146号:鯨組「羽刺唄」の復活
昔、壱岐の近海は初冬にオホーツク海から日本海を通って南下してくる鯨、早春になると北上する鯨で一杯だったという。壱岐の捕鯨は紀州熊野の捕鯨業者により始められ、島人による捕鯨は江戸時代に始まったと言う。中でも勝本浦の土肥組が有名で、巨額の財貨を投じて3年の歳月をかけて建築された「御茶屋屋敷」の跡には長さ約90m、高さ7mの大きな塀が、そして祝いの席で歌われた「羽刺唄」が残された。唄は私が壱岐で教職にあったとき、ロータリークラブ周年行事のアトラクションとして、年配の人が小太鼓を両脇に従えて歌われたのを聞いた。この唄は残す価値がある・・時を経てその老人によるカセットテープレコーダーへの吹き込み・・曲を音楽教科調査官に譜面に落としてもらう・・そのままになってしまうかと思っていたが、今年の壱岐商業高等学校70周年記念式典の記念イベントとして太鼓部による復活が叶うことになった。記念式典は11月23日(土)、壱岐市西部開発総合センター(10時~11時)。記念イベントとして「羽刺唄」が演奏される。伝統唄について、多くの人が知るとともに永く継承されることを願っている。写真は、田ノ浦納屋場の解体作業(壱岐名勝図誌)。