275号:運と縁(朝鮮通信使迎接所:案内板)

勝本浦まちづくり協議会は、「漁業+(プラス)観光の街へ」を目標にする。そこで、実現したかったことの第一は、勝本浦ご案内のパンフレットの作成。第二は、観光案内板の設置というように観光の基盤作りだった。パンフは昨年3月に作成。案内板は具体策が浮かばなかったが、不思議な運と縁:●昨夏に帰郷された元鯨組の家人に会い設置場所(正村)が決定。●島内にバスの車体に広告絵図を貼る業者(たからや)がいたこと。から話が進み3月21日に設置を終えた。QRコードを配した斬新な案内板で、次は後の者に鯨組や聖母宮大祭等を期待したい。朝鮮通信使は、1607年から1811年まで約200年にわたり12回来日。勝本浦は寄港地とされ、往路11回・復路8回の19回寄港、通信使は迎接所、案内役の対馬藩は対馬屋敷に宿泊。今回は、朝鮮通信使に同行した画員が描いた絵図を載せた案内板ができたのです。通信使一行は、朝鮮人が平均450人、案内の対馬藩が約800人で、道中の接待と送迎は沿道の諸大名(壱岐は平戸藩)に課された。勝本浦は古代から近世(江戸時代)まで、朝鮮半島との交流における重要港であり、その歴史や文化を知ることが観光の街としての発展を図るには欠かせない。写真:右上の図は、通信使の画員が描いたもの。下の写真は、現在の勝本浦の写真。

2022年03月23日