207号:観光案内パンフレット

私が住んでいる勝本浦は、古代から江戸時代まで日本と朝鮮半島との通交や外敵侵入に対する防衛の先だった。勝本浦案内パンフレット作成のため史跡を巡り、文書等を調べる中で感じたことです。現在のパンフレットには16か所の史跡が紹介されているが、現在作成中のものは64か所。市指定や町指定の史跡や文化財中心から、各町内で守られてきたお堂や神社等を取り上げた。その中、ある会議で元寇の千人塚は?と聞かれた。元寇といえば、大風で遭難した元軍の船から流れ着いた人や武器を引上げ埋葬したという話は聞いていた。が、天ヶ原千人塚について調べると、「元軍が上陸し通過したあとには島人の死体が横たわっていた。生き残った人々は死体を集め、埋葬し小さな塚を築いたとあった」。そこで相方と一緒に探索に出かけた。が、道路沿いに案内板がないことから、想定した高台(上陸を知らせる烽山)につながる坂道(闘いのあった勝負坂)を上ると「千人塚入口」の案内板があった。そこから木々に囲まれた細道を上ると風雨にさらされた祠と新しく作られた碑があった。蒙古の襲来があり、闘いで多くの死傷者が出たことを思うに十分な場所だった。写真は、千人塚。

2020年12月02日