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403号:アメリカの出来事

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今日は午前10時から、ハリス副大統領とトランプ前大統領による米大統領選挙に向けたテレビ討論会。11時から日本人選手(大谷・山本、鈴木・今永)が出場するMLB(メジャーリーグベースボール)ドジャース対カブスの試合があった。討論会は、同時通訳が行われたがその場の雰囲気を感じるには今一つ。将来音声は英語にして、AIによる翻訳を字幕に流してはとか色々思った。次のMLBは、4人の日本人大リーガーが主役となり活躍する姿があった。日本選手には高根の花と思えた大リーグも、この頃は随分身近になった。この後13時30分からは遊び時間で、馬場崎公園広場でグランドゴルフ3ラウンドを行った。老後には適切な運動が必要と言うが、広場は格好の場所。多くの人に利用していただければと思います。写真は、9月7日(土)に勝本漁業協同組合の荷捌き所で行われた、「壱岐エテマルシェ」の様子。マルシェとは、フランス語で「市場」を意味します。主催は壱岐商業高校、福岡大学商学部、壱岐みらい創りサイト。複数の店舗や楽しいイベントが行われました。

2024年09月11日

402号:夏から秋へ

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今朝のテレビによると、全国の天気は「広く晴れて厳しい暑さ」だった。が、勝本浦は暑さに涼しい風が入り、季節の変化を感じるようになった。そのような折に、31日から3泊4日で大学生になった孫が訪れた。孫は親の仕事の関係で、小学校3年から6年まで勝本小学校に通ったことから友も多いが、今年はほとんどが島外へ出て共に遊ぶことがなかった。そこで、グランドゴルフの練習等でおろそかになっていた裏の畑とグランドゴルフ場の草刈り等を共にすることになった。畑は家のコンセントにコードをつないだ電気耕運機で耕し草を除去するが、二人であっという間に済ますことができた(写真)。ここには、野菜だけでなく種から芽が出た夏ミカンと、花壇に植えたブルーベリーの木を移植予定。グランドゴルフコース上の草刈りと除去は、翌日の午後に実施。その後のプレー体験で、孫は3回目に8ホールを25で回るなど、3日間でよき体験をしたように思う。大学生になった孫の来島で、これはやりたいと思っていたことが叶いました。

2024年09月04日

401号:台風10号日本列島縦断?

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非常に強い台風10号は、日本の南を発達しながら西寄りに進み、その後針路を北寄りに変えて日本列島を縦断する可能性があるとされている。勝本浦の漁船は台風に向けて係船を終え、観光客相手の辰の島遊覧船も欠航が決定された。このように外での活動ができないときは、「勝本浦と可須村の神々」の学習がある。神々はA4のページに52社(写真大1,小2枚、文章が400字)でほとんど出来上がっているが、見直すと写真も文章も改善点が見つかる。特に町内で祀る神々の写真には工夫がいる。昨日は塩屋町の稲荷神社に出かけたが、傍にカワと呼ばれた井戸があった。飲料水用のカワは、陸町にのみ限られ崖下にある。そしてカワのほとりには、石畳の上に壇が設けられ神様が祀られている。水に苦労した浦人の生活様式など、忘れ去られようとしている歴史を記憶に遺すことの大切さを感じた一瞬でした。勝本浦には「壱岐の風土と歴史」を刊行された中上史行先生・「島の科学」に勝本浦の史跡について投稿された漁協組合の石井敏夫参事という大先輩がいる。地域を持続可能な町にするには、地域の持つ歴史・文化を新たな視点でとらえ発信していくことが大切。写真は、塩谷のカワです。

2024年08月28日

400号:お盆明けの様子

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小さい頃は、お盆が明けると海に盆ブカが現れるので、海遊びはしないよう躾けられてきた。天気もお盆が過ぎると、秋の訪れを感じたように思う。が、全国の天気は高温に天候異変が続き、熱中症対策が求められている。壱岐の島は、昔と変わらず季節が動いている気がするが、GG仲間はまだグランドに姿を見せない。家の中で大変な熱さを感じ、外に出ないのかもしれない。私は夕刻に練習を続けてきたが、盆明けで練習仲間が来てはと思い、昨日は13時30分にグランドへ出かけた。が、仲間は現れず一人練習に励んだ。ボール4個を持ち、1ホールごとに4打を打って8ホールを回ると約30分かかるが、テント下で休みを取り2度目の8ホールを回り練習を終えた。そして帰りに公園を一周すると、勝本浦で唯一泳ぐことのできる海に中学生の男子二人がいた。真っ黒に日焼けした裸に、小さい頃港の外海岸(本HPトップにある210m×70mのGG広場)で朝・昼と一日中遊んだ様を思った。近くの海岸は夏の最高の遊び場だったが、今はその海岸がなくなった。写真は、外海にある唯一の海水浴場。

2024年08月21日

399号:朝鮮通信使復元船の来港

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通信使の船は、先週8日(木)に入港、来港に伴う接待・送迎は、江戸時代は平戸藩がすべてを行ったが今回は国や県の関与がなく、市の観光課が中心で勝本浦まちづくり協議会と共催となった。9日に入港セレモニー(入港パレード、記念品贈呈、荒海太鼓演奏、晩餐会等)、10日と11日に、午前・午後の2回市民向け船内見学・韓国舞踊や音楽演奏、12時に地区公民館前で再現料理が提供された。私の役は市民代表歓迎挨拶で「朝鮮国王の外交使節である通信使は、第1回が今から417年前の1607年、第12回が1811年で、およそ200年に及ぶ往路・復路19回の入港時の接待と送迎を勝本港で行ってきたこと。感慨深いのは、朝鮮通信使の来日など、勝本の地が対馬・朝鮮及び九州・中国地方との交通の重要な港であることから、1627年に私の祖先である壱岐神職棟梁が国主の命により勝本に住居を置いたこと。それからおよそ400年にわたり聖母宮宮司として勝本の発展を見守ってきたことを述べて、今回の復元船による交流が未来へとつなぐ日韓友好の懸け橋となることを祈念した。写真は、入港時の朝鮮通信使復元船。

2024年08月14日
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