
149号:人は学び学び続ける
退職後のゆとりの時間の過ごし方に、いまは畑での作物づくりと波止場での魚釣りが加わった。この作業を通じて感じるのが、関係の知識や技術を学び、学び続けないとよい成果が上げられないということ。農業では、土壌つくりから成長過程における世話と収穫の時期など、漁業では竿や道糸・ハリスの大きさと結び方、餌のかけ方や釣る時間帯など、それらを学び実際に行い改善を繰り返さないと釣果を上げることができない。その道の先輩に聞くのも一つ。このことは今の退職後に感じていることだが、学び、学び続けるということは、人生を生きる上で最も大切なことではないかと思う。その努力が十分でないと落ちこぼれやすいし、老後においてはますます老化が進むのではないだろうか。作物づくり、魚釣りと趣味の範囲ですが、学びの大切さを実感させてくれます。写真は、辰の島遊覧で見る奇岩(マンモス岩)、波止場から遊覧船の出入りが見えます。利用客も増加中。
148号:勝本層について
一日の生活の中で、余暇は主に庭の整備や魚釣りに費やしている。庭の整備で気になったのが崩れが目立つ裏山の傾斜、業者に相談したが対応に時間がかかるということ。そこで、まず自分で横の石垣の補充を済ませ、傾斜に生えている木や草を取り除いた。作業では、傾斜の土台となっている層状の地層について考えるようになった。数億年前、壱岐は海底で大陸から小石や土砂が流れ込み、4000万年前から2500万年前にわたって海の底に約1000メートルもの厚さに海底堆積層ができた。そして地殻変動で海底が持ち上げられ陸地となった。これが壱岐島の土台石と言われる勝本層である。勝本港周辺にも露出がみられるというが、我が家の層状の堆積物(写真)も勝本層と思われる。これからの補修は、この地層を生かす形でいかに進めるか思案中。まずは堆積物の上の土砂を除き、購入した石で野積みを行う。庭に出るたびに地層を眺め、どのようにしたらよいか思案中、楽しみと夢のあるひとときです。
147号:秋の賑わい
勝本浦が賑わいを見せるのは、お盆と秋の祭り。お盆は花火とペーロン大会だが、秋の初めに聖母宮の例大祭(10月10日:お仮堂への御遷幸、14日:フナゴロ、御還幸)と、勝本港まつり(15日:午前は漁船の海上パレード、午後は小・中学生、漁協、商工会などによる陸上パレード、夜はカラオケ奉納祭)が行われた。長く続いている浦部の大事な伝統行事であるが、近年は少子高齢化の影響で工夫・改善がみられる。今年は、聖母宮お神輿が台座に乗ってのご移動となった。むかし宮司は馬上、夜には馬蹄石前とお仮堂前で二晩ずつ芝居が行われた時期もあった。長い間徐々に形態を変えながら継がれているのは、人々の信仰の厚さと努力によるもの。また15日の港まつりは、昭和33・34年頃護岸工事完成を記念して行われた海上パレードが始まりで、今につながっているという。帰省し様々な行事に接する中で感じるのは、行事は街の活性化には必要であること。しかし、それらを浦部社会の変容に対応した形に工夫・改善することが大切になっているように思う。写真は、港まつりの陸上パレード。
146号:鯨組「羽刺唄」の復活
昔、壱岐の近海は初冬にオホーツク海から日本海を通って南下してくる鯨、早春になると北上する鯨で一杯だったという。壱岐の捕鯨は紀州熊野の捕鯨業者により始められ、島人による捕鯨は江戸時代に始まったと言う。中でも勝本浦の土肥組が有名で、巨額の財貨を投じて3年の歳月をかけて建築された「御茶屋屋敷」の跡には長さ約90m、高さ7mの大きな塀が、そして祝いの席で歌われた「羽刺唄」が残された。唄は私が壱岐で教職にあったとき、ロータリークラブ周年行事のアトラクションとして、年配の人が小太鼓を両脇に従えて歌われたのを聞いた。この唄は残す価値がある・・時を経てその老人によるカセットテープレコーダーへの吹き込み・・曲を音楽教科調査官に譜面に落としてもらう・・そのままになってしまうかと思っていたが、今年の壱岐商業高等学校70周年記念式典の記念イベントとして太鼓部による復活が叶うことになった。記念式典は11月23日(土)、壱岐市西部開発総合センター(10時~11時)。記念イベントとして「羽刺唄」が演奏される。伝統唄について、多くの人が知るとともに永く継承されることを願っている。写真は、田ノ浦納屋場の解体作業(壱岐名勝図誌)。
145号:潮位の上昇
先日(9月23日)、ニューヨークの国連本部で、60以上の国の首脳らが気候変動対策の具体策を表明する(気候行動サミット)が開かれた。そこでは、若者を代表してスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(16歳)が演説したが、その言葉が心に響いた。「未来の世代はあなたを見ている。私たちを裏切る道を選べば許さない」、「すべて間違っている。私はここにいるべきじゃない。学校にいるべきなのに」、「私たちは絶滅の始まりにあるというのに、あなたが話すのはお金や永続的な経済成長のことばかり」、「この状況を理解していて行動を怠り続けるなら、あなたは悪だ」、「あなたが望んでも嫌がっても、ここから世界は目を覚まし、変化は訪れる」。ある指導者は、地球温暖化はフェイクと言うが、世界で発生している温暖化の現象と被害状況が地球人に警鐘を鳴らしている。勝本浦も昔からすると潮位の上昇が見られる。大潮の満潮には、低地に海水が上がるようになった。一人ひとりがいま何をなすべきか考え、できる小さい実践を始めることが大切。写真は地区公民館前、この前が最低地だが埋め立ての際にかさ上げ予定。
144号:台風17号上陸
22日(日)は、台風17号が対馬海峡(壱岐と対馬の間)を通過するとの予報があり、庭の片付けを済まして待機した。午後6時ごろ長崎南部、北部、五島が暴風域に入り、夜には対馬海峡を北東に進むという知らせが入った。今か、いまかと待ったが強い雨の後、勝本浦は静けさが続いた。が、寝る頃に突如暴風が吹き荒れ23日の3時ごろまで続いた。外はすごい風の音がし、庭の木々は大揺れの状況にあった。朝外に出ると、庭の柿の木の実がほとんど落ちていた。昨年は実をつけなかったが、今年はたくさんの果実をつけ期待したが見事に落とされてしまった。農家の作物等にも被害が出ているのではと心配。台風の進路は壱岐の真上を通過。夜の静けさは、台風の目の中にあったこと。そして移動し始めた夜半に暴風が吹き荒れたが、幸いに周辺に大きな被害は見当たらない。勝本浦の家々が、道路を挟んで並び立ち、強い構造体になっているからではと思う。家や電柱の倒壊など、被害がでてもおかしくないような強い雨に風でした。写真は、様変わりした柿の木。
143号:湯ノ本研修会
先週の13日(金)は、町内老人会の研修会が開催された。午前10時公民館前集合、送迎バスに乗り壱岐島荘へ向かった。日程は、午前中温泉入湯、その後昼食を含めて懇親・懇談・カラオケ、そして自由時間(温泉等)を過ごし15時15分に帰路についた。老人会は小さい頃からの顔見知りばかりで、温の中やカラオケタイムでは昔話など懐かしく面白い話が絶えなかった。戦後の経済成長期を一生懸命に生きてきた今の老人が、余生を楽しく過ごすことは大切だが課題もある。現在の町内の人口構成は、老人が多数を占め若者の減少が進んでいること。後継者が無く空き家も多くなりそうなこと。経済は漁業で支えてきたが、近年漁獲減少に悩まされていることなど。その港に、このごろ測量船(写真)が浮かんでいる。5年後港の中央にある地区公民館前の埋立てが完了し、辰の島遊覧船の発着場など観光の拠点ができる予定。「漁業プラス観光のまち」へと、新たな発展のスタートになることを願っている。
142号:壱岐島のくらし
私の職業人生は、長崎県25年、東京22年と地方と都会暮らしだった。前半は離島・郡部・市、後半は東京。そのご壱岐市勝本浦へ帰島した。都会から離島という生活変化を皆が心配したが、毎日は主に午前は新聞・ネット検索・読書・買い物。午後は必要なときは昼寝を入れ、夕方に釣り・畑の手入れ・庭の整備などに取り組むので、やること無しのときを過ごすことは少ない。東京と違うのは、人の労力を費やすことが多いこと。釣りは餌から仕掛け作りまで自分で行い、釣り場まで徒歩。庭の整備は砕石を購入し、小石運びは一輪車、大きな石は様々な工夫を凝らし移動、積んだ石は緩まないよう小石を入れ、金づちで絞めたりする。そして畑は、収穫が終わるごとに土を掘りかえし堆肥を投入する。壱岐島の暮らしは、知らないうちに足腰や手足の筋肉を鍛える機会になっている。妻は家内、夫は家外というように、それぞれに楽しみながらできるよう頑張りたい。写真は、木が植わった庭の改修。
曇り時々雨の日々
お盆で子供家族が来島し楽しんだが、後始末で終えていないことがある。布団の日干し、晴れの日を見計らい構えているが、曇り時々雨の日が続き干せないでいる。今年はお盆の後、梅雨という状況にある。今週はと思っていると南の方に台風13号が発生、7日(土)に長崎県の西海上を北上する予定である。家の中で過ごす時間が長くなったが、テレビでは気を晴らしてくれた選手がいた。全英女子オープンゴルフ優勝の渋野選手、世界柔道選手権優勝の丸山・大野・阿部・曽根選手等。特に絶対王者と言われる大野選手の勝ちっぷりは、日本人の様々なうっとおしさを晴らしてくれたように思った。テレビば、昔は「のど自慢」など見る定番組があったが今はニュースのみ。番組が、視聴者のニーズの多様化に対応しきれていないのかもしれない。スポーツ好きの私は、プロゴルフ番組の放送はなぜ試合後なのだろう。プロ野球もよいが他の競技をもっと取り入れてよいのでは等々。そして、楽しみにしていた全米オープンテニスは、残念なことに日本選手が途中敗退、お陰で夜更かしなしの規則正しい生活。写真は曇空の勝本港。
砕石の購入
夏休みを終え、孫たちは始業式を迎えたとの知らせ。以前は9月1日だった気がするが、休日増加から授業日確保のために夏休み短縮になったのだと思う。丁度そのとき九州北部は激しい雨に見舞われ、今朝のテレビでは河川増水・氾濫のニュースが続いた。私も知己から電話が届いたが、壱岐の島は災害に強い島であること、大雨の範囲からは離れていて心配ないことを話した。自然災害が多いが、それぞれの家が普段から備えをしておくことが大切。私の家は428年前に築かれた石垣に囲まれ、山側には草木の生えた傾斜があるため見回りが欠かせない。あそこの石積みは補充が必要、花壇の草花や木の配置に改善が必要など。その課題に取り組むため先週末に砕石屋に出向き、5㎝と30㎝ほどの大きさの砕石を購入した。ダンプカー一杯分で、下す際には大きな音が発生。お宮の神主が驚き飛び出してきた始末。この砕石を一輪車で必要と思う個所まで運び、修復・改善を図る。気の遠くなるような作業の始まりです。
孫の魚釣り
お盆休みにきていた孫たち家族は、18日(日)に帰っていった。小学2年生の二人の孫には、魚釣りを体験させたいと考えていた。場所は正村湾(写真)、ここは朝鮮使節が宿泊した迎接所があった所。いまは海岸道路ができ、浮桟橋が付いた。私が小さい頃は、竹で組まれた棚があり、そこから泳ぎ、また魚釣りをした思い出がある。孫に体験させたかったのは、私たちがした竹竿での釣りだった。夕方にでかけ海に餌を投げ、魚を寄せ釣り始めたが、始めはアジ、そのあと二人ともクロを釣り上げることができた。そして釣った魚は、もっと大きくなりなさいと海に戻してあげた。いろんな釣り方があるが、子供たちには身近な場所で、手作りの道具による体験が何よりだと思う。勝本浦は、子供たちにとって安全で、よき釣り体験のできる場所。将来は家族で民泊する家ができ、お客の大人は沖に出ての船釣り、子供は湾内での釣りを楽しむことができるようになればと願っている。
138号:お盆行事
お盆で帰省客も多い中、台風10号が15日に九州か四国に上陸するという予報がある。帰りの船の便や、飛行機の便がどうなるか気をもんでいるところだが、勝本浦では13日に花火大会、14日にペーロン大会が開催された。花火大会は、打ち上げ場が湾内に面した漁業協同組合の広場のため、頭上に舞う花火は圧巻だった。見学は家の二階ベランダや、海岸通りで思い思いに場をこしらえてするが、知り合いを招きバーベキューやお酒を楽しみながら鑑賞する組もある。花火大会はこれまで勝本浦、石田浦だったが、去年から芦辺浦と郷ノ浦が加わった。ペーロン大会は、台風の影響から海岸通りに応援テントの設置が見られないが、予定通りに進んだ。人口減少と高齢化の中、これらの行事を壱岐市全体としてどのように継いでいくか課題となりそうな気がする。継続するには浦人の理解と協力、また壱岐市関係者の支援が欠かせない。写真は、勝本浦の花火大会。
137号:久しぶりの海水浴
先週の3日(土)は、夏休み滞在中の孫と海水浴に出かけた。勝本浦には小中学生に遊泳が許可された浜が、勝本湾の入り口の外側(中折町)にある。その海岸はほとんどが埋め立てられ公園及び漁船の船着き場となっているが、家から泳ぎの支度をしてそのまま歩いて行くことができる。海水浴は競泳はやらないので遊びが必要になるが、着くと中学生が突堤からの飛び込みを楽しんでいた。沖を辰の島遊覧船が通るときは、観光客を意識してか飛び込みが派手になる。我々は準備した魚釣り道具を持ち、浮袋につかまり泳ぐ魚をメガネで見ながらの釣りを楽しんだ。昔は浮袋なしで釣ったが、今の海には藻がなく魚も少ない。が、孫はエサをくわえる小魚を見ながらの釣りと泳ぎを楽しんだ。70歳代の泳者は一人、身体を海水につけるのは気持ちが良い、健康面にも良い効果があると思いながらの海遊びでした。写真は、右に私と孫、左に中学生グループの一部、沖に辰の島遊覧船。
136号:プラスについて
ずいぶん遅くなったが本格的な夏の到来を思う日が続くなか、先週末に小学校4年の孫がやってきた。孫は2年前まで3年間壱岐に住んだ子供家族の一人で、最後の1年間は帰宅後の宿題と課題学習の付き添いをした。孫は午前中学習、午後は元の友人との遊びという規則正しい生活をしているが、機会を見つけて話していることがある。それはプラスについて。学習というのは与えられた宿題だけでなく、それにプラスするコトを自分で見つけ行うことが大切ということ。勉強や運動で抜け出す人がいるが、その人たちは普通のことプラス何かを行っているに違いない。だから自分が他人より強くなり、利口になるには、プラスの何かに取り組むこと。その大切さが分かるよう繰り返し話すよう努めている。裏の畑の野菜作りや波止場での魚釣りも、普通以上の工夫と頑張りがないと成果が上がらない。現在実感中です。写真は勝本湾。
135号:受粉と授粉
先週は雨の日がつづいたが、今週は曇り後晴れの予報がある。先週は、梅雨の合間を縫って物見台の草刈りに励んだ。が、裏の畑にはオクラ、スイカ、芋が勢いよく緑を広げ育っている。そして、スイカの花には雄と雌(球をつけたもの)があるのを知った。ネットで調べると、スイカの球が育つには受粉(自家受粉)、授粉(人工授粉)が必要。蝶や蜜蜂などによる受粉が自然だが、より確かにするには人の手による授粉が欠かせないともあった。その授粉の時間帯は朝の10時頃まで。そこで朝起きてしばらくした後は、畑の観察が必要になった、黄色く開き球をつけた雌花を見つけては、かわいそうだが雄花をちぎり、花粉を雌花にやさしく擦り付ける作業を続けているところ。また、大きくなりだした球に敷く器や、カラスに食べられないようキラキラ・テープも購入。老後にできたゆとり時間は、釣りや野菜栽培などもて余すことがありません。写真はスイカの雌花。
134号:勝本浦の祇園祭
今朝(17日)は、テレビニュースとして京都四大行事の祇園祭が大きく取り上げられていた。が、ここ勝本浦でも聖母宮に合祀された八坂神社祇園祭の神事が、正村町・仲折町によって午前8時より執り行われた。山鉾行事など大きな催しはないが、16時子供会、17時30分ご神酒開き、19時から神前で神楽が奉奏される。昔は大人も子供も提燈に明かりをともして神社に参り無病息災を祈願したというが、形を変えていまも続けられている。人口減少と高齢化の中、行事をどのように継続していくかは地域の課題になっているが、勝本浦は22の公民館区がそれぞれに工夫しながらつないでいる。その祭りを見て思うことは、行事がいつどのようにして始まったのかなどについて、今の人に語り継ぐことがおろそかになっていること。自分たちの地域にとって、意義ある大切な行事であることが理解されれば、皆が快く参加し継いでいくことができるようになるのではないだろうか。これから始まる「まちづくり協議会」では、勝本浦の歴史・文化の啓発にも取り組んでみたい。写真は朝の祇園祭の神事、町内代表が参列。
133号:お弁天様
7日(月)は、勝本浦中折町のお弁天様の日で、午後に神楽奉奏があり子供たちの帰宅を待って御馳走がふるまわれた。昔は子供たちが「お弁天様、舞い込んだ」と大声で各家を回り,お賽銭を受ける姿が目立ったが、今年も小さな声が届いた。お弁天様が祀られているのは、海の神様(市杵嶋姫、宗像大社三女神の一)を祀る厳島神社の中。大和朝廷により北部九州から朝鮮半島に至る海上安全を守る神として、厳島神社が玄海灘の島々に祀られた。そして平安時代に、インドの河の神様である弁財天を神仏習合して弁天様として祀られたが、明治の神仏分離で厳島神社とされた。しかし中折町では、今もお弁天様(旧暦の6月6日に子供たちの安全を祈る祭り)として続け、よき伝統行事となっている。昔からある行事は維持が大変だが、継続が町内結束の力となっているように思う。
132号:災害対策について
先週末から曇・雨の日が続いている。原因は、低気圧が日本列島を覆っていること。今朝は、九州地方の記録的な大雨について気象庁の緊急会見があり「自分の命、大切な人の命を守るため、早め早めの避難、安全確保を図ること」が求められた。幸い壱岐に警報はないが、その地区の人は早く行動をしてほしいと思う。近年、河川の氾濫や崖崩れは世界中で目にし、危険性の高いところがいかに多いかもわかる。大切なのは、自分の住む地域の状況を知ることだが、造成後の様子からはリスクの把握が難しい。今朝の新聞には、東京都江戸川区の水害対策があった。「高潮や洪水が起きるとほぼ全域が最大2週間浸水。70万人の区民に千葉や埼玉などへの広域避難を求める」との記事。私は東京在住中に東日本大震災にあい、身の回りのことへの対処は自分しかできないことを味わった。備えあれば憂いなしというが、まずは、自分の住処の状況をよく知ること。写真は、2年前壱岐の記録的大雨時、勝本港外の若宮島崖崩れです。
131号:SDGs未来課
6月25日(火)19時、勝本地区まちづくり協議会(仮称)の第1回幹事会が開催され私もメンバー(11人)として出席した。そこには、勝本地区担当職員として市役所から6人出席。説明は壱岐市SDGs未来課。そこで、SDGsとは何ですかと尋ねた。Sustainable Development Goals の略で、持続可能な開発目標とのことだった。翌日の日経新聞に、5月9日に開催された「日経SDGs/ESG会議」報告があった。SDGsは、2015年9月の国連サミットで採択された2030年までの国際開発目標で、その実施が地方自治体に及び、壱岐市では「SDGs未来課」が設置されたということ。これから幹事会で設立準備委員会メンバーや集落支援員(専従職員)の選定を経て、「勝本浦まちづくり協議会」が設立され、SDGsの目標達成の事業が実施されていく。国から降りてくる補助事業は、これまでも多々あるが、活かされていないモノも多い。持続可能な勝本浦のよき事業となるよう、皆で知恵を絞りたい。写真は、海洋資源変化に悩むイカ釣り船、マグロ釣りは海洋資源保全で漁獲制限。持続する勝本浦の課題です。
130号:ドクダミの花
我が家の庭に目立ち、かなりの部分を占有している花にドクダミがある。小さいころ遊びで切り傷ができたとき、つんだ葉を当ててもらった思い出がある。今はそのような用に使うことなく、独特のにおいの強さから遠ざけてきた。が、月曜日の新聞「春秋」欄に、ドクダミに関する記事を見つけた。中国の雲南地方では、地下茎をいためて食用とする。ガーデニング本場の英国では、庭の一部を形づくる園芸種として扱われている。とのこと。庭の草取りのとき、旺盛な繁殖力で自在に伸びるドクダミを取り去ろうとしていたが、記事で一変した。庭の草花は見ていると、自分の領域を広げようと競り合っている様子がある。そのなかで大切なのは、それぞれの持ち味を尊重し、ほかの草木とともに全体の調和を図っていくこと。いろいろな生き物との共生、老後に与えられた楽しみの一つかもしれません。写真は、庭のドクダミの花。
129号:補助金事業
先週だったか、町内回覧板に「壱岐市まちづくり市民力事業、2次募集開始」の案内を見つけた。締め切りは6月21日、事業内容は一般市民力事業と交流人口拡大事業とあった。昨年は勝本浦観光案内HP作成に取り組んだが、町の魅力を一層発信するには案内パンフレットが欠かせないと思っていた。そこでこの補助事業に応募し,パンフレットを作ろうと考え資料づくりに取り組んだ。事業名は「勝本浦、漁業プラス観光のまちへ向けた基盤づくり」。昨日は市役所に行ったが、予算に対する見積書等の不備があり再挑戦ということになった。壱岐市のホームページをのぞくと、様々なイベントがこの補助金で行われていたことが分かる。その時々の楽しみも大切だが、壱岐市には未来を創造する取り組みが生まれることが大切。お陰さまで、暇なしの忙しい毎日です。写真は、辰の島遊覧船から見た鷹の巣。
128号:令和生まれのメダカ
涼しいと思えば、今日は暑いというように、天気が目まぐるしく変化している。全国的な状況のようですが、暑い日は外に出るのがおっくうになってしまう。庭には花壇、畑、めだかの学校があり、出るとしばらく家の中に戻れないほど色々な作業がある。そのような中に、嬉しいことがあった。めだかの赤ちゃんが、何匹も元気な姿を見せてくれたこと。クラスは4組で、黒メダカ3匹と赤メダカ2匹のクラス。メダカは住む環境を考え、子を育てると聞くが、そのとおり少クラスに誕生した。日に日に大きくなり、親と一緒に餌をつつく姿を見ると嬉しくなる。そして裏山からは、畑の外に用意した水浴び場で気持ちよさそうに水浴びする小鳥たちがいる。畑と水浴び場には水の補充が欠かせないが、水は雨戸下に置いた水瓶に溜まった雨水を使う。水瓶など、昔からの物が捨てられず残されていたことに感謝。写真は、水浴び中の小鳥。
127号:正村聖母会
正村聖母会とは、勝本浦聖母宮のある町内老人会の名称です。勝本浦には22の公民館区があるが、現在活動しているのは2公民館のみ。聖母会はよき活動が行われており、昨日は「九州電力 玄海原子力発電所」日帰り研修旅行があった。朝7時公民館前集合、フェリーで佐賀県唐津港へ、その後玄海エネルギーパーク、発電所構内・訓練センター等を見学。感じたのは、発電所事故に備えた安全対策の重要性だった。壱岐は南半分が緊急時避難地区で、北部が避難場所に割り当てられている。が、計画の中に病院の入院患者等の移送先が見つからなかった。勝本浦の外科病院は主避難先になると思われるが、ここは国道から病院への通路が狭小。いつも思うことだが、国道側面をコンクリート化し、病院との間の国有地部分を避難駐車場にしてはどうか。緊急時対策は、見直しを重ねることが必要。そう強く思った研修旅行でした。
126号:緑の季節
退職後の人生で身近に感じるのが、壱岐の海と山などの自然。帰郷後3年目になるが、5月の緑が美しい。家の裏山には緑の木々が育ち小鳥たちが集う場所があり、朝にはホーホケキョと鳴き声が届く。そして東側の庭には、昔からあった二本の柿木の緑が勢いを増している。柿木は2年前に沢山の実をつけたが、昨年は一つもつかなかった。が、今年は多くの白い花が咲き、秋が楽しみになる。緑は車で走る道沿いや、急傾斜工事の崖などにも勢力を伸ばす様子がある。感じるのは、公共の場所に育った草木が人の生活に支障を及ぼすようになってきたときに、誰が管理すればよいのだろうということ。災害が起きれば公共が対応すると思うが、大切なのは災害を防ぐこと。広がる緑の美しさに接する人々の関心が、管理する気持へと向かう必要がある。緑の季節に思うことの一つです。写真は、屋敷お稲荷様と柿木。
125号:漁業と観光の町へ
日本は少子高齢化の波の中にある。なかでも地方はその動きが顕著で、活性化策が課題となっている。勝本浦もその一つであるが、明るい動きもある。それが壱岐・対馬国定公園内の海域公園地区となっている「辰の島」への渡海船と遊覧船の利用状況。勝本町漁業協同組合近くの岸壁から出ているが、駐車場には観光客を乗せた大型・中型バスの駐車が見られる。そして、客が多い時は2艘が一緒なって出ることもある。壱岐島の土台といわれる勝本層が、長い年月をかけ波浪・風浪・うねり・磯波などの浸食を受けてできた海蝕洞窟(海の宮殿)・海食崖(大屏風)・断崖絶壁(蛇ヶ谷・羽奈毛)・奇岩(目出柱・マンモス岩)などを船上から楽しむ。その勝本浦は数年後に中央海岸が埋め立てられ、辰の島観光の案内所、遊覧船が移る予定になっている。その頃には、漁業プラス海をフィールドにしたサービスと一体となって光景が様変わりしているかもしれない。写真は、辰の島遊覧船「エメラルド」、ブログ右上の「遊覧船」をクリックすると遊覧のページを見ることができます。
124号:ワン切り電話
連休明けの今日(7日)午前9時12分、携帯電話のベルが一度鳴り切れた。誰だろうと携帯を開けると、「不在」のマークがあったので開くと050で始まる番号があった。知り合いからの電話には名前が付くが番号のみ。多分知らない人からでどうしようかと思い妻に話すと、ネット検索で調べてくれた。ワン切りは、着信履歴だけを残し相手に電話をかけなおさせることを目的としたもの。そして、050で始まる番号は、「振込詐欺」や「貸します詐欺」に使われているとのこと。「なんだこの番号は?」と思ったら絶対に取らないことが大原則とありました。身に覚えがない限り、それはろくでもない電話、ましてワン切りなど信用してはいけないのです。大変便利な世の中ですが、いろんなところにリスクが潜んでいるのも事実です。まだ詐欺などの被害にあった経験は無。朝から良い勉強でした。写真は、10連休に掲げた日の丸の旗。
123号:平成から令和へ
今日(5月1日)から、新元号「令和」が始まった。今回の改元は、天皇の退位を経て新天皇が即位されたことから、これまでを振り返るよき皇位継承となった。昭和20年(終戦)後生まれの私たちは、経済成長期時代を一生懸命に生きてきたが、平成に入るとバブル景気といわれた経済が崩壊した。その後失われた20年と言われたが、高速インターネットが普及しユビキタス(いつでもどこでも)ネットワークが利用できる社会を過ごした。そして、令和の時代は、IOT(全てのものがネットにつながる)社会、IOH(すべての人がネットにつながる)社会が予測されている。経験から言えることは、社会は常に変化すること。令和の主役とはなりえないが、自己研鑽を積み変化する社会に対応できるよう頑張ろうと自分に言い聞かせています。写真は平成30年春の叙勲、この後夫婦で皇居にて天皇陛下拝謁、よき思い出です。
122号:青魚ブーム
最近のニュースの中で、青魚の栄養効果について何度か取り上げられた。青魚とはアジ・サバ・イワシなどで、一時はスーパーの売り場からサバ缶がなくなったともあった。青魚は価格が安くて大衆的な魚のイメージが強いが、血液をサラサラにするなどの効果があるという。この青魚(アジ)は、時々出かける波止場釣の代表的な対象漁。釣りすぎて怒られることもあったが栄養効果宣伝のおかげか、釣ったアジを刺身、てんぷら、唐揚げ、南蛮漬けなどと食すことが多くなった。アジは最近釣れないということで、波止場から釣り人が少なくなったが、仕掛けなど工夫すれば釣れるということが分かった。釣ったアジを料理しやすいように捌くのは大変ですが、料理された新鮮なアジの好味を楽しんでいます。写真は3月中旬、今は小アジが主です。
121号:春の色 緑
4月半ばになり、海も山も春の色が濃くなってきた。壱岐みたいに、海と山を一緒に感じることのできる環境の中で味わう素敵な鑑賞かもしれない。魚釣りの波止場は、これまでと違い魚の掛かりは悪いが、緑色がかった海の中には様々な魚が泳いでいる。魚くんは春を楽しみ、釣り人のエサには興味を示さないのかもしれない。また裏の畑は野菜の成長著しく、緑がいっぱいの状況。写真手前の玉ネギは、去年の9月に植えたもの。畑には苗を植えるというが、素人の私は種を直に撒いた。収穫は5月から6月らしいが、下の玉が徐々に膨らんでいく様子にびっくり。そして、その奥のジャガイモは2月初旬、大根は2月中旬に植えたが、すごい勢いで大きくなっている。魚釣りも、野菜作りも失敗を重ねて上手になる。仕掛けづくり、土壌づくりなど多くのことを学び楽しんでいます。
120号:正村聖母会
この会は、私が住む正村町の「老人会」で、本年度から参加するようにした。きっかけは、郵便ポストに「4月8日 節句 聖母宮 8時50分集合」の案内文が届いたこと。勝本浦では旧暦3月3日前後に、各町内ごとに代表が聖母宮に参り願立てを行う「節句」の行事が続いている。私が小さい頃は、その後一家中そろって、御馳走を重箱に詰めて海が見える所へ行き、一日中飲んで食べて遊んだ。この頃は磯が解禁になり、ウニやアワビなど御馳走が毎年楽しみだった。今はそのような遊びはないが、老人会は節句に合わせて初会を開き、終了後節句が催された。御馳走は重箱でなく鉢盛に地元弁当、そして余興はカラオケとずいぶん変わったが、久しぶりに昔の顔がそろう中で楽しい時を過ごした。今の子供たちにも、御馳走と野遊びなど様々な体験が大切と思う会でした。
119号:平成結婚式
先週土曜日(30日)は子供の御祝い事で静岡県へ、そのご孫の音楽発表会があるということで東京へ向かい、昨日(4月4日)帰島。祝い事は結婚式で、人生でやり残したことの一つとして頭の中にあった父親締めのあいさつも無事に済ませました。島外で感じるのは乗り物など生活環境の違いですが、東京は特別。一度家の中に入ると、何もなければ一日中そのまま。途中で外を散歩し、知り合いと会うことは皆無。用で外に出ると、電車・バスの利用が必要で、歩きもとても長く疲れも大。妻は携帯電話で歩数測りをしているが、ある日は8000歩。今日は壱岐での買い物、小さい島ながらイオン、ドラモリ、マツキヨ、ダイレックス、ダイソウなど島外資本のチェーン店があちこちにあり、みな車で出かけている。が、歩きは東京に比べ少ない。健康維持には適度な運動が必要。写真は、羽田空港。
118号:インターネット検索
今年から余裕時間の過ごし方に魚釣りが加わった。小さい頃は、竿は竹を切りエサは海岸で岩ムシを掘った。しかし、今は仕掛けもエサも店で購入し、釣り方などについて学ぶ必要が出てきた。そして、何かを学ぶときは本に頼ったが、今はネット検索がある。アジのサビキ釣り、遠投カゴ釣り、紐の結び方などネット上には多くの情報があふれている。お陰で、ネットに学び・実践・反省・改良の繰り返しで暇なしの状況。これは野菜作りでも同じで、現在裏の畑にはネットで学び植え付けた玉ねぎ、ジャガイモ、大根が育ち中。何か新しいことに取組むには学びが必要になる。学び先が本からネットというように大きく変わったが、P(計画)・D(実行)・C(評価)・A(改善)というサイクルは変わらない。写真は、きれいに咲いたチュ-リップ。
117号:漁業プラス観光の町へ
平成27年・平成28年に勝本地区商工業の発展と地域振興を目指して、勝本港湾一部埋立に関する要望書が市長宛に提出された。これを受け平成29年から勝本浦部活性化推進協議会が発足し、埋立地の在り方について協議してきた。そして、19日の会で本年度末に国の承認が出る予定との知らせがあった。私は委員として出席しているが、勝本浦入口の埋立地は壱岐市北部観光の拠点となりうる。観光バスが入ると、目の前に辰の島遊覧・海水浴の受付案内所があり船が待つ。また観光コースとして、黒瀬商店街のある中部観光回遊コース。東に鯨組跡がある東部回遊コース。西に朝鮮通信使迎接所跡がある西部回遊コースがある。それぞれのコースの史跡等は、本ホームページの「勝本浦について」に載せている。埋立工事は5年間に及ぶが、それを好機にするよう知恵を絞ることが大切。勝本浦が「漁業の町」から「漁業プラス観光の町」へと発展できればと思う。
116号:家の管理
今週は、畑の草取りを2日間かけて行った。長い間賃貸マンションに住み、家の管理に気を使うことはなかったが、自宅住まいの今はそうはいかない。とくに家外責任者の私は、庭の草木や畑の様子に気を使う。魚釣りは湾内から魚が消えたような状況で、今はよき潮時を選びたまに出かけている。そのような中に行った草取りだが、よいときに取り組んだと思いながら作業をした。そのままにしていたら倍以上の手間がかかったにちがいないから。全国で空き家が社会問題になっているが、管理できない屋敷は自然が覆いつくしてしまう。大変なことですが、家主は管理を怠らないよう努めることが大切。写真は、裏の松の皮を食すリス。リス村が倒産、逃げたリスが島内に拡散したと聞いています。
115号:マリン富士山会の旅行
先週の金・土曜日は、昭和22・23年生まれの海の男の会の旅行があり私も同行した。30年ほど前から続いているようだが、近年は奥様も同行。今回は佐賀県唐津港行きのフェリーで嬉野温泉泊まり、翌日はマリン会恒例の神社巡りで日本三大稲荷といわれる祐徳稲荷神社に参った。宿では住所の近い4人と同部屋、途切れることのない面白い昔話が続いた。祐徳稲荷では、山の頂に鎮座する奥の院まで一人上った。そして、「家族の皆が健康でよき生活を送ることができますよう」と願いを届けて下った。途中2階からは有料エレベーターに乗るとお御籤をいただいた。「これ迄の幸福があるのは神の御恵みと祖先の守護によるものなので、安心せず自分も人を慈しみ世のために尽くせば、いよいよ運盛に他所は嵐吹きても自分の所に何事もなく幸多し」とあった。写真は奥の院、楽しい旅でした。
114号:狸の出没
2年前に帰郷した後、裏山にタヌキを見つけびっくりした。小さい頃からここでタヌキを目にしたことはないからです。コンクリートの急傾斜に上り下りしている跡もあり住んでいるのは間違いないが、今朝は家の中から庭を歩くタヌキ2匹を見つけた。庭には餌など一つもないので入ってくることはないはず。が、ここを通り抜けて他所でエサを取っているのではと思いました。家の外にタヌキの餌になるものを放置しているところ、また外で犬や猫にエサを与えているところがあれば要注意。しかし、海側の家では思いもつかないことかも知れません。ネットでタヌキの出没について調べると、タヌキに出会った時の3原則として「近づかない、騒がない、食べ物を与えない」とありました。写真は、2年前に出会った狸。今朝は丸々としてふっくらでした。
113号:春の雨と風
昨日は朝から全国的な雨模様で、九州北部で「春一番」の風が吹いたという。壱岐は春雨で、よい休養日となった。このごろ何をしようかと考える日もあるが、先週末から今週にかけてジャガイモと大根の植え付けと、物見台の草取りを行った。日記を見ると、去年もこの時期に植えたことが分かる。ジャガイモは、種芋を2週間ほど干して黒い芽が出てから植え付け。大根は、種を30㎝ほどの間隔で植える。ジャガイモには、巻き水は不要だが大根には必要。ネット検索で栽培方法を学び、怠りがないようにしている。そして庭草は、冬の間は目立たないが、過ぎるとあっという間に伸びてしまう。よき生活には自然とのやり取りが欠かせないが、作業ができるというのは健康の証拠。無理せず長く楽しめたらと思う。写真は、白と赤の花が咲いた庭の椿。
112号:海の中の変化
2月に入って釣人の様子が変わった。これまで魚がよく釣れたのに、このところ釣れなくなった。私も感じていたことで、2月に入り釣を中止しジョギングを多くした。ジョギング中は、海の中をのぞき魚がいるか確認したが、魚がいないことにびっくりした。魚のいないところで、糸を垂れても釣れないことを知らされた。寒さなどで海中に異変が起き魚の回遊経路が変わったのか、素人の私には判断ができない。が、前のおじさんに話を聞くと、魚はいるという。魚は上から見ても色を変えることがあるから見えないこともある。そこで、昨日は久しぶりに釣りに出掛けた。疑似餌釣りの人は、かからないということで早くに帰宅。こちらはゆっくりと構え、餌をかけた釣り糸を入れて待つと、前ほどではないがまずまずの釣果があった。始めたばかりの魚釣りで、学ぶことの多さを実感。写真は、漁場へと出航する19トンのイカ釣り特殊船。頑張って来いよと声をかけたくなります。
111号:経済連携協定
本年2月1日のニュースに、日本とEUの経済連携協定発効があった。アメリカのトランプ政権は、アメリカファーストを謳いグローバルな動きを否定するかのような動きが目立つが、昨年末に発行したTPP11や日・UEPAなど貿易自由化を目指す動きも強い。この二つの経済連携を実感させてくれるのが身近な肉とワイン。時々の買い物で店に入ると、オーストラリア、チリ、フランスなどからの輸入物が目立つが、私の関心はワイン。色々なワインを求めて味を確認しているが、白も赤もお気に入りが見つかった。協定は日本商品へのマイナス面も挙げられているが、日本商品も海外へと販路を広げる機会にもなる。工夫をして皆が良い方向に向かうよう願っている。写真は、メキシコの世界遺産テオティワンカ遺跡。
110号:THREE-YEAR DESK DIARY
去年の1月から、妻の勧めで3年間分の日記帳を購入し記録することにした。勤めている間は、インターネット上のブログを使い、日々の出来事を関係する人達に伝えてきた。そして、退職後はホームページに時々の状況を記してきたが、毎日がフリーの今は、日々の活動の記録を残しておくことの必要に気付かされることが多くなった。今年1月の日記を書くときには、同じページに去年の記録が目に入る。去年の1月は、100歳の母が骨折で入院中、退院後は新しい施設へ移るなど大変だったことが分かる。また今年の1月は、魚釣りに関する記録が断然多い。高齢になると備忘記録(忘れたときのために用意しておくこと)が大切。妻の日記には、半世紀近くの生活の記録が残っています。
109号:魚釣り試行中
勝本浦に帰郷して3年目。1年目は、生活のための環境整備。2年目は、勝本浦観光案内のホームページ作成に取り組んだ。2年間は何をしようかと迷うことのない時だった気がする。さて、今年は何をしようと思考中だが、これまで近くの波止場でアジやムツなど釣りに出かけるなか、容易くつれない魚釣りへの興味を持つようになった。何十年と丘からの釣り経験のある友人は、釣りの始まりはアジ釣りでそれから先に進む者と、そこまでで満足する者に分かれるという。勝本湾には大小様々な防波堤や船着き場があり、浦人は誰もが数分で釣りに行けるよき環境がある。湾全体を観光客相手の釣り堀にしたらと時々に思うほど。釣りには、竿・糸・針などの仕掛けや潮時、エサなどなど、大変な学習と失敗体験が必要になるが、幸いむかし世話になった漁業の先輩たちが多い。この人たちに倣い、上手な釣りができれば趣味プラス食という一石二鳥となる。頑張ってみようと試行中です。
108号:二・二・三(ふじさん)会
昨日はふじさん会があり、湯の本浦にある国民宿舎壱岐島荘に出かけた。ここは壱岐唯一の温泉で、黄土色した湯が特長。ふじさん会とは、昭和22年生と23年早生まれで、漁業を継いだ者の会名。私は、小・中学校まで共に学んだ仲間として参加するようになった。会はいつも温泉付き、1時間ほどのふろ場では互いの体つきに、思わずため息というより笑いが漏れる。そして、懇談では71年の思い出が吹き出す。小・中学校の笑い話は定番だが、東シナ海の巻き網漁船体験話を聞いた。船はフル操業で、途中に油船と魚の運搬船がきたとこと。思わず今の中国漁業船団の様子が浮かんだ。若いころ日本は経済発展途上国で、現代の途上国と重なる場面が多い。参加者は16人、小学校3クラス、中学校は5クラスだった。が、現在の小学校は1学年1クラスで、ふじさん会と同じほどの人数。将来はどのようになるのだろう。写真は、係船中の会員の船。
107号:カラカミ遺跡
勝本浦観光案内HP作成で、壱岐の歴史や風土により関心を持つようになった。壱岐は、古代から大陸・朝鮮半島・対馬・壱岐・北九州というように、大陸との通交の要衝だったことから遺跡も多いが、整備されているのは長崎県で2番目に広い平野の耕地整理で発見された「原ノ辻遺跡」。弥生中期から後期の遺跡とされているが、この他に46遺跡が確認されている。昨日はその一つ、高地の弥生遺跡として注目されている「カラカミ遺跡」を訪ねた。遺跡は「韓・唐の文字をあてて呼ばれる香良加美神社」を中心として周囲に広がり、貝塚や遺物(鉄鏇・鉄鉇・鉄鎌・鉄斧・鉄刀子など)が多く発見されている。鉄資源は朝鮮半島との交流を示し、高地にあるのは小国及び外敵からの防御のためと推測できる。そして周辺には、91m級の前方後円墳など古墳時代の遺跡が多くある。カラカミ遺跡を訪ねたのは初めて、壱岐人のほとんどが知っていないのではと思われるほど、不思議な場所にある。
106号:明けましておめでとうございます
年末から新年にかけて子供たち家族が帰郷し、新年は私たちも含め9人で迎えることができました。大変ですが、子供たちが故郷を訪ね、迎えることは喜びです。自然や人間関係豊かな壱岐は、訪ねる者を退屈させないものがあり、それぞれに楽しい日々を過ごして戻りました。本年は2019年/平成31年でスタート、5月からは新天皇が即位され新時代が始まります。昭和の高度経済成長を経て、平成ではバブル経済、携帯電話・パソコン・インターネットなど大きな変化を体験したことを思うと感慨深い思いがあります。新元号を心待ちにし、安定した日々が送れるよう「いのしし年」を頑張りたいものです。写真は、見送りの船ビーナス。