341号:朝鮮通信使
先週水曜日は、大阪から3人のお客さんがあった。その2週間ほど前に一人から電話が届いた。岸和田市に住んでいる女性で、第10回朝鮮通信使の日記を読むなか勝本浦があり、調べ中にホームページ見つけ壱岐市、勝本まち協と電話し私に辿りついたとのこと。6月28日に来島ということで対応を約束した。目的は通信使の日記の記述の確認で ①入港した港 ②館舎 ③聖母宮と海の神(志賀神社) ④対馬を眺めた高台 ⑤見物した鯨組の館。当日の午後は自宅に迎えて、勝本浦案内パンフレットを用いて説明した後、車で確認の場所を案内し宿まで送った。宿は奈良時代に全国に16㎞おきに置かれた駅家(うまや)のあった馬場崎の福屋荘。3人は翌早朝に77段の石階段を上って海の神(志賀神社)にお参りするとともに、山の高台に出かけ対馬を望んだりしたという。4月には、通信使の足跡をたどる日韓の友情ウオークの団が訪れた。江戸時代の200年ほどの間に朝鮮通信使が19回寄港した勝本浦が、日韓友好が進むなか関心を集めています。