神社について

●原始・古代(縄文・弥生・大和・飛鳥・奈良・平安時代)
神社にお祀りする神は、「八百万(やおよろず)」と言われるように多彩です。神聖とされた山岳や河川・湖沼などから、民俗神、実在の人物・伝説上の人物や、外来の神も含まれる。聖母宮を例にすると、神功皇后は朝鮮出兵の時、勝本に行宮を建てられた。その御殿は出航された後も、毎夜、海の中から光るものが飛んできて御殿の周りを照らした。このありさまを見た人々は、御殿に鏡を納めて神功皇后を神として祀ったとある。また壱岐は神々の島といわれるが、建国神話で高皇産霊神が山城と大和に移し祀られたおり、山城国では壱岐県主が祭祀者になったということ。日本の古代祭祀の原型が壱岐・対馬で発生したのではないかということ。大宝律令に神々の祭祀をつかさどる神祇官がおかれ、出仕する卜部に壱岐から10人が出仕し重要な地位を占めていたこと。などから、壱岐は古くから神と神々に仕えるものも多く、神々の島といわれてきた。

印鑰神社 (湯田町)は、昔の本浦区の氏神であった。祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。勧請年月は定かでないが、「印」は官印のこと、「鑰」 とは官庁兵庫の鍵のことである。つまり、印鑰神社の上にある本浦城跡に防人司の兵庫が置かれ、印鑰神社は兵庫の鍵を保管するところといわれている。鳥居は1847(弘化4)年に建立。 例祭は12月14日に行なわれ、現在は地元町内で3年に1回太神楽を行い,後の2年は神職によるお祓いが行なわれている。大宰府は異賊の襲来が続くため816(弘仁7)年、壱岐に2関と14所の火立場を設置。869(貞観11)年、新羅が対馬を襲撃。そのため870(貞観12)年、壱岐へ武具を送り外敵の警戒を厳重にした。871(貞観13)年、武具や兵器の格納庫を新設。この兵庫の場所が、本浦城と言われている。その場所は、新町の上方に見える小高い山の頂上。朝鮮式山城で壱岐名勝図誌に記述されている。

聖母宮(正村町)は聖母宮のページ、厳島神社(中折町)は古代の勝本浦のページに掲載。勝本浦に は、それぞれの町の人々が守ってきた多様な神々がいます。近くに来たらお参りください。

 

 

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