235号:一本道の正村町

五月節句の行事も終わった。14日に町内(正村)を歩くと、24軒の軒先に萱と蓬が飾られていた。人々が長年に渡り伝えてきたならわしが、大事にされていることを目の当たりにした。写真は正村町で、手前の電柱から奥の聖母宮石鳥居までの120mほど。だが、左奥から7軒の住所は坂本触(縄文遺跡出土)で、大昔から人々が住んできたことを示している。他は勝本浦で、朝鮮通信使の迎接所建設に伴い山を削り海を埋め立てた造地。1607年から1811年まで200年にわたり12回来日、往復路19回寄港し宿泊した所です。また、右手前は正村蔦(つたや)という鯨組の家で、赤レンガ内に屋敷を護る荒神社がある。そして、一本道は高校時代、私が夜の勉強中の眠気覚ましに100mダッシュを繰り返した道。陸上部はなかったが、郡民体育祭で勝本町の選手として100mと走り幅跳びに出場し、壱岐の護岸工事を請け負った会社の御曹司と競った。今も交流が続く先輩ですが、昔を辿ると祖先は文禄・慶長の役でともに朝鮮に渡った仲、聖母宮の運営責任者と宮司など。不思議なつながりです。

2021年06月16日